前夜
他の者たちは皆和気あいあいと遠出ができたことを楽しんでいるようだ。梅沢と守屋はよくしゃべるし、ついてきた二人の坂本大河と相川愛美は恋人同士。一人静かに過ごしているのは香本だけだ。
旅館には木村の知り合いがいるらしく安く泊めてもらっている。初日の今日はほとんど移動に時間を費やし、ここに来るまでに名所と言われる場所を巡っていたので本当にただの旅行だった。旅館に着いて翌日以降の打ち合わせをしたら今日は終わりだ。その打ち合わせの中心となるべき人物の木村がいい感じに出来上がってしまっているのが気になるが。
サークルの中に香本は特に親しい者がいない。友達が欲しいとか、大学生のきらきらした生活目的でサークルに入ったわけではないからだ。香本は本当に民話などの研究をやりたかっただけだ。それらしい活動もなく、ひたすら読書と飲み会の繰り返しでほとんど顔を出さなくなってしまっていたが。
ただその間も守屋、梅沢とはテーマを決めて調査をしたり研究会らしい活動を細々と続けていた。ほとんどが幽霊会員、飲み会の時だけ来る者達ばかりだがこの二人とは比較的話をする。友達というわけではない、ただのサークルだけの付き合いだ。
「木村教授、そろそろ明日からの予定をまとめてもらっていいですか」
久保田がそう言うと、酒を飲んでいた木村は笑いながら声を張り上げる。
「よし、そろそろ明日からの予定を説明するぞ!」
大広間での食事なので他の客ももちろんいる。声の大きさに何事かと一瞬注目されたがまたすぐにざわざわと自分たちの話に夢中になる。
その声の大きさに香本はわずかに眉間に皺を寄せた。昔から大きな音が嫌いだ。大きな声は聞いていて不愉快になる。酔っ払いの声だから不快というわけではなく運動会では応援団の声、マラソン大会があったときは沿道の人たちの応援の声。耳に残るようなあの騒がしさが嫌いだ。マイクを使っているわけでもないのに耳に突き抜けるような声。うるさい。……うるさい。
「研究テーマは明日の午前に発表する。その後に事前知識をすり合わせておいて、午後は実際の調査に入る」
「午後に調査に入るという事は、この地域の言い伝えなどですか?」
梅沢が手を挙げて質問するが木村は明日になってからのお楽しみだとはぐらかした。
「チームを組んでバラバラに調査を進める。一人でもいいが、必ず二チーム以上に分かれてやるように。チーム分けは今日この後解散になったら適当に決めてくれ。私と久保田君は全体の取りまとめを行う」
その言葉に皆チーム分けを放し始めるがもはや決まったようなものだ。全員が仲良しかと聞かれるとそういうこともなく、特に今回旅行目的で来ている二人はほとんど交流がない。あちらは当然坂本と相川で組むだろう。となると梅沢と守屋が組むはずだ。
一旦ここで解散、と言う木村の言葉と同時に香本は席を立った。食事は既に終わっているし酒を飲むこともない。風呂に入って早めに休もうと思った。そんな香本に梅沢が話しかける。
「チーム分けどうするんだ」
「僕は一人でいいよ」
そっけなくそう言うとそのまま自分の部屋へと戻った。
別に一人でいるのが好きだとか、皆と一緒にいるのが嫌だとかそういうことではない。普通に話をするし嫌われるような態度をとったこともない。ただ付き合いは大学の中だけ、一緒に食事に行ったり休日出かけたり、それこそ連絡を取り合うようなことはしていない。一人を選ぶのには理由がある。それを言うつもりもないのだが。
子供の時に見たあのアケビ。あれ以来アケビが苦手になったが、芋虫のような昆虫が苦手になったわけではない。例えば道を歩いていて足元に突然芋虫がいても避けて歩ける。不愉快に思ったり女子のように悲鳴をあげるなどという事はしない。
子供の時のトラウマなどその程度のものだろうなと思っていた。しかし先ほど十数年ぶりに見たわけで。やはりアケビが大嫌いだなと再認識するぐらいには気持ち悪かった。
考えていてもいい気分はしないのでひとまず風呂に入って頭をリセットすることにした。高級旅館というほどではないが満足できる位には良い旅館だと思う。
それにこの旅館とこの場所に来た時から気になることがある。普段は各地方に伝わる独特な民話などを研究しているがこの場所をわざわざ選んだのなら研究にふさわしいテーマが何かあるのだろう。添削後にコンクールに出すのなら相当だ。自慢話が多く完全にただの面倒くさい中年でしかない木村は、教授になっている位なのだから優秀なのだと思う。講義は全く面白くないが。
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