七、

 あれは、十七の春だ。

 憑きもの祓いの帰り、河原土手を歩いていると背の高い男が橋の下を行きつ戻りつしているのが見えた。遠目にも憑きものに巻きつかれているのが分かって、いやな予感がした。

 急いで河原へ下り声を掛けると、男は少し驚いたあと人懐こい笑みを浮かべた。


 男は斎藤さいとうと名乗り、年は二十七、売れない物書きをしていると言った。一週間ほど前から近くの下宿屋へ滞在し、進まない筆に題材を求めてうろついていたらしい。

 私の噂は未だ耳に入っていない様子だったが、勘違いでも声を掛けた理由を話さないわけにはいかなかった。斎藤は痩せて顔色も悪く、いたるところに憑きものをぶらさげていたからだ。

 私は身元を明かした上で、憑きものを祓うことを勧めた。声を掛けたのも縁だから金はいらないと伝えた。しかし斎藤は、頭を横に振った。

――それがどんなものだとしても、俺に憑く理由があるから憑いているのだろう。それなら、俺が背負っておかねばならんのじゃないか。

――でも、つらくはないですか。

 重ねて尋ねた私に斎藤は、つらくなければ分からんこともある、と少し視線を伏せて寂しげに笑んだ。私の前には救いを求めるものしか並ばないのだから当たり前だが、初めての反応に胸を打たれた。

 結局その日は橋の下で小一時間、お互いの話をして別れた。去り際に「また会えるか」と聞かれて、節操もなくすぐに頷いた。


 翌日から、憑きもの祓いで外へ出る度に斎藤の下宿を訪ねるようになった。斎藤は取り立てて美丈夫でもなかったが話がうまく、理性的でもあった。世事に疎い私に噛み砕いて移りゆく世界を教え、清に勝っても油断はできぬ、と言った。

 斎藤が戦いの話をする度、肩や首筋にぶらさがる憑きものは、決まって強く巻きつき歯を立てた。私が触れている時には離れるが、帯を締める頃には戻って来て元通りに食らいついた。私が祓いたくても、相手が望まなければ祓えない。斎藤に祓う気がない理由は、もう分かっていた。


 斎藤から下宿を離れると聞いたのは、それから一月も経たないうちだった。斎藤は、もう気づいているだろうと苦笑した。でも私は斎藤が物書きだろうが軍人だろうが、どれだけ憑きものをぶらさげていようが構わないから傍にいたのだ。

――必ず迎えに来る。

 斎藤はそう言い残して、支那へと旅立って行った。


 露国との戦いを報じ続ける新聞が旅順りょじゅん開城を告げたのは、翌年だった。秋には露国との条約も結ばれ、冬には大本営解散の報もあった。

 しかし斎藤はあれきり、私を迎えに来ることはなかった。

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