第22話 ソウル・サルヴェイション(2)


 この世界で現実をいいように変えてしまおう。そう思い立ったのは、ハルが蘇った晩のことだ。

 僕の能力は、願うことで、思うことで、どんなことでも叶ってしまうというもの。望む望まないにかかわらず。

 それが判明して、最悪の形で立証されてしまったあの日、僕はこの能力の正しい使い道について考えた。

 それから、僕は様々なことを試した。

 時を止める、動かす。ボールペンをこの世界から無くす、戻す。猫をこの世界から消し去る、戻す。新種の生物を作り出す、消し去る。

 なんでもできた。全能感に浸りそうになる自分を抑えながら、能力の範囲を研究しようとした。

 結論、この能力にはもはや知りうる限り際限がないらしい。

 どんな規模のどんな願いもかなえうる。死者の復活も、株価の不正操作も、世界征服も……宇宙を滅ぼすことすら可能かもしれない。もっとも宇宙規模は観測するすべも持たないので調べきれなかったが。

 これがわかるまで三日間。

 それから、目的と予定を立てた。四日間で、できる限りの準備をした。

 黒精霊を跡形もなく根本から消すための。

 魚介人類の安住のための。

 精霊たちの精霊としての記憶と能力を消すための。


 そして、地球上のすべての人たちから僕の記憶を消して、消えてなくなってしまうための準備を。


 そのために、僕は願ったのだ。

 今日この日にすべては解決される。

「そのために、僕は精霊になったんだ。そう確信した」

 告げる、僕の覚悟。ハルは僕を見据えた。

「なんのために、そんなことをするの!?」

「……誰も戦わなくていい、そんな世界を作るためさ」

 そうすれば、誰も傷つかずに済む。誰も、喪わなくて済む。

「ひとまず、戦いましょう」

 アキが口走った。

「オーディンは下がって……本体がそばにある今なら――」

 この体でも戦える、きっとそう考えたのだろう。

「待って――」

 オーディンの制止も聞かないまま、アキは飛び出そうとして。

「あれ……体に、力が……」

 アキが僕の目を見た。

 ……僕はため息を吐いた。

「無駄だよ。……君はもう、ただの人間の女の子なんだから」

「え?」

 信じられないといった風に、彼女は声を発する。

「肉体からコアを引き抜いたんだ。コアに僕の魂を宿して、体には君の魂を宿した」

「その願いって」

「君が、人として幸せに暮らせますように。そのために、君はただの人間になって」

「……お姉ちゃんは、純粋な精霊になった。そういうことですか」

「そうだよ。ご明察」

 種明かしが終わり――数秒、僕らは対峙して。

「なんでそんなことをしたんですか」

 アキのその問いに、僕は淡々と答えた。

「再編後の世界を見守り、管理する者が必要だからだ。僕が消えた後、精神体は空気となって流れていき、世界中を見守る。本体をどこかの海中へと沈めて。不具合が見つかったら願いによってそれに対処する。僕がさっき自分を『神』と称した理由だ」

「それなら、私が人間になる必要もなかったんじゃないですか!?」

 少しの沈黙。それから、目を背けつつ、僕は告げる。

「神になるのは、僕一人だけでいい。君まで幸せに生きる権利を失うのは……本末転倒というものだ」

「そうか、それならばシキが消えることもまた、彼女にとっても本末転倒なのではないだろうか」

 フユの言葉。その灰色の眼光が捉えた彼女は――ハル。

「……幸せって、一体何なんだろうね」

 彼女は僕の、虚ろな瞳孔に語り掛けるようにして。

「シキの思うあたしの幸せがあんた自身が消えて一人きりになることだったなら、シキと一緒に生きていたくてわざわざ蘇ったあたしは一体何だったの?」

 問い詰めた。強く強く、詰問した。

「シキのいない世界で、あたしは生きていける自信なんてないよ! あんたがいなきゃ、あたしは笑うことだってできないのに!」

「ハルはそんなに弱くない! 弱いわけがない!! ……君は、僕がいなくたって生きていけるはずだ」

 僕も負けないよう、反論する。強く強く、目の前の少女を見据えながら。

 しかしその少女も負けることはなく。

「弱いよ……あたしだって、あんただって!」

「そんなことはない! それに……どのみち、君の中からは僕はいなかったことになるんだ。最初からいなかった存在がいなくなったからって――」

 その瞬間、切り裂くような破裂音が鳴り響いた。

 一瞬だけの無音。直後、じんわりとした頬の痛みとともに、ふたたび鼓膜は揺れる。


「――ふざけんな!!」


 その怒号は空気を揺るがし、町を揺るがし、しまいには黒精霊の起こす破壊すら止まる。

「ばか……ばか、ばかばかばか!! あたしにとって、あんたがどれだけ大きい存在なのか、わかってんの!?」

 ……取るに足らない存在だ。そう思い込んでいた。思い込んでいたかった。けど。

 どうでもいいと思ってる相手に、こんな説教なんてするわけがない。

「あんたのやろうとしてることが全部終わっちゃったら、シキとのこれまでの思い出が全部消えちゃうんでしょ」

 だからこそ後腐れなく僕は消えることができる。そう思っていた。

「そうだよ」

「……やだよ。あたしはやだ。シキとの思い出が……世界一好きなひととの思い出が消えちゃうなんて、想像したくもないよ」

 そして、彼女ははっきりと叫んだ。


「この世で一番好きなひとがいなくなっちゃうことが……どれだけ、どれだけ辛いことか、わかんないわけないでしょ!?」


 瞬間、フラッシュバックした。

 自分がハルを亡くしたときの記憶。

 ――ひどく絶望した。もはや生きる気力さえ失った。死さえも夢見た。

 そして、目の前の少女が親を亡くしていたことを。

 ――僕の精神世界で親を思い出していたときのあの顔は酷く沈痛で、とてもハルらしくもなかった。

 ――あんな顔を二度と見たくないと、今更になって思ってしまった。


 僕は微かに笑った。

「……間違ってたのは、僕の方だったみたいだ」

 そして、目の前の少女に歩み寄って……ぎゅっと抱きとめる。

「君は、泣き顔よりも怒り顔よりも、笑顔がよく似合うから……君の絶望する姿を、もう見たくない。そう思った」

 肩が濡れる。わずかに、すすり泣く声。

 囁くように、呟くように、一言だけ、僕は口にした。

「……ごめん」

 直後、轟音が響き渡った。

 巨大なカマドウマが、より一層暴れ始めて。

 腕をほどいて、僕らはその怪物を注視する。

「さて、あのバケモノはどう片付けてくれようか」

 フユが指さしたそれを、僕は一瞥(いちべつ)し。

「倒そう」

 一言、口にした。

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