おれはたってるおれとわかれた

 泣きだすか、よろこぶか。

 あるいはそのどっちとも。

 美玖みくがマンガやドラマでみてきた、ピンチを助けられた女の子たちはみんな、そういう反応だったと思う。


 ――――自分は?


 そのどっちでもない。

 どころか、


(そんな……ずっと鏡でみてきたあいつの顔なのに……) 


 前髪に入れた金色のメッシュが垂れる眉間に、いくつも立っている黒い線。あごを引いて相手を鋭くにらみつける、ギラギラと燃える瞳。ありったけの怒りを内側に含んでいるような、さわれば爆発しそうに危うい顔つきである。

 まるで人が変わったような。

 ありえない。

 助けにきてくれたのに安心できなくて、逆に恐怖を感じているなんて。

 永次かれは、廃墟ホテルの一室にとらわれた私のためにきてくれたのに。


(……)


 空気の流れにのった血の匂いが、ツンと鼻をつく。

 背筋に寒気がはしる。

 小学生や中学生のときに何度か経験したことがある、男子がケンカをはじめる前の雰囲気。それに似ていて、それとはくらべものにならない、もっとすごい〈暴力〉の予感。

 こわい。


(……いや。私、こんな最低の自分を……あいつに見られたくない!)


 美玖は顔をそむけた。


「いつまでその体勢してんだ、倉敷。ケツを一生つかいものにならねぇほど、蹴りつぶしてほしいのか?」

「…………ふっ」


 彼女を組み敷いていた倉敷が、余裕の表情を浮かべてゆっくり立ち上がる。

 そして、世良せらのほうをふりかえった。

 アフロヘアーがななめに傾く。両手を左右に大きく広げる。


「誤解だって誤解! 美玖さんから、おれを誘ったんだぜ~?」

「みじかい間に、ずいぶんクズのツラになりやがったな」一歩、間合いをつめる。「覚悟しろや」

「まーまー」けだるそうにアフロの頭をかく。「ところで世良よ」そばにあったガレキの山の上に、すわりこんだ。「おまえと彼女が家族ってのは、あれはウソなんだろ? 偶然、同じタワマンに住んでたってだけだ。な?」


 グレーのブレザーの内側に右手をさしいれて、そのまま動きをとめる。

 倉敷のその手は、内ポケットから出てこない。


「なぜって部屋番号がちがう。家庭内別居? そんなら、べつのマンションに住めばいい」

「倉敷……」

「おーーーーっと」世良に手のひらを向けた。「うごくんじゃねぇぞ。おれはスマホをにぎってる。こっから、ちょっとタップするだけで仲間どもに合図がいくんだ。おまえらのタワマンにへばりついてるヤツらにな」


 えっ、と美玖が息をとめた。

 世良も、彼がなにを言おうとしているのかを理解して、苦い表情になる。


新名あらなの弟のほうはともかく、世良んところの〈三姉妹〉ってのは魅力的だなぁ、おい」

「……てめー」

「うごくなっつってんだろうが!!!」ばっ、と靴の底で空中をけるアクションをする。「いま主導権はこっちにあんだよ。この時間は……そろそろ部活でエースやってる七歌ななかちゃんが帰ってくるころか。おれは年下の女なんかに興味ねーが、はっ、それでも〈14才〉ってのはおいしそうじゃねーか」

「妹に手をだしたら殺す」


 美玖の鼓動がはやくなった。

 世良がただのおどしでそう言っているのではないことがわかり、不安になったからだ。

 きっと、この人は言葉のとおりにするだろう。

 誰もそれを、止めることはできない。


「そう熱くなるなよ」

「……スマホを出せ。倉敷」

「おまえ、SNSはやってるか?」


 あまりにも場違いな質問で、世良も美玖も不意ふいをつかれた。


「――って、そんなクチじゃねーよな。美玖ちゃんはどうだ?」


 きっ、と肩ごしに世良が目線を送った。

 返事をするな、といっているように美玖には思えた。


「おまえら〈炎上〉って言葉は聞いたことがあんだろ? あれってなかなかバカにできねーんだ」


 世良が舌打ちする。


「時間稼ぎか。ここに援軍がどれだけ来ようが、おれの相手にはならねぇ」

「ばればれか」はははと倉敷が高笑いした。「ネットに掲示板ってやつがあるだろ? あまりワルをやりすぎるとよ、そっちで実名や学校や住所が特定されたりしてな、ま……、シャレにならんことになる。〈リンクズ〉のセンパイがたもそれでやられちまった。が、おれはそうなるのだけはゴメンさ」


 だったら! と、倉敷は声のトーンを上げる。


「匿名で」内ポケットから右手を抜き、左手もあげて、こめかみのあたりにもっていく。「完全に正体をかくして」髪の中に両手がめりこんだ。続いて〈パチン〉〈パチン〉と音がする。「やりゃあいい、ってことよ」


 大きなアフロヘアーが王冠のように持ち上げられ、地面に投げ捨てられた。


「不良の集まりに身分証なんか必要ないからな」


 立ち上がって、さっ、と前髪をかきあげる。

 あざやかな発色の、かがやくような金髪。

 数センチ上の位置から、静かに世良を見下ろす。


「どうした? イケメンすぎて声も出ないか? アフロよりこっちのが全然いいだろ?」

「ふざけるな。おれは、あきれてんだぜ」

「あ?」

「こそこそ変装しなきゃロクに不良もやれない、おまえに―――――――なっ!!!」


 いいストレートだった。

 ほぼ予備動作はなく、自分と相手をつなぐ最短距離をすすみ、地面をふみしめてパワーものっている。


(……なんだと) 


 世良はわきばらをおさえた。

 倉敷のショートフックが、そこに命中していたからだ。ストレートがくうを切った、0.5秒後に。


「どうした? パンチにいつものキレがないぞ世良」

「ちっ」


 世良は数歩、あとずさった。

 そして横目で美玖をみる。

 彼女の応援を期待したわけではなかったが、それでもなにか、自分から強さを引き出せるようなものが欲しかった。それは「がんばって」の一言でいい。「しっかり」でもいい。「お願い」だっていいんだ。


(美玖……)


 世良は、カンがいい。

 無言で目が合っただけで、今の彼女の胸のうちを見抜いてしまった。

 おそれている。

 この状況を。殴り合いを。不良たちを。倉敷のことを。おそらく自分のことも。


(そうだよな。しょせんおれは)


 美玖とはすむ世界がちがう。

 思い知った。

 このときの彼女の態度は、のちに世良にある行動をとらせることになる。


(いまはケンカに勝つことだけを、考えればいい)


 右足を強くふみだした。

 倉敷の口元がうごく。


「まさかとは思うが、おまえとおれのこれまで計八回の〈決闘〉……あれマジだと思ってねーだろうな」

「あぁ?」

「あれは茶番だぞ茶番。わ・ざ・と、おまえに負けてやってたんだよ」

「……なにを言ってやがる」

「負けキャラは愛されっからな~~~。げんにまわりには、『次は勝てるっス』とか『倉敷サンに一生ついていくっス』とかって無邪気なやつらばかりよ。わかるか? おれはそんなバカたちを隠れみのにして、本当のワルをやれるんだ」


 ぶぉん、と世良の右フック。

 おっと、と倉敷はあっさり上体をそらしてかわす。


「そういや学校からでてきた時点で、おまえはもうケガしてたよなぁ? やったのは南雲なぐもか? ヤツはいい仕事をしたな。おまえの足止めのために、前もって南雲をきつけておいた甲斐かいがあったってもんだ。そこから今日の計画ももれちまったようだが――」

「ごちゃごちゃと!」


 世良が背中を向けた。

 回し蹴りだ。

 とっさにガードした倉敷だったが、


「がっ⁉」


 ガードごと撃ち抜かれた。

 右からの攻撃を受けて、左に体がよろける。


「…………やっぱりケンカバカだな。ナメてると、足元をすくわれる」

「倉敷ぃ!」


 こぶしで打ちつける。何度も何度も。

 だが、わきをしめた両腕でかたく防御にてっされて、有効なダメージは入らない。


「はあっ、はぁ……っ、……この野郎が」


 世良のラッシュがとまった。

 ガードのスキマから、ふ、とくちびるをゆがめて倉敷が微笑する。

 そのとき、


(!)


 美玖も世良も、そして倉敷も同時に気づいた。

 パトカーのサイレンの音に。

 まだ遠いが、確実に大きくなっている。つまりここに近づいている。


「あーだりぃ」


 倉敷が首をもむ。


「やめた。わるいがおれは逃げるぜ、世良」


 片手をあげつつ、くるりと体をターンさせた。

 世良は美玖をみる。

 無理にケンカをつづけたら、まちがいなく警察にみつかってしまう。そのことは学校にも伝わるだろう。となれば、美玖が男たちにラチされたという噂がたつのは時間の問題だ。


(……)


 潮時しおどきか、と世良はあきらめた。

 ただし、それはあくまでも〈今は〉という限定つきである。

 部屋の外に出て、うしろ姿に声をかけた。


「まて」

「またねーよ」と、倉敷はこっちにすら向かない。すでに廃墟ホテルの通路の奥まですすんでいて、その姿は闇の中だ。

「おまえに決闘を申し込む」

「……」

「男のプライドが一ミリでも残ってるなら、受けろ。時間は今夜の午前0時。場所は、おまえが8回もおれを呼びだしたあの場所だ。わかるよな?」

「……」

「必ずこい。必ずだ」


 返事はない。

 世良は部屋の中にもどって、美玖に声をかける。


「立てるか?」

「たっ、たたた、た」舌が空回りして、うまく発音できない。「たてるから!」


 むん、と両足をふんばって、両手を腰にあてる。


「ほら!」


 しかし、こまかい足のふるえを世良は見逃さない。


「きゃっ!」

「こんな持ち方で、女を抱く日がくるとはな」


 俗にいう、お姫さま抱っこ。


「乗ってきた自転車は、やぶん中にかくしてる。あとでとりにくるさ、大事な借りモンだからな」にぃ、と世良はくちびるを斜めに曲げた。その表情を至近距離で見て、すこし美玖の顔が赤くなる。「とりあえず車が通る道まで出て、タクシーで帰るか」

「…………うん」


 うん、じゃない。

 うん、じゃないの。

 まず「ありがとう」でしょ?

 どうしてそれが、そんなことすら、言えないのかな。

 美玖は目をつむる。

 つよいストレスや疲労の反動で、世良に抱かれたまま、すぅっと眠りに落ちてしまった。

 時間が飛んだようだった。

 目が覚めると、すでに家の中だった。

 タワマンのエントランスのソファに横たわっている。

 体を起こすと、すぐに声をかけられた。


「みくぴ!!! 起きた? もう平気? 体にキズや痛みはない?」

「モカ」ツインテールのシルエットが、起きたての目にぼんやりみえる。


 そばには、親友の井川いがわ友香ともかがいた。

 ゆっくり記憶がよみがえってくる。

 放課後に車で連れ去られたこと、廃墟ホテルのこと、そして―――――


「え、永次は!」

「えっ?」

「時間は……いま何時っ⁉」


 答えも待てずに美玖はスマホをとりだして、あわただしく電話をかける。時刻は9時すぎだった。


「出ない! 出てくれない! どうして……」

「お、落ちついてって、みくぴ。永次って世良先輩のこと? 先輩がどうかしたの?」

「モカ。あいつがどこにいるか、知らない?」


 もちろん美玖は、廃墟でのあの会話をきいている。

 決闘だ――と。

 時間はわかったが、美玖には場所がわからない。

 というより、世良はあえて、美玖がわからないような言い方をしたのだろう。


 美玖が絶対に、そこにないように。


「知らない……。ごめんね、みくぴ」

「ううん、こっちこそごめん」ぎゅっ、と親友をハグした。「ありがと。私、何もされなかったよ。永次が助けてくれたから」

「うん……よかったよ……」


 美玖はいったん帰宅することにした。モカもついてくる。

 今日の放課後の出来事のあと、モカから警察へ、警察から美玖の家へ、と当たり前に連絡がいっていたが、


「友だちのノリで、ちょっと悪ふざけしすぎまして…………」


 と彼女の口から両親に説明してあやまったことで、なんとか収拾しゅうしゅうはついた。


「じゃあ、また明日ねみくぴ」


 夜もおそいので、美玖の母親が車でモカを送っていくことになった。

 そして、駐車場で意味深なウィンクをしたモカから30分後にラインが入る。


 ぜんぶ先輩にたのまれたの


 と。


 車でラチされたことが広まったら、

 美玖がヘンな目でみられるから、って


 と。

 世良に呼び出されてタワマンについたら、ソファで眠る美玖と、そのそばでじっと見守っている彼がいたらしい。そこで、ふかく頭を下げられて懇願こんがんされたという。


(……)


 何度電話をかけても、つながらない。

 もしかしたら、ずっとつながらないような、そんな気さえする。


(決闘なんか、しないでよ。しなくていいよ)


 美玖の目に涙がにじむ。


(永次は一対一のつもりだろうけど、あの男は絶対に仲間をたくさんつれてくる―――)


 向こうが来ないのなら、それでいい。

 むしろ来ないほうがいい。

 彼をめたい。

 なんとしても止めたい。

 たくさんの不良を一人で相手にするなんて……もしも最悪のことになったら……


(ないない! あいつは、ウソみたいに強いんだから)


 そう自分に言い聞かせても、美玖の不安は消えない。

 やがて時間がすぎ、時計の針が二つ、一番高いところで重なろうとしている。

 そこで、沈黙していたスマホがガタガタガタとテーブルの上でふるえた。


「え……永次!? 永次!!」

「なんだよ。人の名前を安売りみたいに何回も呼びやがって」 


 口元だけで笑う、あの不敵ふてきな表情が目に浮かんだ。



「美玖。大事な話がある」



 はっ、と美玖は胸元をおさえた。

 ドキドキがはやくなる。

 この切り出しかたは、半分以上ネタバレしてるようなものだ。


 ――――告白。


 心の準備をしなきゃ、と思っているうちに世良は言った。

 心がえたような、細く小さな声だった。



「おまえとはもう、二度と会うつもりはねえ」


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