第16話 ディープブルー・スプリング(2)


「昨日はごめんね。来宮くん」

 目の前で、制服を着た金髪碧眼の美少女、ウズさんが軽く頭を下げる。

「いや、いいんだよ。……確かにちょっと大変だったけどさ」

 倒れた彼女を精霊たち総出で介抱し、メイドさんたちを呼んで、部屋に運んで――すっごい豪華でかわいい部屋でした――どうにか帰ったのはもう日が沈んだ後だったのである。

「シキ、生徒会長を助けてたって言い訳、本当だったんだ……。いちいち疑っちゃってごめん」

 隣でハルが申し訳なさそうにしていた。……呼び出されたのは僕だけなのに、なんでついてきてんだこいつ。

 ウズさんが俺の通うこの高校の生徒会長だったというのがまず驚きだった。

「というか、会長とはどういう関係なの? 一人だけお呼び出しなんてされちゃって。まさか……」

「違うから」

 言って、ウズさんをじろりとにらむハルの頭を僕はぽかりと軽く叩く。

「というかいまの僕は女だし」

「いや、あたしは全然女でもいけるけどな~」

「……もしかしてレズ?」

「全然違うから」

 言って、ハルは僕の頭頂を叩き返したのだった。

「ふふ、仲がいいのはいいことよ」

『ち、違うし!』


 そんなこんなで、僕らは生徒会室にやってくる。

「それじゃあ、ハル。多分大事な話だから……」

「むぅ……じゃあ、玄関で待ってるね!」

「わかったから。あとで」

 ハルと別れ、ウズさんによって生徒会室の扉が開かれる。

 長い会議机、棚には様々な書類と備品。パイプ椅子には、昨日見たような面々がずらっと顔を並べていた。

「ようやく来たか。遅かったではないか、オーディンよ」

「ごめんね、ヒメちゃん。ちょっとほかの用事があって」

 姫と呼ばれたその少女――魚介人類のクイーンは、少しだけなれなれしくウズさんに接する。

「というか遅かったですね、お姉ちゃんも」

 何故かアキちゃんもいた。傍らにランドセルが置いてあるということは、小学校の放課後にそのままここに来たのだろう。

「わたしもいちおう精霊ですので」

「あ、そう……」

 胸を張るアキちゃん。少しドヤ顔してるように見えた。

 そして、僕は唯一空いていた、アキちゃんの隣の椅子に座り。

 空気がピンと張りつめた。

「ごきげんよう。……今日は重大な発表のため、ここにみんなを集めました」

 ウズさんの言葉に、僕は息を呑む。

「わしは魚介人類の女王、名を『ヒメ』という。……本日は、精霊と魚介人類との相互不可侵条約を結びに、ここにやってきた」

 落ち着き払った幼げな声は、確かな威厳をもって告げた。

「わしは、本当は誰も傷つけたくなかった。けれども世界を救うためには精霊を駆逐せねばと思っていた。しかし……もしも、精霊や人間、魚介人類が手を取り合って、平和な世界で生きていける道があるのならば、それを模索していきたい。そう思ったのじゃ」

 微笑んだクイーンに、僕はわずかに気を緩め――。


「キレイゴト、デスネェ」


 窓ガラスの割れる音が響いた。

「何者です!?」

 驚愕する誰かの声。

 会議卓の上に降り立った鯖のような頭をした怪物が、ほくそ笑むような声を上げた。

「ワタシデスよ……。クイーンの元側近のマックロー。キング・マカレルと名乗ることにしましょう」

 魚介人類。いままさに不可侵条約を結ぼうとしていた相手だ。

 その小さな統率者であったはずの少女は、その姿を見て激昂した。

「おぬし……何のつもりじゃ!」

「ソノ言葉、そのままアナタにお返しシマス。……何故、精霊に肩入れしているのですか、元クイーン?」

「ぐ……っ」

 答えに窮する少女を、その怪物はにらみつけた。

「精霊を殺す。それがワタシたちの使命。……違いマスか?」

 沈黙、三秒。

「ワタシたちは! 精霊を殺すためだけの生命ッ!」

 鯖頭は、憤怒した。

「それなのに、何故ワタシたちを裏切って精霊タチに肩入れシタのデス!」

「それ、は――」

「答えろッ! 何故、何故、我ラを……裏切っタ……ッ!!」

 怒りに震えるその魚。真円にしてすべての光を反射するその瞳は、目の前に怯える裏切り者を映して。

「……もういイ」

 瞬時に冷静になって。

 無感情に、冷徹に。

「この場の精霊は、もうじきすべてイナクナルのデスから」

 裏切り者の粛清を、自らの使命の実行を、宣言した。

 悲鳴。

 聞こえた方向に首を動かす。さっき割れた窓。その方向に。

 窓の一番近くに座っていた精霊――あれは確か、バルドルと言ったか。その首が斬り落とされていた。

 否、それだけなら精霊であるはずの彼女には問題ない。けれども、そうもいくはずがない。

 海老怪人というような化け物――倒したはずの魚介人類、シュリンプが、彼女の頭が付いていた部分に爪を入れていた。

「エビエビ……ああ、コレか。よし」

「やめ――」

 オーディンの制止の声は届かぬまま。

 バルドルの身体は、砂のように崩れ去った。

「コアが、割られた?」

「いや……いやぁぁぁぁ!!」

 フレイ、そしてニョルズ、だったか。

 その声が響き。

「うるせェなエビ」

 ガラスの割れるような音が、二連続。

 舞い散る血液が光の粒子になって空気に溶けた時、アキが僕の手を引く。

「――守らないと」

 瞬間、光、爆ぜ――

 飛び出した僕は、雄叫びを上げながらその海老型魚介人類の殻に拳を叩きこみ――爆散するシュリンプ。

 その直上に瞬時、影。

 危ないッ! 振り向いた僕の目に飛び込むのは――切り裂かれる、マグロ型の魚介人類。

「わしの作り上げた愛しき部下たち……そいつらの暴走を止めてやるのも、製作者の責任というもの……!」

「助太刀する。たった二人では厳しいであろう。……かかってこい、怪人め」

 ヒメとフユ。二人の少女が、背後に並び立つ。

 ふふ、頼もしいや。

 僕はわずかに口角を上げ、窓の外に広がる無数の点――飛来する魚介人類を、睨みつけた。

 その日、生徒会室は戦場となった。


 背後でただ一人、魚介人類の王と化したキング・マカレルが逃げていくことには気づかずに。

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