佇む牛頭 作:秋月渚

『やぁ、久しぶりだね。いやはや、このようなことで君に連絡をするのはとても気が引けるのだけれども……。こういう出来事は君の得意分野だったと思い出してね、こうして筆を執ったというわけなんだ。あまり楽しい話ではないが、ぜひ最後まで読んで力を貸してほしい』


 そんな書き出しから始まった手紙がしがない作家の私のもとに届いたのは、冬の存在が目の前に迫ってきたある週末の事だった。差出人は高校時代の知人であり、数年前の同窓会以来特に連絡を取っていなかった奴だった。特段仲が良かったというわけでもないが、どうやら内容は私の得意分野に関することらしい。一体何についての話だろうかと思って私は便箋の続きを読み進めた。


『突然だが、君は「牛の首」という怪談を知っているだろうか。昔からオカルトが好きだった君の事だ、ネットでも有名なこの怪談を当然知っていることだろう。今回連絡したのはまさにその「牛の首」に関わることなんだ』


 なるほど、確かに私は学生の頃にオカルトを好んでいたのは事実である。さらに「牛の首」というのも有名な怪談である。しかし……「牛の首」というのは「とてつもなく恐ろしい怪談である」というものであり、具体的な内容が存在していないという特徴があるのだ。これに関わること、というのは一体何事なのだろうか?


『私がこの出来事に巻き込まれたのは、二週間前のことだ。仕事の関係で上司とともにSという町に行った時、手違いで宿を取り損ねてしまってね。急遽近くの宿にお世話になることになったんだ。そこで女将さんから聞いた話によると、今でこそ住宅が増えてあまり見られなくなってしまったが、昔は多くの家が牛馬を飼育して生活していたらしい。それ故に牛馬に関する昔話が多く残っているらしく、その内のいくつかを聞かせてもらったんだ。その中に一つ、「牛頭」と呼ばれて伝わるものがあった。かなりざっくりと話すと「この付近ではごくまれに牛と頭を取り換えた子供が生まれるらしく、その子供は精度の高い予知をして死んでしまう」というものだった』


 どうやら、彼は非常に珍しい言い伝えが残る町へと出かけていたらしい。「牛と首を取り換えた子供」という表現は寡聞にして知らないものであったが、奇形児か何かの暗喩だろうか。そしてその次の「精度の高い予知をする」というのは、直前の表現から体が牛で頭が人であるくだんという妖怪の特徴であると考えていいだろう。件という妖怪は牛から生まれるものであること、そして奇形児が生まれやすい血筋がこの地域にあったとすれば、このような伝承が生まれるのも納得できる。しかしそれだけでは彼が私に頼るほどの事でもない。それに便箋はまだまだ残っているのだ。読み進めてみよう……。


『最近になって件について知る機会のあった私は、「恐らくこれは件の伝承が何らかの形で別の話と混じったのだろう」と当たりをつけていた。酒の席の話であったし、女将さんも半信半疑といった様子で話していたから私たちもそれほど本気にすることもなかった。しかしその日の夜、どうにも寝付けないので窓の外を見ていたら宿の門の外に奇妙な人物が立っているのが見えた。背丈は百五十センチほどで、ボロボロの布をマントのように纏っていた。そして何より、頭が明らかに人間ではなく牛のものだったんだ。牛の骨を頭に被っているとかそういうものでもなく、本当に頭が牛だった。そいつは宿の庭先に入り込んで庭の一点をしばらく眺めた後、ゆっくりとした動作で宿から出て行った。私は恐怖のあまり動けずに、窓枠から目だけを出すようにしてその様子を見ていた。翌朝そのことを女将さんに話すと、どこか困ったような顔で近くの寺に行くことを勧められた。普段はそれほど信心深くない私でも、明らかに普通でないものを見せられてしまうと弱ってしまうものでね。渋る上司をなだめすかして勧められた寺で住職の方に昨夜の話をしたんだ』


 ……これはまた、なんとも言い難い展開になってきた。紙幅はまだあるため、ここからもうひと展開あるのだろうとは予測できる。しかしすでに彼の問題は解決しそうになっている。女将さんが勧めたという寺は、そういうことも取り扱っているということなのだろう。女将さんが困ってはいてもすぐに寺を勧める時点で、明らかに何かあるのは確定だが……いや、こればかりは外野がとやかく言うことでもあるまい。とにかく読み進めてみようではないか。


『住職の方は話を聞くとすぐに、「なるほど」と言って人を呼ぶと何かの準備を始めた。そしてすぐに仏具やら何やらを私たちの周りに環状に並べて、お経を唱え始めたんだ。すると少しもしないうちにお堂の扉をガタガタと揺する音が聞こえてきた。しかし住職の方は素知らぬ顔でお経を唱え続けていて、時間が経てば経つほど揺する音がひどくなっていったんだ。朝には私の話を鼻で笑っていた上司も、この状況には応えたようで私に縋りつくようにして震えていた。そのまま長い時間が過ぎたようにも思えたが、実際には十分も経っていなかったのだろう、お経が終わった瞬間に扉を揺する音がピタリと止んだ。恐る恐るといった様子で上司が住職の方に終わったのかと尋ねると、彼は初めてにこりと笑って「ええ、終わりましたよ」と答えてくれたんだ。それからすぐに本堂を出てみたけど外には誰もいなかったし、風が吹いているということもなかった。それから私と上司は住職の方と女将さんにお礼を言うのもそこそこに、逃げるようにして帰宅したんだ』


 おおむね予想通りの展開だった。そしてこれで一枚目の便箋が終わりだが、便箋がもう一枚残っている。しかしどうにも、もう一枚を見ようという気になれない。彼の話として、ここは綺麗にひと段落している部分である。これ以上彼の話を読んだとして、私に何ができるのかわからない。しかし同時に、ここまで読んでも彼が私に何をどう助けてほしいのか一切分からないということに対する好奇心がある。そんな葛藤が十数分ほどあったが、結局私は続きを読むことにした。なにせ数年ぶりに知人から連絡が来たのだ、それに手紙の初めに「最後まで読んでほしい」と書いているのだ。少しくらいの危険性には目をつむ…………れはしないな。ああ、これはただの好奇心だ、と私は苦笑いを浮かべて便箋をめくった。


『失敗した。庭に埋めてあったものが、まさかあんなものだとは思いもしなかった。私があいつを見たのは必然だったのだ。こうなってしまっては女将さんにも、住職の方にも打つ手はないと言う。しかし、このままではよくない。だから、どうか、この手紙を読んでいるであろう君よ。私の代わりに読んでいる君よ。本当にすまない。だけど、どうか、どうか――』


 そこにあったのは、震える字で書かれた独白だった。あまりにも独白が過ぎて、必要なことが何一つわからない。いや、必要なことを知らないことが必要なのか? いくつもの推論が頭をよぎるが、情報が欠如しているためにその推論すら正しいのか分からない。

 彼は初めに「力を貸してほしい」と言った。それだけならば知識や筋力などの力と取ることもできるが、ここまで読み進めてしまえば嫌でも分かる。

 これは、読むこと自体が「力を貸してしまう」ことになるのだ。まったく、話の運びがうまいやつである。もしかしたら彼はかなりのピンチに陥っていて、土壇場に立たされたことでこのような話運びをする才能が表に出たのかもしれない。

 さて、先ほどから部屋のドアがガタガタとうるさい。ここは室内であるから風が入り込む要素はなく、一緒に住んでいる者もいないのだから誰かが揺らしているということもない。やれやれ、どうやらすでに私は彼に手を貸してしまっていたようだ。

 嗚呼、扉が開く――。


『どうか――呪われてくれないか』

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2021年度・九州大学文藝部・初冬号 九大文芸部 @kyudai-bungei

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