かつての失敗への応援コメント
>本当に彼女の幸せを願うなら、――どれほどみっともなくて、微力であったとしても――己が彼女のために努力をするべきだったのだろう。
>そうすることもせず、ただ神に祈るだけで何かを為した気になっていたのが、私の失敗である。
とても身につまされる言葉でした。
私も上手くいかなかったときに、「努力したつもり」になっていただけで本気で何かを変えようとはしていなかったんじゃないかと後悔することがよくあるので。
ビターですが心にささるものがあるお話でした。
作者からの返信
>雪世 明良様
神頼みというものは便利なもので、
硬貨ひとつで努力したつもりになれるのが曲者ですね。
当然のようにそのしっぺ返しはやってきて、
自力で道を切り拓く覚悟が必要だと思い知った出来事でした。
少しでも何かのお役に立てたなら本望です。
コメントありがとうございます。
編集済
かつての失敗への応援コメント
おすすめレビューから参りました。
最近初詣に行っても特段願うことがないな...なんて思うわたしにとっては、登場人物たちの強い願いや意志につい眩しくなりました。
『本当に彼女の幸せを願うなら、神に祈るのでなく、己が彼女のために努力をするべきだったのだろう』と作中にありますが、実際主人公の私は受験勉強に励みながら電話で彼女の相談に乗ったり、本人にできる範囲の努力はしていたのだろうと拝察します。
つまり彼女が他人と破局したのは主人公の責任でもなく、もちろん神様のせいでもなく、彼女本人の自己責任だと思います。他人の人生はあくまで他人のもので、幸せにしてあげたいと思うのは勝手ですが、自分が神様にでもならない限り他人の人生などコントロールはできようはずがありません。それは思い上がりというものです。
ことの顛末として記される、自身の大学への合格と彼女の破局は、そういうことを意味しているのではないかとも読めました。
読みやすいだけでなく、テーマやストーリーやキャラクターがしっかりと重みを持って存在している素晴らしい短篇でした!
作者からの返信
>雪村穂高様
おすすめレビューからいらっしゃいませ。
こうして読みに来ていただける。レビューは本当にありがたいことです。
実におっしゃる通り、
すべての結果はすべて人間の行為の果てに他ならないんですよね。
そもそも電話の後で、彼女たちも神頼みをしに行ってますしね。
その結果は、当人たちの努力次第ですよね、確かに。
今となっては確かめようもありませんが、
たとえ二か月程度の交際期間だったとしても、彼女は幸せだったかもしれません。
それを知らずして神を恨み己を責めるのは、まさに思い上がりであると言えます。
なんだか視界が開けた思いです。
拙い作品ながら、ここまで読み込んでいただけて、とても嬉しく思います。
コメントありがとうございます。