聖夜の屍達

@tosa

第1話 呪われた一族

 闇に覆われ荒涼とした草原の各所に、ささやかな灯りが点在していた。夜の漆黒の中で目を凝らすと、灯りの周囲には幾人もの人影が見える。


 赤い帽子と肥満から突き出た腹を隠す赤い衣服。三頭のトナカイが繋がれた木製のソリには、大きな白い布袋が積まれていた。


 深夜の冷たい風が、草原に集まった人間達に容赦無く吹き付ける。ニ百余ある松明の灯りの元では、灯りの数だけ啜り泣く声や悲鳴混じりの声が上がっていた。


 年の瀬が近づく頃、子供がベッドで眠る時に親から読んで貰うサンタクロースの絵本。その冒頭は常にサンタクロースが旅立つシーンだ。


 サンタクロース達は見送る家族達に笑顔を残して旅立ち、多くの子供達にクリスマスプレゼントを配る為に空を駆けて行く。


 だが、そんな和やかな光景は絵本の中だけの話だった。現実は違った。二百人近いサンタクロース達は例外なく悲壮な表情をしていた。


 そしてそのサンタクロースの家族達はもっと深刻だ。まるで今生の別れと言わんばかりに泣き叫び、行かないでくれと懇願する。


 今生の別れ。それは決して大袈裟な表現では無かった。今夜これから旅立つ百九十三人のサンタクロース達。


 そのサンタクロース達が何人生きて家族の元へ帰って来れるか。それは誰にも分からないからだ。


「よく今年も二百人近い配達人が集まったな。物好きな。いや、命知らずの馬鹿共には呆れるぜ」


 私の隣で仲間達を口汚く罵るのはハリンツ。二十三区を担当するサンタクロースだ。

彼はサンタクロース達を配達人と悪し様に呼ぶ。


 勿論、それは自分も含めてだ。ハリンツはこの道三十年のベテランだ。だが、そんな熟練者でも命の保証は何処にも無かった。


 ハリンツが悪態をつくには理由があった。私達サンタクロース一族は、毎年聖夜に貧しい子供達にプレゼントを配る仕事をしている。


 否。強制的に義務づけられている。その仕事から逃亡する者達は後を絶たない。だが、この一年に一度の義務を放棄した者達は目を背けたくなるような最期を遂げていた。


 出発の時間が訪れ、百九十三台のソリが空に飛び立つ。三頭のトナカイがある筈も無い地面を蹴り高度と速度を上げて行く。


 地上千メートルを越える高度の中で猛スピードで空を駆けるソリ。普通の人間がそんな過酷な条件下で正気を保てる筈も無かった。


 私達が来ている赤い帽子と服は特殊な素材で縫合されおり、かなりの防寒機能を有していた。


 そしてサンタクロースと言えば太った老人と白い髭を誰もが連想する。あの体型は伊達では無い。


 分厚い皮下脂肪と白髭は防寒の為だ。今日この日の為に私達は敢えて肥満した身体を作り上げる。


 全ては自分の生還率を少しでも上げる為だ。極寒の中で身体を温める為に酒は必須だ。酒の飲めない物は日頃から無理やり酒を飲み身体に慣れさせる。


 これらの肉体改造は危険を伴う。肥満の代償は高血圧。高脂肪。高血糖。肝心のクリスマスイブ当日前に心不全で亡くなるサンタクロースも少なくない。


 そして酒だ。クリスマスイブが近づくにつれて酒量が増え、アルコール依存症に陥り廃人同然になるサンタクロースもいる。


『聖夜に己の危険も顧みず尊い仕事に従事するサンタクロース達に告ぐ!!』


 私のソリは闇夜の中を高速で疾走していた。目も開けられないその状況下で、頭の中にテレパシーが伝わって来る。


 不足の事態が生じた時に、私達はテレパシーで互いに連絡を取り合うのだった。


『四十七区担当のモリスがソリから転落した! 報告によるとモリスは以前からアルコール依存症の兆候があったらしい。酩酊による転落と思われる。モリスの死に全員十秒の黙祷! 後に彼の担当区配達の割り振りは追って連絡する!!』


 配達長からのテレパシーはそこで途切れた。私は確信していた。百九十二人になったサンタクロース達は、天を仰ぎため息をついている。仲間の死よりも仕事量が増えた事に対して。


 この仕事中に命を落としたサンタクロースの最期は無残だ。その遺体は自分のソリを引いていた三頭のトナカイによって食べられる。


 何故トナカイが空を飛ぶのか。そして何故サンタクロースの遺体だけを食べるのか。それは私達の間でも謎だ。


 空を飛ぶトナカイが普段何処で生息しているのかも不明だ。クリスマスイブになると、ソリにクリスマスプレゼント積みトナカイ達は草原に集まってくる。


 一つだけ分かっているのは、空を飛ぶトナカイはサンタクロース一族が恐れるある組織との契約によって私達と行動を共にしている。という事だ。 

 

 不可思議な事にトナカイの数は何時も丁度ピッタリなのだ。集まったサンタクロースの人数と。


 自分が乗ったソリとクリスマスプレゼントを運ぶ三頭のトナカイ。この獣達は絶えず舌舐めずりをして私達の死を待ち構えていた。


 私が担当区に到着する迄に、テレパシーによる報告は更に八件続いた。全員寒さで意識を失いソリから転落した者達だ。


 私の眼下に街の灯りが見えて来た。担当区に辿り着くだけで命懸けだ。体温を根こそぎ奪われた私は、凍傷寸前の手を何とか動かしブランデーを飲む。


 寒さによる筋肉硬直で思うように身体が動かない。だが、仕事は待ってはくれない。私はひと目のつかない場所にソリを降下させる。


 ここからは時間との勝負だった。私達が運ぶクリスマスプレゼントは予め配る家が決まっている。


 それは貧しい十歳以下の子供がいる家だ。その中でも貧しさの度合い、年齢によってプレゼントの種類が違う。


 私は白い布袋から一つの箱を取り出す。私達は配達順路を最初から決めている。最短ルート最短時間で配達を終える為だ。


 だが、私達のこの配達は一筋縄には行かない。配るプレゼントの数だけ他人の家に不法侵入するからだ。


 サンタクロースは屋根にある煙突から入って来る。どの絵本にも描かれているサンタの侵入方法だ。


 だが、この方法は余りにも危険が多過ぎた。先ずは転落だ。煙突に縄を縛り付け自分の腰にも命綱を巻き煙突の中を下りて行く。


 ロープが解け転落する事故。そして狭い煙突に身体が挟まって動けなくなる事故が後を絶たなかった。


 そもそも煙突内は煤だらけで赤い衣服が真っ黒になってしまう。そうなるともう誰も私達がサンタクロースだと気付かない。


 黒く薄汚れた衣服を着る私達は誰の目にも不審者、強盗の類に見えるだろう。強盗と言う言葉が出たからついでに説明して置こう。


 私達サンタクロースのこの聖夜で発生する死亡原因の第二位が銃による射殺だ。貧しい子供にプレゼントを配る為に不法侵入した際、その家の大人達に私達は銃を向けられる。


 大人達の行為は至って正当防衛であり、私達には何一つ抗議出来なかった。飼い犬がいる家は更に厄介だ。


 犬は優れた嗅覚で家に侵入した私達を発見し、そして吠えてくる。凶暴な大型犬に噛まれ死亡した例も枚挙に暇が無い。


 私達はとにかく時間をかけずにプレゼントの箱を子供の前に置いて撤収する。その為に施錠された鍵穴を七つ道具で素早く解錠するのが不可欠だった。


 私達はこの時が一番精神的に辛かった。人様の家の鍵をこじ開け不法侵入する。これはまるで強盗や空巣と何ら変わる物では無かった。


 自分達は一年に一度の聖夜に一体何をしているのか? 心が折れそうになるのを必死に堪えて私達は仕事に没頭する。


『四区担当のモルサが警察に捕まった! 十六区担当のメリアンが屋根から転落し死亡! 三十区担当のガサエルが銃で撃たれ死亡!!』


 困難な仕事を続ける途中にも、次々と凶報がテレパシーによってもたらされる。私達は機密保持の為に警察に捕まった場合自害を強制されている。


 その命令に従わずに自害せずにいると、殺し屋が派遣され必ず殺される。脱落者が発生する度に私達の負担が増えて行く。


 私は絶叫したい気持ちを必死に抑え、肥満した身体を動かし続ける。何故私達がこんなにも過酷な仕事をしているのか?


 私達サンタクロースは好き好んでこんな仕事をしている訳では無い。ある組織に命令されているのだ。


 その組織の歴史を辿る事は禁忌とされていた。調べようとした者達は例外無く墓場に入る事になるからだ。


 私達サンタクロース一族は幼い頃より自分達一族の歴史を徹底的に教え込まれる。私達一族は遥か数千年前、偉大な神に対して反旗を翻し戦った。


 だが私達一族は神に敗れた。その罪によって私達一族はある制約を課せられた。それが、聖夜に貧しい子供達にプレゼントを配る仕事だ。


 いや。これは仕事などと呼べる代物では無い。紛れもなく苦役だった。優れた防寒機能を有した赤い衣服と帽子も。空を飛ぶトナカイもソリも。宛名住所が書かれたプレゼントの山も。


 全て神の使徒と名乗る謎の組織が用意した物だった。そして一年に一度。この聖夜にだけ我々サンタクロース一族は頭の中で意思疎通、つまりテレパシーが使える。


 私達サンタクロース一族は普段は世界中に散り、市井の中で暮らしている。聖夜にその一族達がある場所に集結するのだ。


 私達一族は決して独身は許されない。二十歳になると組織が伴侶となる者を寄越してくる。


 私達呪われた一族と強制的に結婚させられる者達。それは、親に売られた者。親に捨てられた者。


 最初から親が居なかった者。戦争や紛争によって国を失った者。様々な辛い過去を背負っていた。


 神の使徒と名乗る組織。何故彼等がこんな不幸な生い立ちの者達を集められるのか。私は深い疑念を抱いていた。彼等組織が人身売買に手を染めているのではないかと。


 私達は組織が用意した相手と結婚し、子供を最低三人以上生まなくてはならなかった。そして私達サンタクロース一族は、一つの家から必ず代表一人を聖夜のこの苦役に出さなくてはならなかった。


 ······私達は呪った。神に挑んだ愚かな自分達の祖先を。そして私達呪われた一族と結婚させられる者達を哀れんだ。


 肥満した身体に鞭を打ち、私は自分に課せられたノルマを終えた。だが、これで苦役は終わらなかった。


 既にニ十人以上発生した脱落者の残したプレゼントも配らなくてはならない。疲労とやり場の無い怒りから、私は鍵穴を開ける工程を無視し思わず工具でドアノブを破壊してしまった。


 降りしきる雪のせいか、思ったよりも音が響かなかった。私の目の前で半開きになった扉が風に吹かれ開かれた。


 自分の行為が強盗だと最も自覚するのはこんな時だ。私は他人の家に不法侵入し、健やかに眠る子供の前にプレゼントの箱をそっと置く。


 私達は意識して子供達の寝顔を見ないようにしている。貧しくも明日の幸せを夢見る罪の無い寝顔を見ると、緊張感が保てないからだ。


 私はプレゼント箱の横にドアノブの修理代金を置いた。私に出来るせめてもの罪滅ぼしだった。


 更に犠牲者を五人出し、我々一族の苦役はようやく終わろうとしていた。時間は深夜三時。


 ぼやぼやしていると早起きの冬の太陽が顔を出し始める。私達は自分のソリに乗り込み即時撤収する。


 この苦役による犠牲者の数は二十八人にのぼった。殆どは死後トナカイに食われ、幸運にも命を繋いだ数人は病院に運ばれたらしい。


 警察に捕まれば自害。警察に関わらずに病院に入れれば生き残れる。この髪一重の差に、私達は運命の因果を感じた。


 疲労困憊の影響か意識が朦朧として来た。極寒の空を駆ける最中、三頭のトナカイがチラチラと私を見る。


 ······獣共め。私から死臭でも嗅ぎとったか。この狡猾なトナカイ共は私達が弱っている所を決して見逃さない。


 意識が混濁する中、私は必死に家族の顔を思い浮かべる。


 ······まだだ。まだ私が死ぬ訳には行かない。


 私が死ねば、四人の子供達の誰かがこの苦役に駆り出される。こんな苦しみを味わうのは私一人で十分だ。


 私の妻は組織の命令によって無理やり私と結婚させられた。妻は戦災孤児だった。悲惨な幼少時代を息抜いた挙げ句に呪われた一族の花嫁だ。


 だが、妻は全てを受け入れ私を愛してくれた。こんなに穏やかな生活は人生で初めてだと言ってくれた妻。


 彼女の言葉を私は生涯忘れない。必ず帰らねばならない。愛する妻と子供達の元へ。


「もっとスピードを上げんか! お前達は空を飛ぶのが仕事だろう! ぼやぼやしていると夜が明けるぞ!!」


 私は自分を鼓舞する様にトナカイに叫び鞭を振るう。東の空に白みがかかった頃、私は飛び立った草原に戻って来た。


 地上では無数の灯りが帰還する私達を迎えてくれた。私達サンタクロースを見送った家族の多くは、徹夜で私達の帰りを待っていてくれたのだ。


「······あなた! トーマス!!」


 地表に着地したソリから降りた私に、妻が泣きながら抱きついてくる。私も妻を抱きしめたかったが、全身が凍りついた様に固まり思うように身体が動かせなかった。


 四人の子供達が松明を私に近付け身体を温めてくれる。子供達の伴侶と孫達が熱いスープを私に飲ませてくれた。


 ······私はこの家族を心から愛している。そして家族は私を愛してくれている。私が最もそう実感するのは、この忌むべき仕事から帰ってきたこの瞬間だった。


 家族との日常の些細ないざこざや軋轢も、この瞬間には全て消える。残ったのは心から相手を思いやる愛だ。


 この悪しき苦役に唯一救いがあるとすれば 、家族への愛を再確認出来る事かもしれなかった。


 その時、私の頭の中にテレパシーによる声が響いた。その声は、私達サンタクロース一族の声では無かった。


『聖なる夜に崇高な仕事を終えたサンタクロース一族の諸君。諸君等の働きにより貧しき多くの子供達に夢を与える事が叶った。諸君等はそれを誇りに思っていい。かつて主に弓を引いた諸君等一族の罪も僅かだか浄化された事だろう。これに奢る事無く、来年の聖夜も仕事に励むが良い。その罪がいつか消えるその日まで』


 ······気付けば東の地平線から太陽がその姿を見せていた。徐々に身体の感覚を取り戻し始めた私は、神とやらが存在する天に向かって唾を吐く事を必死に堪えていた。


 

 


 


 


 



 


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