「いじめと妬み」

夢美瑠瑠

いじめと妬み

 「いじめ」も、「妬み」(または「嫉妬」)も、要するに「社会」があるゆえに生じるものだと思う。人間が複数人数存在する、いろいろな人間関係、愛憎の相関系が網の目のように形成されている、有象無象の同居するサル山のようなヒエラルキー集団内に雑多でごっちゃな精神と肉体のかたまりがランダムに実存している。それが人間の群れ。社会と呼ばれるものだ。その坩堝(るつぼ)の中に先験的に生じるのがいわゆる「いじめ」や「嫉妬」である。

 ではいじめや嫉妬とは一体何だろうか?

 いじめというのはつまり本来良好な人間関係でありうべき集団の内部に「攻撃性の発露」が、つまりメンバー間の葛藤、争い、角逐、精神的肉体的な虐待、そうした一見「反社会的な」現象が生じることだと思う。定義すると、こうなると思う。弱い者いじめ、とよく慣用句で使用されるが、いじめのターゲットとされる存在の要件は第一に肉体的精神的な虚弱、劣弱性だ。が、孤立していたり、弱者を庇う場合には必ずしも「弱く」なくてもいじめられたりする。あるいは嫉妬を受けたりすれば攻撃者によってライバルを弱者に蹴落とそうとする行動も、いじめとして発現しうる。

 淘汰圧力、とよく言うが、劣弱個体をいじめて追い出したり殺したりするいじめは合理的な行動とも言いうる。集団の生き残りや地位の向上とか、あるいは難局、試練にたいする適応にとって弱者が障害物となりうるという現実には動物も人間も変わりがなく、その場合のいじめには進化論的な起源の理由も存在しそうである。

 老人を嫌ったりいじめたりするのはこういう根源的な感情に発露するだろう。

 ひ弱い子供がいじめられるのもたぶんこういう機序であろう。

が、いじめや攻撃というものは実際には、特に人間の場合には複雑ないろいろな感情が絡み合っていて、いじめられるのは「弱者」とは限らない。暴力を行使しうる一定の強さ、権力や膂力を有する個体が邪魔である存在、ライバルや潜在的に能力を有する個体を集団内から抹消しようとしていじめる、攻撃して排除しようとする、その場合の動機になるのが「嫉妬」になるかと思う。

 「いじめなければいじめられる」というケースもあって、これはいったん標的が定まった場合には割と無差別的に生じうる。集団の精神的統一の阻害とそれによる集団の弱体化というか不活性化、衰亡、そういうものを避けようという心理かもしれない。

 で、こういう機序が人間というホモサピエンスらしい複雑な思考操作によって生じるいじめが、「スケープゴート」と呼ばれる現象だ。

 この場合にはいじめの要件を満たした存在を人工的に「捏造し」、集団の規律や統一性、あるいは権力者への反逆、そういうものを集団心理的に封殺するためにいじめが逆転的に巧妙に利用されるわけである。

 これは本能に基づくようでもあり、人間性が動物的なエデンの園、理想社会から逸脱したがゆえの「悪」でもあるかのようにも見える。

 が、このスケープゴートが「ヒトリザル」のごとくにボスザルであるいじめっ子をやっつけられるだけの強さを持ちえた場合には、それは勝利者あるいは支配者ともなりうるかもしれない。「オウム真理教」も、それが社会内で多数派になり得るほどの 実力やら求心力があったなら自民党にとって代わっていたことだろう。

 人間社会には「いじめ」も「嫉妬」もつきものだが、それは人間というものを成立させる固有の条件においては運命的に不可避須のものでもありうるようにも見えるのであり、それを克服しようとする努力とともに永遠に続いていかざるを得ないものかもしれない。

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