第三話 「暁光」②

「軍司殿、お気持ち、お気遣い非常に感謝いたします、我ら巴蜀軍もこれで心置きなく来るべき決戦に挑めるというもの。ただ、吾が知りたいのは、豫州軍の真の目的、もっと言えば、秘めたる意図にござる。」


 なるほど、そういうことか。先方がそうであるならと、張牧は引き締めた気持ちで切り出した。


「李参事、わかり申した。足下には隠しごとはできませぬな。実は私は洛陽を出立する際、中書ちゅうしょ侍郎じろうの陳寿殿より、特に、ということで仰せつかったことがあるのです。足下が知りたいのはそのことでござろう。」

 

 李毅は突き刺すような視線を投げかけた。二人の間で、緊張感が走る。張牧は続けた。


「実は、陳寿殿よりは、秣陵陥落の後は、小官が軍司として遠征した巴蜀軍を取りまとめて故地まで帰還をさせるように言われており、言わば都督の職責にうつることになっておるのです。万事がうまく運べば、王濬殿には、偽帝の身柄を大本営、それから洛陽に移送する役目が引き続きありましょうから、王濬殿の巴蜀軍総司令という指揮権を小官が引き継ぐことになるという事ですな。とはいえ、巴蜀軍は小官の直属の軍隊でもござらぬから、勝手がわからぬ。故に足下か何攀殿の両参軍のいずれかは、巴蜀までご同道願いたいと考えております。」


 事情を聞いた李毅は、特に驚く様子もなく、意外な点に質問をしてきた。


「なるほど、中書省の陳寿殿にございまするか、やはり洛陽北宮にまで行かれても、我々旧蜀の人士の間柄というのは、生きておるものですな。ところで、陳寿殿といえば、今回の度支たくし尚書の張華殿が肝煎りで引き上げた人材。ところで、その張華殿に近しい間柄とも思えぬ馮紞ふうたん殿が、なぜ豫州軍について来られておるのでしょう? 張軍司は何かご存知で??」


 あまりに突拍子のない質問をぶつけられ、張牧は、呆然とした。馮紞はなぜ今般の同僚に選ばれたのであろう。そもそも馮紞とは何者なのだろう。張牧はそうした経緯についてごうも考えていなかった。今回の征呉に関する全ての戦略と補給は、度支尚書の役に抜擢された張華が企画して取り仕切っているらしい事は、張牧もなんとなく聞いてはいたが、張牧にしてみれば、そんなものは雲上の話であり、その張華とあの馮紞の関係が近いとか遠いとか、張牧には、そんな政治向きの話には全く興味がなく、もっと言えば苦手であった。


「さ、参軍殿、正直に言いまして、小官、政治の話は苦手でしてな。さっぱり分かり申さぬ。馮紞殿とも洛陽から同道させて頂いてはおりますが、交流もあくまで任務の上でのことであります。その任命の背景などと言われましても、さっぱりわかりませぬ。小官の場合なら、氐の血も混ざった旧蜀の人材ゆえに、非才にも拘らず、巴蜀の兵の取りまとめとして白羽の矢が立ったのだとは思いますが、それとて、正式に聞かされた訳ではござらぬ。陳寿殿からの話を綜合的に小官なりに理解して推測しているに過ぎませぬ。」


「そうでございまするか。これは失礼した。帰還の際の巴蜀への同道は、おそらくは、何参事ではなく、吾になろうかと思います、その時はぜひ良しなに、軍司殿。」


「そうですか、しかし、まずその前に今日の石頭城でございまする。」


「おっしゃる通りでございます。それでは吾はこの辺りにて。」


 そう言い残して、李毅はそそくさと拝礼を済まして、張牧に背中を向けた。


 張牧がふと振り返ると、日は既に登りきっていた。射し登った太陽は、今日という日が三国統一を記念する太平の日になることを知っているかの如く、煌々こうこうかがやき長江を照らしていた。


 甲板を一直線に進み、見る間に小さくなる李毅の背を見ながら、張牧は何か得体の知れないヌルッとした軟性の感覚に襲われた。それは敗北感のようでもあり、嫌悪感のようでもあったが、とにかく李毅という個人に対する感情ではなく、己の預かり知らぬところで自分を操り人形のように動かそうとする何者かに対して感じた、何らかの不快な感覚であった、というのが比較的正確な表現なのかも知れない。それは「感情」という自我の内面に起因するものではなく、「感覚」と呼ぶことが相応しい、外的なものに対しての自己防衛反応と言うべきものであった。


 そして、その瞬間、それと同時にして、張牧は、居室に帰って早く冷たい水で顔でも洗いたいものだ、と思った。今日は特別な日であり、詰まらぬ感情にとらわれているいとまはない。そう思い直したのだ。


  

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