第6話 スチーム、アート、ミストマッチ
「はぁ……部活行きたくない」
「いや、部活入ってないだろ」
俺のボヤキに対して
「いいよなぁ……秀吾は。何の事情も知らなくて」
「そう言われても昨日何があったのか結局話してくれないじゃないか。その感じだとあんまりいい事は起こらなかったんだろけど」
「じゃあ、仮にこの校内で見知らぬ女の子から急に全裸になれと迫られたって言ったら信じる?」
「……
秀吾は真面目にそう言っていた。その気持ちは嬉しいけど、今のは俺の言い方が悪いからそう取られてしまっても仕方ない。でも、嘘は言ってないのでどこを修正したらいいかわからなかった。
「仮にって言っただろ。それに類似するような出来事が起こったってこと」
「その具体的なたとえに類似するようなことってあるのか? 大事になる前に先生へ相談した方がいいぞ?」
「秀吾、さっきからお前が言っていることは凄く正しいし、俺はちょっぴり感動しているけれど、それでも俺は行かなくちゃならないんだ……」
「輝邦……」
そうしないと俺の冤罪が広まってしまう。いや、冤罪ってわかってるのに恐れているのはおかしいし、たぶん榎沢先生も本気で広めるつもりはないと信じているけど、こればかりは仕方ない。
「あっ、三雲クン! 今日から暫く美術室へ来るんだよね? 良かったら一緒に行かないっ?」
「もちろんです! いやぁ、今日もがんばっちゃおうかなぁ!」
しかし、これが長引く限り涼花ちゃんと一緒にいられる時間が増えると考えれば案外悪くないのかもしれない。ぶっちゃけると、こうなるまで涼花ちゃんとまともに話した回数は数えるほどしかなかったから役得と言える。
俺が日常に欲しいのはちょっとした刺激だが、これをきっかけに涼花ちゃんとの距離が縮まっちゃったりして、それがもっと刺激的な展開に繋がるのだとしたら……
「三雲クン? どうしたの? 早く美術準備室へ行ってあげたら?」
「あっ、はい」
俺が邪念を出しまくっている間に気付けば美術室へ着いて涼花ちゃんは部活の準備を始めていた。他の部員は相変わらず歓迎も拒否もせずに「おー」といったリアクションを見せるが、彼女たちはこの美術準備室で起こっていることをどこまで知っているのだろうか。
それを考える前に俺は今日のタスクをこなすことにする。具体的に何をするのかは全然わからないが、とにかく中楚が裸夫を描くことを諦めるまで適当に流せばいいだけだ。
そう思いながら昨日ぶりに美術準備室の扉を開けると……
「蒸し暑っ!?」
中に入る前に室内から出てくる生温い空気に俺は驚く。そのまま入るのに躊躇してしまうけど、開けっ放しだと涼花ちゃんや部員の皆様に迷惑がかかってしまうので、俺は中へ踏み込んで扉を閉めた。
そうして改めて感じたのは……やっぱり蒸し暑い。暑過ぎる。季節は秋の程よい空気からそろそろ寒くなるんじゃないかと思わせるものになって、だからこそ衣替えをしたばかりなのだけど、今のこの室内は不快な蒸し暑さに包まれている。
その原因を作り出したのは……
「や、やぁ……テルクニ。よく来た……ね」
床に伏せながらぐったりしている
「な、何があっ……蒸し暑っ! いったい何がどうなって……」
そこで冷静に周りを確認すると、空調が異様に音を出して吹き出していることや室内に4つほど置かれているスチーム加湿器がフル稼働していることに気付く。この異様な蒸し暑さは意図的に作り出されたものだった。
「こ、これだけ蒸し暑ければ……テルクニも思わず服を……脱ぎたくなる……はず」
「どんな作戦だよ!? 自分が消耗したら意味ないだろ!?」
「そ、そうか……アタシも脱げば蒸し暑さもマシに……?」
「そういう問題じゃねぇ! というか、この蒸し暑さだと脱いだところで解決しないわ!」
律儀にツッコんでしまいながら俺は加湿器と空調を止めて、数少ない窓を全開にする。心地よい風が入ってきても室内の湿った感じは暫く取れそうもない。
俺は一旦美術準備室から出て、自販機で水を購入してから戻って来る。おかげで涼花ちゃんたちに2回も愛想笑いを見せなきゃいけなかった。
「ほら、これ飲んで」
「間接キッス……?」
「今買って来たらそこは心配ない」
「口移し……?」
「なんでそういう方向に持っていこうとするんだ!? 早く飲まないと頭からぶっかけるぞ!」
「えっ、いきなりそんなこと言われてもそんな経験ないから心の準備が」
明らかに別の意味で取って中楚は赤面する。うん、今のは勢いで言った俺の言葉選びが悪かった。他の人なら何も思わないだろうけど。
そんな中楚もようやく身の危険を感じたのか水を飲み干すと、勢いよく立ち上がった。
「はぁ~ 生き返った! これが今流行りの整うってやつね」
「確かに状況的にはサウナに近いものはあったけど、これは手の込んだ自殺行為だ。俺が来なかったらどうするつもりだったんだよ」
「エノサワ先生が絶対来るって言ってたから」
その通りなんだけど、それをそのまま受け取ったとして、こんなデストラップを仕掛けるのはどうかと思う。いや、どうかしている。
「でも、意外だったわ。昨日の感じだと正直来なくなってもおかしくないと思ってたのに」
「そ、それは……こちらにも事情があるというか」
「もしかして、アタシに一目惚れしちゃった?」
「それはない。絶対に」
「しょうがないわね。アタシみたいに清楚感溢れる子は男の子みんな好きだから……」
「どこが清楚なんだ。今だって……」
そう言って中楚の方を見ると、湿ったTシャツが汗をかいた肌に張り付いて少しだけ中身が透けて見える。確か昨日は水色と言っていたが……
「どこ見てるの?」
「な、なんでもない! 汗とか拭いたらちゃんと上着も着るように!」
「えー 暑くて着たくない」
「自業自得だ。だいたいこんなに湿気があったら絵に使う用紙とか駄目になるんじゃないのか」
俺は当たり前の指摘をしたつもりだったけど、中楚は大そう驚いた顔を見せる。何も考えてなかったんかい。
「何か作品を描いてる途中だったらまずいんじゃないの!?」
「作品って何のこと?」
「あっ、いや……昨日、榎沢先生から聞いたんだ。中楚が画家やってるって」
「ふーん……別に今は描いてないわ。だからこそ、テルクニの裸夫が描きたいのだけど」
「全然繋がりはないぞ。でも……隠してることなら勝手に知って悪かった」
「ああ、別に大丈夫よ。アタシの名前そのままなの、気付いても構わないからだし」
中楚はあっさりと言う。それを聞いて俺は本名と変わらなかったのはそういう意味だったのかと妙に納得する。昨今の世間を考えるなら身バレするのは怖い気もするけど。
「もしかして、アタシの作品を提供したら脱いでくれたりする?」
「残念だけど、それもない。芸術はさっぱりだから」
「そう? その時の評価にもよるけど、アタシの作品なら数万円から数十万円で売れるんだけどなぁ」
「数十万円!? い、一枚の絵で……?」
「うん。アタシのサインを付ければ本物の証明もできるだろうし。ただ、フリマとかで売っても高値は付かないからきちんとした場所で売って……」
「いやいや、そんな価値ある物貰えない。貰ったら脱がなきゃいけないから貰うつもりもないけど」
「別に価値なんてないわ。単にアタシが描いた絵だから」
中楚は何だか投げやりにも聞こえる言い方をする。
「でも、実際価値が付いてるんだろ? ちなみにどういう系統の絵なんだ?」
「決まったものはないわ。風景画もあればモチーフのない画もあるし、使う塗料も油の時もあれば水性の時もある。シェフの気まぐれメニューみたいな感じ」
「へぇ。素人目線で聞くと色んな種類で描けるのは凄そうだけど」
「そんなことない。描ける人は何やっても描けるものだから」
俺の無知な聞き方に対して中楚は本当に包み隠さず答える。これまでの中楚は言動から変な印象の方が強かったけど、絵を描くことに関しては真剣なようだ。
「それに、アタシは描く絵に値段が付くと思って描いてない……ううん。きっと他に絵を描いている人だって期待こそしてもこれが何円になるんだって具体的に考えることなんてないと思う。今のアタシはたまたま高校生にしてはちょっといいと思われるような作品を創って、それがたまたま趣味趣向が合う人に評価されちゃって勝手に騒がれているだけ」
だけど、その現状については……必ずしも良いと言えないのかもしれない。芸術家故の悩みであるなら俺がそれに対して何も言えることはないが、もしかしたらこれが中楚が抱える問題なのか。
「さて、今の話を聞いてテルクニが思うことは?」
「えっ。急に言われても何と言ったらいいやら……」
「アタシの話に心打たれてちょっとくらいフル〇ンを見せてもいいと思ったんじゃない?」
「その言い方やめろ。そんな打算的な目的で話してたのか……」
「逆に何でテルクニはこんなこと聞いてるの? テルクニとアタシは脱ぐか脱がれるかの関係なのに」
「いや、何でそっちが脱ぐ選択肢が入ってるんだよ」
そんなことを一瞬思ってみたけど、中楚が何をどこまで本気で言っているからわからない。だったら俺が気にしても仕方がないことだ。
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