第11話 悪い子な教え子と
~悪い子な教え子と~
『先生って、最低ですね』
―――これが夢だとそう気が付いた。
なぜなら彼女はそんなことを言わないからだ。
そんなことを言ってはくれないからだ。
くだらない夢だとあざ笑うと、身体がふっと宙に浮かぶ。
夢とともに、この身が宙にあるのだと気が付いたしまったように―――落ちる。
落ちて。
落下した先は、柔らかな寝台の上だった。
筋繊維の一筋一筋に染み込む倦怠感。
まぶたが熱く、目を開くのが億劫だった。
五感の覚える唯一つの心地よいもの……腕の中にあるぬくもりを抱き寄せる。
張り付くような肌に鼻先を埋めれば、汗と性の香り立つ女の匂いが―――ついさっきまで幼気だったものの死臭がする。
私が犯した。
私が汚した。
私が破った。
私が抱いた。
私が―――殺した。
教え子である彼女を。
私が。
「―――……んぅ」
小さな声が、揺れる。
ふるり震えるまぶたが、ゆっくりと開いていく。
赤く腫れぼったい目の奥に、ぼんやりと広がった瞳孔がある。
きゅ、とすぼまって私を捕らえた瞳が、ささやかな笑みに縁どられる。
「おはようございます、先生」
「……先生はやめろ、島波」
釘を刺すようにくちづける。
釘の先端が私を向いていることに気が付いたのは、深々と突き刺さった後のことだった。
彼女はただ無邪気に笑っている。
せんせ、せんせ、と、からかって。
「聞かないやつだ。口の利き方も教えてほしいか、なあ島波」
「えぇーへへ。せっかくなら、もっと楽しいことを教えてほしいです」
笑いながら彼女は舌を晒す。
赤々と、濡れた舌。
てらり、ぬらりと、私を誘う。
請われるままに、私は彼女に、教えた。
またひとつ、彼女の無垢を、殺す。
「メリークリスマスですね、先生」
「……そうだな」
舌の使い方を知った彼女が、その舌で、ひどくざらついた言葉をこぼす。
彼女の視線から逃れるように時計を見た。
まだ朝は早い。
けれど、今日は、今日だ。
「……帰っちゃうんですよね、先生」
「ああ」
教え子を抱いたイブの夜。
そしてこの当日に、私はきっと妻を抱くだろう。
思えば―――帰るという言葉。
これはひどく残酷な言葉だ。
帰る場所があるという、絶対的な事実をたった一単語で知らしめる。
それを口にした彼女はきっと、どこまでも意識的に、意図的に、それを選んだのだろう。
私はそれを口にできない。
彼女の味わう苦みとえぐみは、私には、あまりにも苦痛すぎる。
最低と、罵ってくれるのならどれだけ楽になれるだろう。
「また……連絡、してください、ね?」
「……」
また。
また、私は彼女を抱くだろうか。
それとも次は、ただふたりで、まるでデートでもするように―――いや。
それはないだろう、きっと。
私と彼女が会ってしまえば。
おそらくまた―――
「……ああ。また必ず連絡する」
「はい。……待ってます」
そう言って、心から嬉しそうに、彼女は笑う。
私の連絡を待ち、私の連絡だけでしか繋がれないというのに。
彼女は、それでも笑うのだ。
こんなにも愛らしく―――笑うのだ。
どうして神は、彼女と会わせたのだろうか。
妻と会ってしまったこの私に、もうひとりの特別を、この無垢の少女を、彼女を、島波由美佳を―――どうして、引き会わせてしまったのか。
こうしていることで、いったいなにが生まれる。
行く末に滅びと虚無が待ち受けるだけのこの束の間の幸福が、いったいなにを育むというのだ。
「先生。……大好きです」
「ああ。私もお前を愛している。ほかならぬ、お前を」
この言葉に嘘偽りはなかった。
だから彼女は笑う。
嬉しそうに。
心根から嬉しそうに。
嘘偽りがないだけの不誠実、真実という名の虚構―――どのみち愛の言葉を吐き捨てて、私はここを去るというのに。
なあ、笑わないでくれ、由美香。
お願いだから。
私を憎み、罵倒してくれ。
今日この日くらいは、どうか、いい子になってくれないか―――
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