『悪魔と取引』

N(えぬ)

この取引にはオチがある

イサオは恋人マサミが事故に遭い危篤だという連絡を受けて病院に駆け付けた。

病院ではマサミの家族も集まって、手術中の小さな待合の部屋に通されていた。


立って歩く者。じっと座る者。それを繰り返し、廊下を行ったり来たりとし、長い不安な時間が過ぎていく中、イサオはトイレに向かい、一人になったとたん涙をこらえられなくなった。


「どうかマサミの命を助けてください」


イサオが鏡の前に立ち、洗面台に両手をつき震える声でつぶやくと、どこからか声がした。


「あんた、取引しないか?」


「誰だ?何の取引だ?」


「わたしは悪魔。あんたのいう、そのマサミという娘の命とお前さんの命を交換してやる。つまり、娘が死んだらその代わりにお前さんの命と交換して、娘を生かしてやろうというわけだ。お前さんは、その娘の命を助けてほしいのだろう?」


「命を交換……」とイサオが呟いた。


「交換となると、そりゃあ誰でも考えるわな。自分は代わりに命を落とすんだから。だから、無理にとは言わない。お前さん次第さ」


「わかった。俺の命と交換でいい。マサミの命を助けてくれ!」


「よし来たっ!決まったぞ。これで契約は成立だ」


それっきり悪魔の声は聞こえなかった。



待合室の人々は不安と疲労で打ちひしがれていた。手術が始まって10時間がたとうとしていた。

イサオは悪魔との契約が本当に履行されるのかを考えていた。


「もしかしたらあれは不安に駆られた自分の妄想だったのかもしれない」とも考えた。


やがて手術が終わり、医者が手術室から出て来た。医者は疲労した顔だったが自信を見せて言った。


「手術は成功しました」


医者のその言葉に家族は手を取り合って喜んだ。しかしイサオは、これがどういうことなのか、まだ理解できなかった。

『マサミの命は悪魔によって助かったのか?それなら俺はなぜまだ生きているのか?』


イサオ慌ててトイレに行ってみた。すると例の悪魔がまた話しかけてきた。


「約束通りに、あの娘の命の代わりにあんたの命をもらった」


「なに言ってるんだ。俺はまだ生きているぞ。そうじゃないのか?」


「あの娘は手術中に確かに一度死んだ。そこで娘に、お前さんの命を送り込もうとしたところが、手術をしていた医者がよ、何をどうやったのか38分後に自力で娘を生き返らせちまったんだ。とんだ計算違いだよ。だから、お前さんの命を38分だけもらっておくぜ。ちぇ、手間賃にもならねえ」


「38分……」


「ひひひ。じゃあ、またな」といった切、悪魔の声は聞こえなかった。


そのとき、トイレの前を通る看護師のひそひそ話が耳に入った。


「ウチの大門寺先生、すごいわねえ。大門寺先生じゃなかったら、あの娘さんは助からなかったわ」


「さすが、『ゴッド・ハンド』と呼ばれるだけあるわ」



おわり

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『悪魔と取引』 N(えぬ) @enu2020

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