第7話 自宅<碧>
塾の入口から西条さんが出てきた。僕らは話すのをやめ、電柱などに隠れながら、彼女を尾行し始める。
街道は寒々しく、時々木々の枯れ葉が舞い落ちては通り過ぎる人々がそれを踏み鳴らしていく。
西条さんの姿を見るのは、久しぶりだった。コートを着た彼女は以前に比べ、綺麗さを増していた。長い黒髪を靡かせ、通り過ぎる男を魅了していた。
「ありゃ、モテるわけだ」
信号を待ち、持ち運び用のホッカイロで寒さを凌ぐ西条さんをじっと見つめ、光岐はつぶやく。
「惚れた?」
「見惚れているだけだ」
「それを、惚れたと言うんだよ」
電柱に隠れながら、僕らは下世話なことを言う。
一方の水谷は立ちつくす西条さんのことを口を閉ざしたまま、凝視していた。
「どうかした?」
「どうもしていない」
女子も惚れるほどの女子なんだろうか。ともなれば、死んだ湊も誇らしかったに違いない。
あるいは、惜しいことをした、と空の上で地団駄していることだろう。
信号が青になり、西条さんが横断歩道を渡る。僕らも、彼女に続くように一般車両の前を通過する。
西条さんが向かった先は、タワーマンションだった。
「……タワマン」
僕らは四十階ほどのタワーマンションを見上げた。駅前のイルミネーションよりも圧倒される光に包まれる窓の数々。
先日も感じたが、この世界は格差社会なのだとつくづく思う。生きづらさを感じられるずにはいられない。
「なんとなく予想はしていたけど、タワーマンションに住んでいるんだ」
嫉妬を超越した羨望の眼差しがタワーマンションに向けられた。
「どうする? マンションの中に入る?」
「マンションの中に入る? 入れるわけないじゃん。警備ついているんだし」
今日の僕たちの僕達の捜査はここまでか。もはや悔しい気持ちさえも抱けない。寒いし、疲れが溜まっているし、できればこのまま帰りたい一心である。
「あれ、見て」
カジュアルスーツを着た若い男が、僕らの前を通り過ぎる。
「なんだよ。知り合い?」
「違う」
「じゃあ、彼氏?」
「だから、違うってば」
水谷は全力で否定する。
「YouTuberだよ」
「YouTuber?」
僕と光岐は声を合わした。水谷は嬉しそうに首を縦に振った。
「どういう系? お騒がせ系?」
「違う。ASMRだよ」
予想の斜め上の答えが返ってきたということもあり、僕の開いた口が塞がらなかった。
ASMRとは、食べ物などの咀嚼音のことを指すらしい。僕は基本音楽を聞く用途でYouTubeを開いているため、詳細はわからないままだ。
僕が指をくわえているうちに、水谷は若い男のYouTuberに話しかけていた。
「一緒にマンションの中に入れてくれるって」
「はあ」
勢いに呑み込まれるという表現は、まさにこの状況をさすのだろう。あれこれ水を差すのも億劫になり、ひとまずタワーマンションの中に入ることになった。
エレベーターの中で、水谷と若い男のYouTuberが嬉々とした表情で会話を進める中、僕と光岐は場の悪い表情を浮かべることしかできなかった。ただ、胸の鼓動は高まり、悪い気はしなかった。タワーマンションの中はそれほどまでに、輝かしかった。
10階に止まり、僕らは廊下に出る。煌びやかなライトが床下を照らしていた。
ちょうど廊下には西条さんの後ろ姿が見えた。
西条さんは1005室の中へと入っていく。
そして、若い男のYouTuberもまた1005室のドアの前で止まった。
思わず僕らは驚いてしまった。
「ここが俺の住んでいる部屋なんだ」
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