女子高生『川海 晴香』の持ち帰り

 瞳に映る景色は微笑ましい日常。親子が遊んでいる姿。天音はそれを睨みつけ、通り過ぎてゆく。親の手足が微かに透き通って景色に溶け込んでいた。

「分かるのですね」

 雪女の問いにただ一度頷いて、歩いてゆく。雪女は頬を膨らませて不満を溜め込んでいた。歩き始めて以来、一度も言葉で返してくれないのだ。あまりにも冷たい対応は雪女の周りの気温とどちらが冷たいであろうか。

 遊具を統べる子どもたち、地球という部屋を照らす太陽のルームライト、青空のカーテン、岩の壁、砂利の床、草原のカーペット、アスファルトの道路の上でひっくり返った車。

「はあぁ!?」

 思わず素っ頓狂な悲鳴を上げる雪女に対して天音は優しく微笑んだ。

「アンタの起こす気象の異常じゃあここまでにはなんないもの、無罪おめでとさん」

 天音は雪女の肩から手を離してただひと言だけを残してその場を離れようとした。

「そして、さようなら」

「いや待って待っておかしいでしょ。何よこれ何ですか、ここから私どうすれば」

「アフターケアは基本しないものとする。アタシの活動方針さ」

 空いた手を振って家を目指して歩き出した、困惑している美女をただひとり置き去りにして。



  ☆



 車の目撃から先は酷かった。植え込みは抜けて道路を転がり看板はお辞儀をしているように見えるほどに捻じ曲げられて標識は出鱈目な方向を向いていてまともに機能していないといった有り様。

「イタズラ好きとでも言っておくべきかねえ」

 張り裂けたアスファルトの破片はアパートの窓ガラスに突き刺さり、いつもの光景がどこかで見覚えのある別の光景へと変わり果ててしまっていた。

「これは……流石に雪女のせいじゃあないね」

 頭の中だけで閉じられるはずのものが思わず口からこぼれてしまう。歩いて、慎重に歩いて、たどり着くは自身の住まうアパート。古びてひびだらけの階段を上ってゆく。一歩一歩踏み出す度に埃が舞って、相変わらずの汚さに顔をしかめる。上りきった先、少しだけ進んだ先、いくつかドアが視界の端を通り過ぎたその先、お札の張られた奇妙なドアの前で立ち止まり、鍵を差し込む。そしてドアは開かれた。

「帰ってきたよ化け狸。もうアンタには用はないから疾くお家に帰りなっ」

 入ってすぐ、知らずの来客、知っている人物を目にして天音はただ立ち止まる。流れる気まずい沈黙、何かを誤魔化すように微笑む来客とその後ろに燻っている影のように暗い気配を目にして天音は口を開き震わせながら言わずにはいられなかった。

「出たな、妖怪ていくあうと」

 妖怪ていくあうと、ことあるごとになにかしらこの世のモノではないなにかを持ち帰っては天音の頭を悩ませる可愛らしい現役女子高生の川海 晴香。それらを祓う代金の代わりにアルバイトという形で雇っており、その業務内容は主に雑用。

「テイクアウトしてきちゃった。どうも、妖怪デリバリーサービスの川海 晴香です」

 あまりにも愛おしい微笑みは1週間ほど見ていなかっただろうか。天音は心の底で高ぶって暴れて叩きつけに来る想いを抑えることができなかった。

「晴香、晴香晴香晴香会いたかったよ寂しかった」

 叫びながら晴香を抱きしめほおずりをして想いを交わし合う。

「一週間足らずだけどもその間ずっと水分を摂っていなかったような気分でアタシ干からびてしまうとこだった」

「天音恥ずかしいよ、キヌさんがニヤつきながら見てるって」

「違う、あれは空気」

 圧し掛かるような重厚な寂しさから解放された嬉しさからか、輝く表情とおかしな発言をしながら晴香に甘え続けている二十代後半の女性。キヌは笑いながら重大なことを指摘した。

「お祓いは? さっきあなたが言った通りこの子お持ち帰りしてるのよ」

 空気となることに徹していたキヌだったが流石に見かねてしまったようだ。天音は晴香を見つめたまま後ろに控えるモノについて語り始める。

「実はアタシにはその正体が見えてんのだけど一般人が驚くようなイタズラをしてはその鼻を高くするようなやつでね」

 晴香の後ろにいる影のようななにか、それがある形を作ってゆく。赤い肌に高い鼻、手に持っている大きな葉っぱの扇は天音の扇子よりもはるかに大きくて立派に見えた。

「風を吹かせてイタズラすんのもいい加減にしな、アンタ地域の伝承で強化されすぎよ、鼻高天狗」

 それはかつて大層悪戯好きで人々を度々困らせては高笑いしていたというその生を実に楽しむことに精を出していたと言われているこの地域に伝わるもの。

 川を作って人を誘導して酒の肴を奪い取り美味しくいただいたり、温泉に入っている機嫌のいい人が入っているそれを糞尿に変えては愉快に笑い心を満たしていた実に妖怪らしい妖怪。

 人々が迷惑するような行いを繰り返すそんな存在は時々買い物に出かける人に酒を買ってくるように頼むのだという。

 人々は頼まれた通りに酒を、ついでに肴もそえて持っていくと次の日には田畑が耕されて稲が生き生きとしていたり、刃こぼれした鎌でも切れ味が良くなり仕事がはかどるように加勢するような天狗なのだという。

「で、今回はなにをしに来たのかい? アンタの望みは鼻を高くするようなご自慢の神通力を見せつけることかい?」

 天狗は笑いながらすこぶる機嫌が良いといった様子で答えた。

「久々にイタズラするのが楽しくてだな、それとは別に最近近所の子どもたちが強い敵と戦う絵が描かれた書物を見てなあ、血が滾るのだ」

 かつて稲の出来の具合いを検査しにきた武士を追い払い、それを聞いた他の武士たちが腕自慢に退治しに来たのだそうだ。それらを悉く笑いながら追い払ったほどの実力者、それを知っていた天音は目を細める。ふたり向き合うその空気は乾き、周りで見ているふたりの感情は今にも爆発してしまいそうな緊張で彩られていた。熱い視線を向ける天狗に対して落ち着いた声で答えた。

「いやだね」

「は? この流れで」

「暴力反対平和主義、やりたきゃ中学のヤンキーでも矯正してな、鼻を高くするような神通力とやらで」

「いや、鼻は生まれつき」

 天音の言葉は止まることを知らなかった。

「あとその赤い顔は酔ってんの? それとも誰かに惚れてんのかい? 青春だねえ」

 晴香は焦りながら天音の口を塞ごうと近付く。

「晴香、どうやら今回アンタがテイクアウトした妖怪とやら、アタシの口には合いやしなかったみたい」

 寧ろ口に合う妖怪などいるのだろうか、そう訊ねたくてたまらなくなった晴香だったが神なら恵比寿、妖怪に限るなら座敷童とか弱い貧乏神に化け狸の場岳 キヌ、思ったより多いことを確かめてからというもの妖しい笑みが止まらないでいた。

「どうしたのかい、いきなりセクシーな笑みなんか浮かべて。アンタ、アタシといる内に大人になったね」

 天狗の方に向き直り、訊ねた。

「で、アタシはこれが一番訊きたい事よ。これまでのド派手な事故だのもんもを飛ばしたとかいう怪現象、アンタの仕業かい?」

「ああそうだ」

 即答だった。天音は鋭い目つきで天狗を射抜いて訊ねる。

「アンタ、話は分かるようだね、度が過ぎるからなんというかさ、ほら、もう少し抑えて慎ましく生きてはもらえないか訊ねたい」

「断る、俺は欲求不満だ、殺り合う相手が欲しい」

「サンドバッグ殴りつけて自慰でもやってな」

 言葉による闘いでは天狗の百年以上にも渡る欲求不満を満たすことなど出来るはずもなかった。

「ようしアタシが安全圏からぶん殴る。アンタのご自慢の神通力とやら、ここで発揮できるものかな」

 天狗は顔を真っ赤にして目を見開く。怒りはあまりに大きくて、開かれた瞳の大きさに晴香とキヌは腰を抜かす。そんな中、天音だけ、ただひとりだけが明るい表情を浮かべて寂しき部屋を照らしていた。

「いいかい天狗。アンタは大切なことを見落としている。周りを見てみな」

 天音に言われた通りに辺りを見渡す天狗。床に立てられた瓶の群衆に、赤くした顔の意味合いを大いに変えた。

「そう、酒さ。アンタの大好物だろう?」

 天狗は素早く幾度となく頷いた。壊れた玩具のようにも見えるその行動にキヌは思わず吹き出し壊れたように笑っていた。壊れた玩具は感染するようだった。

「アタシはアンタを安全圏からぶん殴る。こう見えてもなかなかの酒豪かつ舌の鍛冶屋でね」

 これからなにをしようというのか、晴香は理解して、飲んだくれちゃうよ、とあきれ混じりに呟いていた。

「鍛えぬいた舌で味わう酒こそ至高の嗜好品、肴との相性を考えてこそ高き志向への指向」

 そして天音はこの闘いへの誘いを全力で発して見せた。

「さあ、つまみと酒にて執り行われる互いにある最強の思考を施行しよう」

 つまるところ、それは論点を戦いから酒飲みへと移行させる作戦、欲求の昇華でしかなかった。しかし、天狗の愛する物の詰まった瓶、無償で戴くことのできる大好物、効果は誰の想像よりも強くてまっすぐ。天狗は笑顔で受けて立つことに決めていた。

 その会話のなかでキヌはさぞ愉快といった様子で笑い、晴香は額に手を当て瞳を閉じた。

「昼間から飲み会なんて……」

 どれだけ頭を回し転がしても、晴香の口からはその言葉しか出てこなかった。

 そのひと言を聞き逃すことなき天音は天狗に開いた手を突き出し待ったのサインを送り付け、食器棚から白く美しい急須と土のようにたくましい湯飲みを取り出し緑茶を淹れ始める。

「いいかい、これは相手を満足させるためにやることなのさ、アンタは緑茶飲みながら見守っていておくれ」

 湯飲みに注がれた薄緑、それは舞いながら漂い消えゆく湯気とともに落ち着きを与える優しい香りを晴香に運んでいた。天音は顔を近付け香りを強く愉しみひと口だけ啜って晴香に渡す。

「今回も美味しくできたよ」

 晴香はしばらく受け取った湯飲みを眺める。天音の淹れたお茶、天音が口を付けたお茶。考えを振り払うべく首を素早く左右に振ってひと口。広がる香りと味は舌を濡らし心を艶やかに湿らせる。落ち着いた表情をみて天音は心にさざ波を立て、一度頷き天狗と向き合った。

「さて、つまみはいくらでもあるからもう準備は完了。始めよう」

 ひとりだけ置いて行かれてしまいそうな人物がいた。

「私は? あの子にだけお茶淹れておいて私にはなにもないの? ひもじい」

「黙れアンタはこれでも食らいな」

 言葉とともに投げつけられた昆布と昆布茶、梅など含まれていなかった。

「昆布だらけじゃないの、今回はあなたの頼みでずっとここいたのに酷い」

「頼むまでもなくずっといたくせに、この不法侵入者め、いや、家に不法投棄されたやつ」

「人とまでは言わないからせめて生き物扱いして」

 大きなため息ひとつ添えて差し出された煮干し、果たしてたぬきの主食のひとつが魚であるという事実は妖怪でも通じるのだろうか、天音は言った。

「アンタ雑食だから選びやすくて助かる」

「たぬきじゃなくていっそ人基準で選んだ方が楽よ? 煮干しいただきます」

 余計な準備が多い中、ようやく全てが整った。女性らしい可愛さのかけらも感じさせない木の机の上には様々なおつまみが広げられていた。天音は無理やり余裕の笑みを浮かべるが、端から我慢ができない、そんな心の声が滲み出ていた。一方で天狗は手を震わせて開戦の合図を待つ。なんど酒瓶に手が伸びそうになってひっこめただろう、その数知れず繰り返される行いは天狗の中では那由他をも凌駕していた。

「さあ、始めよう」

 開戦の声とともに互いは動き出す。天狗が手当たり次第につかんだ酒、それを盃に注いでゆく。ひと口含むと広がるかすかな甘い香りが自身の種類を示していた。

「芋焼酎か」

 塩味の効いたスルメイカを手を取ろうとするも、天音は何かを差し出した。赤と白に染められた身、かにかまとマヨネーズだった。

「アンタの酒飲みは時代が止まってんのね。信仰が行事で出し物をする子どもに移り変わってしまったからか」

 そう、新たなるおつまみの開拓。成功すればそれだけで優位に立つことができる。それは分かっていたものの、新たな愉しみの世界の扉を前にして開かずにはいられなかった。天狗はカニのようなものを恐る恐る手に取って得体の知れない液体のようなものをつけ、口へと運んでゆく。天狗は跳ね上がり、叫んだ。

「美味い!」

 ふたりの間で執り行われている基準、その中で天音は優位に立つ。続いては天音の番、枡に日本酒を注ぐ。透明の液体、しかし水とはどこか違った色をしたそれは天音の心を引き寄せ惹き付け離さない。美しい指で塩をつまみ、酒を口に運ぼうとした姿を見て天狗が引き止めた。

「そんな分かり切った狭い楽しみ方で満足するのか? 俺に面白いものを見せてくれたくせに」

 そう言って天狗が差し出したそれをみて天音は納得した。黄色の体をした薄い円、長年漬けられ愛されてきたそれはたくあんだ。

「たくあん? なるほど、まず食べようって発想がなかったね。キヌしか食べないし」

 口へと運び、噛み締める。大根とは思えない音を立てながらそこから甘くもあれば塩味もある味が広がり日本酒の味が美しい色を引き出していた。

 これにて今は対等、ここから長い飲みの戦いが続いてゆき、晴香はその様子をただ緑茶を啜りながら見守り続けるだけ。それしかできないのだった。

 酒の減りと共に時は流れて、それぞれの酒とつまみ、飲み方から味わい方まで教えて教えられる、それはただ仲良く酒を飲み交わしているようにしか見えない。まるでずっと仲が良かった長年の友のような振る舞いに晴香はどこか寂しさを感じていた。

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