三十五時間遅刻の言い訳

冲田

三十五時間遅刻の言い訳

 夜の十時。世界に拒絶された僕は、古いビルに入った。セキュリティなんていう観念がないんだろう。いとも簡単に屋上に上がることができた。


 フェンスに手をかけて、真下を覗き込む。足元からお腹にかけて、ぞわりと悪寒が走った。でも、こんなことで僕の決意は揺るがない。


「気をつけて。ここのフェンス、ところどころ壊れてるよ」


 だれもいないと思ったのに女性の声に急に話しかけられて、僕はびっくりして振り返った。


「ほら、そこなんて、最近はずれちゃったんだから」


 いつのまにか僕の隣に立ったOLっぽい女性は、屋上のある一角を差した。たしかに、フェンスの一つが外れていて、トラテープやカラーコーンで人が近づかないように封鎖されている。


「いいんですよ。僕は落ちに来たんですから」

「高校生……くらいだよね。自殺志願者ってこと? イジメとか?」

「これから死ぬ男のこと知って、どうするんですか」


 僕はイライラしながら、カラーコーンでふさがれたその先へと足をみ入れた。

 さえぎるものがないビルの端に立ち、決心が鈍らないうちに、そこの女にとやかく説教されないうちにと、飛んだ。




 ピピピと、目覚ましのアラームが鳴る音で目が覚めた。


「は……? どういうこと?」


 確かに僕は、高いビルから飛び降りたはずだ。万が一失敗していたとしても病院にいるはずだし、普通にいつもの朝のように自室で目覚めるのはおかしい。

 アラームを止めがてら携帯の画面を見ると、飛び降りたその日の朝だった。


 そして、一度経験した同じ一日が繰り返された。

 夢であるはずはないし、走馬灯ではないだろうし……。ということは、なぜか、時間が巻き戻っている。



 夜十時。僕はもう一度 古いビルに入った。


「気をつけて。ここのフェンス、ところどころ壊れてるよ」


 今度はこの女性の声に驚かなかった。


「あなたはなんで、こんな時間にこんなところにいるんですか?」

「教えないといけない?」

「……いえ。よく考えたら知っても何にもなりませんでした。僕、今から死ぬんで」

「高校生……くらいだよね? あの……」

「何言われても、僕の決心は揺るぎませんから。一回できたんだ。二回目なんて楽勝だ」


 最後はほとんど独り言だ。フェンスの無くなった場所にもういちど立ち、今度こそと、飛んだ。




 ピピピと、目覚ましのアラームが鳴る音で目が覚めた。


「マジかよ……」


 また同じ朝。また同じ一日。いったい、これはどういうことなんだろう。

 夜、僕はりもせず古いビルに登った。時間は試しに変えてみて、夜十一時


「気をつけて。ここのフェンス、ところどころ壊れてるよ」


 女性はまだいた。僕は無視してフェンスのないビルの端に駆ける。

 なんとなく、この女性と話すのがダメなのかもしれないという気がしていた。まったく関係ないかもしれないけど。


 今度こそ、今度こそ! 戻るならせめて、今日じゃない日に戻れ! そうしたら、あの女性に会わなくて済むから!




 ピピピと、目覚ましのアラームが鳴る音で目が覚めた。

 携帯の画面を見ると、飛び降りた日の前日だ。願った通り、違う日付に行くことはできた。願った通りに死ぬことはできなかったけれど。


 今回は学校に行かずに、朝からあのビルに向かった。当然、ビルには会社員たちが出社していて、夜とはまるで違う雰囲気だ。ただ、幸いというかなんというか、学習塾が入っていたので、僕がビルの中にいてもまったく気にされることはなかった。



「気をつけて。ここのフェンス、ところどころ壊れてるよ」

 屋上でまた、あの女性に話しかけられた。


「何でいるの⁉︎」

「え? どういうこと?」

「一日中いるの? 毎日いるの? それとも偶然?」

「一体……なんの話?」


 僕は、せきをきったように 今までのことを女性に話した。

 飛び降りても飛び降りても、時間が巻き戻ること。そしていつ来ても、彼女に話しかけられることを。

 彼女は、少し驚いた顔をしながらも疑う様子はなく、僕の話を聞いていた。


「そのループが起こるのが私のせいかどうかはわからないけど……。きっと毎回、死んでほしくないなぁと願ってはいたと、思う」


 話を全部聞いたあと、女性は言った。


「僕のこと何も知らないくせに、無責任な願いだよ。偽善ぽいし。本当にそのせいで何度 飛び降りても失敗してたんだったら、いい迷惑」


「確かにね。君の立場からしたら、そう。けど、その願いは偽善とかじゃなくてね。ただ、もったいないなぁってだけの気持ちだと思う。

 ── 私ね。一週間前、そこの壊れたフェンスの場所から、落ちたの。死ぬつもりなんてまったくなかった。仕事で失敗して落ち込んで、ちょっと気晴らしに屋上から景色を見ようと思っただけだった」


 壊れていると知らずにフェンスに寄りかかった女性は、フェンスと一緒に屋上から落ちた。

 つまり、この、目の前にいる女性は幽霊だということだ。どおりでいつ来てもいるはずだ。

 不思議な体験をした後だからか、簡単にそう、に落ちた。


「私は、生きたかったなぁ。だから、自分で飛び降りようとしてる人見たら、もったいないって止めたかもね。ああ、それが偽善者になるのかな?」


「よくわかんない」


 生きたいという気持ちも、もったいないと思うのも、この女性が偽善者なのかも。

 けれど、この名前も知らない女性が死んでしまっているというのは、もったいない事だと思った。


「僕らが初めて出会った十五日の夜十時。お互い生きてたら、またここで会おうよ」


 僕は女性にそう言って、ビルから飛び降りた。




 ピピピと、目覚ましの鳴る音で目が覚めた。

 携帯を見ると願ったとおり、はじめに飛び降りた日の一週間ほど前。事故が起こる日の朝だ。

 僕はビルに向かった。


「気をつけて! ここのフェンス、ところどころ壊れてるよ!」


 ビルの屋上で女性をみつけて、僕は叫んだ。



 それから一週間たった。約束の十五日、夜の十時。

 屋上に、女性はいなかった。


 そうだ。僕はバカだ。幽霊の女性と約束をしたんだから、生きている彼女が僕との約束なんて知るわけがないのだ。


 念のため、次の日の夜も屋上に行った。やっぱり、彼女は来ていない。

 次の日の朝、これを最後とするつもりで屋上に向かった。彼女はこのビルで働いているのだから、ひょっとしたらまた屋上に来るかもしれない。


「気をつけて。ここのフェンス、ところどころ壊れてるよ」

 女性の声が言った。


「初めまして? それとも、会いに来てくれた?」


「会いに来た。 ごめんね。言い訳すると、ついさっき、約束とか全部、思い出したんだ。そうしたら、いてもたってもいられなくなって。すごく不思議な感覚なんだけど……」


「三十五時間遅刻なんですけどね」


 僕は来てくれた嬉しさを隠すように むくれてみせた。



 end

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