おれのかていとおまえのかてい

 病院おくり、と聞いても世良せらはうろたえない。

 むしろ「元気があっていいじゃねぇか」ぐらいの感想だ。

 が、美玖みくの顔面は蒼白そうはくだった。


「弟が病院に……? どういうことよっ!」

「知らねーよ」つかみかかる世良のゴツい手を、か弱い乙女の美玖の手がはじく。「心配すんな。もう自宅にもどってるってさ。よかったな」

「よくないでしょ!」

「何か騒がしいと思ったら……めずらしい組み合わせね」


 今、世良と美玖がいるのは学校の中庭の噴水前。

 そこに、メガネをかけた利発りはつそうな女子が歩いてくる。


永次えいじくん」と、世良(中は美玖)に話しかけた。「まさか、この子に悪さしてるんじゃないでしょうね?」

「なにを言いやがる」話しかけられていない世良(美玖の中)が、つい反応してしまった。「おまえは昔っから、そうやって決めつけでモノを言うよな」

「おまえ? 決めつけ?」そして、ギラッと彼女のメガネの奥の目が光った。「昔から……?」


 美玖はいったん弟のトラブルを棚に上げて、目の前の状況に対応することにした。

 彼女の頭の回転は早い。


「が、がはは。ほんとに失礼きわまりねーヤツだ。な? わかっただろ?」と、親しげにメガネの女子の肩にさわって、もう片方の手の親指で美玖の体をさす。「この女ぁ、クチのききかたがなってなくてよー。ちょっと、お説教をしてたところさ」

「たしかに、初対面の人間に『おまえ』っていうのは、あんまり良くないけど……」


 だろ? と言いつつ、美玖は世良に目くばせした。

 これでオッケーだと思ったのだ。あとは調子を合わせてくれればやり過ごせる。

 しかし、世良は彼女の思うとおりには動かなかった。


「おヒナ」犬猫をはらうように手で〈しっしっ〉とする。「いま、取り込み中だ。あっち行ってな」

「え?」

「だから、あっちに…………」そこで世良はやっとミスに気づいた。「そっか、おれは体が」


 あわてて、美玖が世良の口をおさえた。


「『おれは体に自信がある』! ねっ、そう言いたかったんでしょ……だろ? ほんと自信が鼻につくヤツだぜ。女子のくせに『おれ』とか言うし」


 口をおさえていた手をひきはがす世良。


「自信だとぉ~? いや、そうじゃなくて体が入れ――」


 くるっ、と細身の美玖の体を、世良の中の美玖が回転させた。

 メガネの女子からは、二人の背中しかみえない。

 以下、小声。


「……かくさなきゃダメでしょ!」

「あん?」

「話が大きくなって、ウワサが広まったらどーすんのよっ!」

「気にしなきゃいいだろ」

「すーるーのっ! 第一、こんな体じゃ悠馬ゆうまと……」

「べつに男同士でもできなくはないぞ?」

「は、はぁ⁉ どどど、どういう誤解してんのよ! 悠馬と顔を合わせられないって言いたかったのっ!」


 ちょっと、とうしろから声がかかる。

 宮入みやいり雛子ひなこは、しびれを切らしていた。腕を組んで、指先をトントンとタップしている。


「仲が良さそうで何よりね。私の早合点はやがてんだったのかな」

「そういうことだ、おヒナ」と、美玖は先ほどの世良が彼女をそう呼んでいたので、そう呼んだ。「い、行こうぜ、新名あらな


 逃げるような形になっているのが、世良は釈然しゃくぜんとしない。

 でもまあいいか、と美玖に背中を押されるまま、中庭を出ていく。


「ふう……先が思いやられるんだから、まったく」

「ははっ。まー気楽にいこうや」


 すこし内股うちまた気味に歩く大柄な男子と、頭のうしろに両手を回してガニ股ぎみに歩く女子。


「で、さっきの人は誰?」


 ああ、あいつは――と彼女のフルネームを伝える世良。


「おれのハトコなんだよ」

「ハトコ? イトコじゃなくて?」

「イトコじゃねーよ。わかりやすくいうと、おれの親父の親父の妹の娘の娘だ」

「全然わかりやすくないでしょ……それ……」


 なるべく人目のない場所をさがして、二人は校舎の中を歩く。


「ちょっと。もっとはなれてよ。つきあってるように見えるじゃない」

「へいへい」


 美玖の手にはスクールバッグがあったが、世良は手ぶらだった。

 何も持たずに登校&下校。これが入学時以来の彼のスタイルだった。


「このへんで、いいんじゃねぇか?」


 つきあたりに校長室がある廊下。静かで、まわりには誰もいない。

 横に窓があって、外の空は夕焼けで真っ赤に染まっている。


「美玖。さっきも言ったが、おれはあの男への告白を成功させる。絶対にだ。そこんところは、いいな?」

「いいけど……私の体なんだから、あまりムチャしないでよね」

「体といえば――」世良は、なんでもないことのように言った。「おまえ、いい体してるよな」


 一瞬で、美玖はフリーズした。

 喜怒哀楽のどの感情になればいいか、わからなくなったためだ。


「細っちーけどバネがある。なんか運動部とか入ってたり……ん? 美玖、どうした?」

「……そうだ……お風呂に入ったら、みられて当然じゃん……私、お父さん以外の男の人には誰にも、みせたことがないのに……」

「どうしたんだよ、ブツブツ言って。おれがハダカみたこと、気にしてんのか?」


 当たり前でしょ、と美玖が絶叫しようとした寸前、


「きゃっ!」


 廊下の窓枠の下から、何者かがヌッとあらわれた。


「……」

「おー、マキじゃねぇか」


 髪の色が赤い男子。長い前髪で両目がかくれていて見えない。


「この人……」美玖は昨日の河川敷でのことを思い出した。「あっ! バイクの人だ!」

「……」

「今から〈おれの体〉の配達、よろしくたのむわ」

「配達って何よ」

「美玖。あのな、男には家を出たら七人の敵がいるんだ」

「はぁ?」

「あっちこっちに、スキあらばおれにリベンジしようってヤローがいるんだよ。それとも美玖、おれのかわりにケンカしてくれるのか?」

「バカいわないで。絶対いやよ、そんなの」

「なら、帰りはこいつのバイクに乗って帰ったほうがいい。朝はともかく、夕方から不良どもは活発にうごきだすからな」

「……」

「ほれみろ。マキも、『そうしろ』って言ってるぜ?」


 ん? と美玖は首をかしげた。

 赤い髪の男子――名前は真木まきという――は、なんにもしゃべってなかったはずだ、と。

 彼の声が小さすぎて、聞こえなかっただけ?


「……」

「はは。『はやく来い』ってさ。そう急かすなよ、マキちゃん」

「え? この人、なにも言ってなくない?」


 世良は美玖の耳元でささやいた。


「こいつ、クチがきけねーんだ。察してやってくれ」

「えっ」


 真木はふだん声を発することがない。

 原因は、幼児のころの親からの虐待にある。

 世良と出会ったときも無言だったが、いつのまにか二人は親友になっていた。ひとつも言葉を交わすことなくである。


「うーん、見た目ほどあぶなそうな感じじゃないから、お願いしても……」はっ、と美玖の目が見開いた。「なんでこの人、ナチュラルに私とあなたの入れ替わりを受け入れてるの!」

「朝イチで、こいつには全部話した」そして世良は胸をはって言う。「心配すんな。信頼できる男だ」


 駐輪場に移動。

 ヘルメットをかぶってバイクのうしろにのった美玖に声をかける。


「気をつけてな。んじゃ、たのんだぜ」

「……」こくり、と真木はうなずいた。


 走り出したバイクは思ったよりも安全運転。

 風景を楽しむ余裕すらあった。


(バタバタして忘れてたけど、私、フラれたんだよね…………)


 ヘルメットの中で、美玖は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

 世良は口笛を吹きながら悠々ゆうゆうとバスに乗って、二人は問題なく帰宅できた。


(さーて)


 現在ふたつある問題のひとつ。

 美玖の弟のケンカの件だ。


「おう、邪魔するぜ」


 レバー状のノブを動かそうとすると、がしゃっ、と抵抗があった。カギがかかっている。


「おーい、かわいいお姉ちゃんだぞー。あけてくれーぃ」

「……うるさいな。どっか行けよ」


 ここで実の姉の美玖なら「うっ」と心が折れただろう。

 しかし、今の美玖の中身は世良である。

 弟からは見えないが、ドアごしに満面の笑みを浮かべていた。

 反抗的な少年、は彼の大好物なのだ。もっと言えば、反抗的な少年の性根をたたき直すことが、である。


「意外と度胸ねーんだな」

「え?」

「姉ちゃんと顔を合わすのすらビクついてたんじゃ、そりゃケンカにも負けるぜ」


 2秒後。

 ドアがあいた。


(ご対面)


 世良は内心ニヤニヤしながら、その弟を観察した。

 身長は160後半。体重は軽め。格闘技の経験なし。体幹は弱そう――ま、わるいがワンパンでしまいだな……って、ケンカするんじゃねーんだよ。

 髪はうっすら茶髪にしてるが、ま、ただグレにあこがれてるだけの中坊ってトコだな。


「なんだよ急に男言葉なんか使ったりして……どういうつもりだよ」

「まーまー」と、強引に部屋に押し入る。「で、どんなケンカだったんだ? お姉ちゃんに教えてみな?」


 がちゃり、と無言でカギをかける弟。

 ドアのネームプレートにはひらがなで〈たいち〉とかかっていたのを世良は確認している。

 弟の名前は新名あらな太一たいち

 美玖より年が3つ下の14才。中学二年生。

 まだ学校の制服を着たままで、部屋着に着替えていなかった。

 ちなみに、今の世良の格好は白Tにピンクのショートパンツ。一応、胸には水色のブラもつけている。

 太一は机の前のイスにすわり、世良はフローリングに置かれた座椅子にすわった。


「だまってんなよ。おまえのターンだぜ?」

「美玖さんには関係ないだろ」


 姉を「美玖さん」と呼んだことに違和感があったが、とりあえずスルーする。

 先に結果をいえば、このスルーはすべきでなかった。

 新名家あらなけの事情がわかってさえいれば、今みたいに世良はショートパンツであぐらをかくという行為は控えていただろう。


「まあな」ゆるふわの黒髪に手をさしいれ、ダルそうに首をもむ。「説教とかじゃなくてよ~、単純に知りたいだけなんだ。今日のおまえのケンカを」

「知りたい?」

「みたとこ、あんまケガはねーな。骨もいってねーし。なんでこれで病院おくりになったんだ?」

「……ゲーセンで……」

「男だろ。もっと大きな声でしゃべれ」

「だから、ゲーセンで高校生にカツアゲされそうになったんだよ。イヤだって断ってたら、いきなり後頭部をなぐられて」

「へー」

「あっというまに店員がきて、警察もきて、救急車も呼ばれて……ってわけだよ。これで納得しただろ」


 世良は納得して、納得してなかった。

 世良の目は〈ある部分〉を見逃していなかった。その変化を。


(ミョーに盛り上がってるような……)


 美玖の弟の太一の体の下のほう。

 イスに座っているが、ズボンのジッパーを〈ぐん〉と押す何かがあるのがわかる。

 いやいや、と世良は心の中で首をふる。

 きょうだいの体でコーフンするわきゃねぇ。

 もしコーフンすんなら、こいつは変態だ。

 少なくともおれは、ハダカの姉キをみても妹をみても、ピクリとも反応しないからな。


(あ! そうかそうか……カギかけてたり呼びかけに反応わるかったりって、そっちだったか)


 世良は苦笑した。

 なるほど、14かそこらといえば、男なら誰でもサルになる時期だ。

 こいつもサルになってたわけだ。

 邪魔をして、わるかったな。


「納得したよ。だがな、お姉ちゃんひとつだけ気になるんだ。カツアゲしたヤツって、どんなヤツだ? 知ってるヤツか?」

「知らない……でも……たぶん有名なヒトだよ」

「あ?」

「髪がアフロのヤンキー」


 世良の目がけわしくなった。

 アフロだと?

 この界隈かいわいでそんなおかしな髪型の不良は、あいつしかいねぇ。

 倉敷くらしきだ。


(あいつは中坊からカツアゲするような男だったか?)


 何度もケンカをした中で、多少はわかりあえたと思っていた。

 そんなチンケなことはしない男だと思っていたが。

 しかし世良の頭の中の不良のリストには、アフロヘアーはその男しかいない。


(まったく……)


 世良はやるせない思いで、ゆっくりと立ち上がった。


(倉敷め。きょうだいがやられたケジメは、しっかりとつけさせるからな!)


 決意をかためて部屋を出ていこうとするも、カギがかけられていてレバーが動かない。その刹那せつな



「美玖さん!」



 背後から抱きつかれた。



「ぼく、我慢できない!」

「あ? わかってるよ。だから出てってやろうとしてんだろ。一人になったら好きなだけ―――」

「美玖さん!」


 あたってる。

 世良の臀部でんぶに、太一のったモノが。

 さらに、弟は姉の胸に手をまわしてきたが、


「ぐっ‼」


 世良のひじうちのほうが速かった。

 うずくまる太一。


「おまえ……血がつながった姉キに、何しようとしてんだ? もしかして変態か? あ?」

「つながってないよ……ぼくは、母さんの連れ子だから……」

「なんだと?」


 そんな事情があったのか、と世良は美玖が抱えていた悩みを一つ知った。

 知った以上、なんとかしてやらないといけない。


「美玖さん……」

「太一」世良は床にひざ立ちして、彼の両肩をつかんだ。「おれ……じゃない、私には好きな男がいる。そいつのことを思えば涙を流すぐらい好きな男なんだ」

「……うん」

「姉キの幸せを願うのが弟ってもんだろ? だから明日からは、ほかの女のケツを追え。いいな?」


 世良は部屋を出た。


(女のケツか)


 自分で言っておきながら、自分はそんなものを追ったことがない。


(アレがたたないおれが、誰かを好きになってもよ……)


 廊下の壁にかけられた大きな鏡をみる。

 そこには美玖の顔が映っている。

 ニカッと笑う。いい笑顔だ。愛嬌のある女だぜ。こいつ、あの悠馬ゆうまってヤローと、幸せになれるといいな。


 いっぽう、そのころ――


「ちょっ、さわるなって!」

「兄キ、もっかい、あのギンギンをみせてくれ! たのむっ!」

「くるなー‼ 変態ーっ‼」


 家のリビングで中学生の妹に、美玖はケツを追い回されていた。

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