私と父と小説と

レバノン

「お前が非を認めない限り、こっちは徹底的にやるからな」


 私にナイフを突きつけ険しい言葉を向けてきたのは、私もよく知る作家のあの男だった。私のせいで小説を書くことができなくなったと、この男はそう言うのだ。

 私には全く身に覚えがない。こんな脅しを受けねばならない謂れがない。


「君が小説を書けなくなったことと私に何の関係があるというんだ」

「お前が俺の小説を貶したからだろ!」

「私がいつそんなことを言った? 私はただ事実を述べただけだ」

「それが問題なんだ! 俺はずっと……ずっと頑張って書いてきたんだぞ! それなのに、お前のせいで……」「だから、私は何もしていないと言っているだろう!」

全く話が通じない。私の知らないところで勝手に恨まれていたようだ。どうして私がこんな目に遭わなければならないのか……。

「おい、そこの男ども! 何をしている!」

突然声をかけられた男たちは慌てて振り返った。そして、はっと息を呑む気配がある。

「お前ら、うちの社員だな?」

「いや、そのですね……」

言葉を言い淀みつつ、そそくさとその場を離れていく男たち。残されたのは私とナイフを持ったままの男だけだった。

「待ってくれよ。置いてかないでくれってば」

情けない声で言いながら、男が後を追っていく。取り残された私は呆然と立ち尽くしていた。

一体どういうことだ? 何故、私の周りにはこうも変人ばかりが集まる? 本当に意味が分からない。

だが、今は考え込んでいる場合ではない。一刻も早く家に帰らなければ。

私は急いで会社を出て帰路についた。

家に帰り着いた時にはもう日付が変わる直前になっていた。玄関の鍵を開け中に入る。真っ暗な部屋を見てため息が出た。やはり誰もいないか。

電気をつけてリビングに入ると、テーブルの上にメモ用紙が置かれていた。そこには母からのメッセージが書かれている。

『遅くなるかもしれないけどちゃんとお留守番してるんだよ』いつもなら安心できるはずの母の筆跡が今日に限っては妙に不安感を煽ってくる。

母は今朝から出張で家を離れている。予定ではあと二日ほど帰って来られないはずだ。それまでに何とかしなければならない。

「まずは証拠を集めないとな」私はリビングを出た。寝室に入ってタンスを開ける。一番下の段には父の衣類が入っていた。それを引っ張り出す。父はクローゼットの中に服を入れている。衣類全部を取り出して床に置いた。

「さすが凄いな父さん。よくこれだけ集めたものだ」

父は仕事の関係で色々なところに取材に行くことがあるらしい。その際、取材先で出会った人から頂いた品々を溜め込んでいたのだ。しかも、全てブランド物の高級品ばかり。

私はそれらの中から財布を選んで中身を抜き出した。中には数枚のお札が入っているだけ。とてもじゃないが小説を書き続けられるような額ではなかった。

「まあ、予想通りだな」

次にパソコンを立ち上げネットに接続する。検索エンジンを開いてワードを打ち込んだ。キーワードは『脅迫』『訴えられた時』だ。検索結果のトップページを開くと画面いっぱいに様々な情報が表示された。それらを一つ一つ吟味していく。

すると、一つの記事を見つけた。それはある作家が出版社を訴えるというニュースだった。裁判になった経緯などが詳しく書かれている。

ふむ、これを参考にすればいいだろう。しかし、訴状などというものはどうやって作るんだ? わからないことだらけだったが、とにかく調べることにした。インターネットというのは便利だな。何でもかんでも教えてくれる。

しばらく格闘した後、なんとか体裁を整えることができた。これで準備は完了だ。後はこれを郵送するだけだ。

郵便ポストに投函しようと外に出ると、ちょうど隣の部屋の扉が開く音がした。「あれ、どうしたんですか?」

出てきたのは隣人である花音だった。彼女は驚いたように目を丸くしている。

「ちょっと用があって出かけてくる」

「こんな時間にですか?」

彼女の視線は私の手元に向けられていた。郵便ポストに入っていた封筒を不審に思ったようだ。「何かあったんですか?」

心配そうに見つめてくる彼女に嘘をつく気にもなれず、事情を説明した。話を聞き終えた彼女は真剣な表情を浮かべる。

「それって、脅迫ですよね? 警察に相談しましょうよ!」

そう言って携帯を取り出す彼女を止める。「いや、警察はだめだ。事が大きくなりすぎる」

「ですけど……」

納得できない様子の花音を宥めて部屋に戻る。

「大丈夫だ。少し様子を見ようと思う」

「本当に危ないと思ったら逃げてくださいね?」

「ああ、わかっているよ」


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