最終話 そして彼方へ
「ほんとうに、いいんですか?」
ほんの数日前には自分が入っていた治療用ポッド。
メルティは四肢を失ったまま水槽の中に浮かんでいる。
その中を浸す薬液は治療を主とした配合ではなく、彼女の生命維持を最優先したものに変わっている。
てっきり厭味のひとつでも混ぜてくるかと思っていたが、案外素直に答えてくれた。
『あたしはもうユヱネス以下の、そこにいるくそ莫迦の実験動物。自由意志なんて存在しちゃいけないの』
彼女が地下施設の大半を破壊してしまった為、唯一地球由来の機械技術を保持するサトルたちの船の一部を復旧するまでの間、間借りして彼らは研究を続けることになった。
治療室は主にメルティの胎内に宿る受精卵についての研究が、リカルドの指揮の下で行われている。
あのときメルティは、自身をただのユヱネスへ、サトルをサヴロスへ成すことで仮説を立証しようとしていた。が、なにかの歯車が狂い、自身はユヱネスの子宮を持つ肉塊へと変貌してしまった。
それでもサトルを取り込み、彼の細胞を取り込んでいたのは科学者の本能と言えよう。
「いや、きみが望めば義肢も与えて外出許可も出すし、以前のような研究だってしてかまわないよ。ただ、肉体の老化を防ぐために一日の大半はそのポッドの中に、食事もこちらが指定されたものを採ってもらうけれどね」
『あんたってほんと、研究しか頭にないのね』
「きみほどじゃないさ」
メルティは鋭く、リカルドは穏やかな視線を交わらせて数秒。
『まあいいわ。あんたの子種、元気に育ってる。たぶん、トカ……サヴロスの疾患を解消できる子が産まれるわ。……これでいいでしょ、王様』
最初はサトルに、最後は一番後ろに控えていたサングィスへ。
ずい、と一歩前に。サトルの肩にそっと手を置いてサングィスは返す。
「だが、産まれる命がひとつでは、種族全体を延命させることは出来ぬ。なにより、ユヱネスの血が混じっては……」
『そんなの、どうとでも調整できるわよ』
自信たっぷりに遮られ、サングィスは小さく唸る。
『ユヱネスの遺伝子は疾患を抑えるためだけに使う。外見も内臓も骨格も完全なサヴロスとして調整してるのよ。あたしの胎内でね。そこのくそ莫迦にそういうナノマシンを作らせたから、問題ないわ』
そうか、と返すサングィスは、安堵半分、悲哀半分の息を吐いた。
『ちょっと、同情とかしないでよ? あたしは研究者としてユヱネスに成ったし、千年かけた研究の成果がやっと出せるの。祝ってほしいぐらいよ』
「だが数の問題はどうなる」
たったひと組の雌雄が産める子の数など、種族を持続させるにはほど遠い。だからこそフウコはサョリへ成ったのだ。
『そんなの、ショタっ子にがんばってもらえばいいのよ』
「ま、待って。なんでぼくがやることになるんですか。母親がユヱネスならいいだけで、父親はサヴロスなら問題はないはずでしょう」
『あんたに打ち込んだナノマシンには疾患を持たせていない。これが全てよ』
うぅ、と唸るサトル。
『待ってください。そのナノマシンをサヴロスの方々に注射すれば、全て解決するのではないですか?!』
ベスがスピーカーから興奮した様子で割って入る。
『ばーか。サヴロスにサヴロスに成るナノマシン打ったらあたしみたいになるわよ。その程度のシミュレートぐらいしてから話しなさい、ぽんこつ』
『で、でもあなたの場合は元々が体内にナノマシンを飼っていました。だから、』
『原種を亜種へ、人為的に変異させるのよ? 負担や負荷が起こらないはずないでしょうが、って言ってんの』
「だが、それとて研究し、打開するのがそなたたちであろう」
サングィスの言葉に、今度はメルティが黙る番だった。
『ま、まあそうだけどさ。千年超えたあたしたちのからだがどこまで保つのか、実際は分からないんだからね』
「ならば、後進を育てれば良かろう。それが、命あるものの本来の姿。本来のありようとは違ってもそなたは母となる身。生命が命を意志を繋ぐ意味もいずれ、解るであろ」
『うるさい。あんただって子無しでしょうが』
サングィスは怒るでもなくまっすぐにメルティを見つめ、
「いまは、サトルがいる」
本当に絶句し、あっそ、とだけ返す。
「え、えっと、ぼく、そういうことに、なるんですか?」
「そういうこと、とは?」
「サヴロスの王家に入って、王子さまになるのかなって」
一瞬あって、すぐに豪快に笑い出した。
「そのようなことはせぬよ。無論、そう考えたことはあったがな」
えっ、と驚くサトルにサングィスは柔らかく、しかし僅かばかりの困惑を乗せて微笑みかける。
「そなたの母を、ナリヤ・フウコを奪ったのは我。あの試合でそなたの願いを叶えようと言ったのは、王家に迎え入れようと、そう思っていたからだ」
「で、でもぼくそんなつもりでお願いを言ったわけじゃ」
「うむ。そなたはただのナリヤ・サトル。そなたが望まぬ限り、以前と同じ生活をするがよい」
以前と同じ、と言われて、自分がどんな生活をしていたのかすぐには思い出せなかった。
だって、母の行方は判明したし、従って刀を握る必然性もなくなった。
自分には、もう生きる目標が、と沈みかけた瞬間、
「はい。でも以前と同じにはできません」
「ふむ?」
「ぼくには、やらなきゃいけないことができましたから」
そうか、と頷き、きびすを返す。
「よいことだ。じつにめでたい」
* * *
サヴロス城を遠くに望む草原。
穏やかに晴れ、そよ風が心地よく渡るそこに、ぽつんと白い小屋が建っている。
屋根は真っ平ら。明かり取りの窓もなく、入り口すらどこにあるのか解らないその小屋こそがサトルとタリアが五年の歳月をかけて建造した宇宙船だ。
サトルが提示した図面に、当然タリアは困惑した。が、「宇宙に出るだけだからそんなに複雑じゃなくていいの」とサトルは押し切り、いまではシンプルなあのデザインに愛着が湧いている。
サトルとタリアはふたり並んで操縦席に座っている。
コンソールにはキーボードや計器類やモニターが並んでいる。船の制御自体はベスがやると言って聞かなかったが、これはぼくが受けた依頼だから、と辛抱強く説得し、緊急時以外は静観するということで落ち着いた。
「出力安定、各種センサー問題なし」
タリアからの報告に、サトルはゆっくりと頷く。
「了解。エンジン出力上昇。万有斥力場発生。惑星引力からの離脱まで五、四、三、二、一、……」
正面のモニターの片隅に、船を外部から映した映像が出る。カウントがゼロになるのと同時に、小屋の下から土煙が舞い上がり、小屋もとい宇宙船がゆっくりと浮き上がる。
ふたりは一度視線を合わせ、うなずき合い、
「離脱、成功っ」
どちらからともなく拳を出してこつん、と合わせる。
ふう、と息を吐いて正面のモニターに目をやる。離陸した直後は少しふらついたが、いまは気球のようにゆっくりと、しかし確実に晴れ渡った空に吸い込まれるように 宇宙船は上昇していった。
足下の草原もどんどん離れていく。
ベスが気を利かせて足下から天井から全周囲モニターに切り替えてくれた。
ふふ、と笑って天井を見上げる。
目指すは地表からおよそ百キロメートルの衛星軌道。
いまのサトルたちの技術力では、そこが限界点だから。
「きれい、だな」
「うん。こんなにも大きくて、でもすぐ近くにあるみたいに感じる」
ふたりは衛星軌道で船を止め、自分たちの生まれ故郷を眺めていた。
「どう? これで依頼は達成できたかな」
タリアと視線を合わせ、サトルは意地悪く言う。
「そういえばそうだったな。そのためにお前に会いに来たんだった」
忘れてたの? と笑い、まあな、と苦笑する。
もう、依頼だったことなんてどうでもよくなるだけの時間が経ってしまった。
どちらからともなく視線を外し、全天モニターが映す外を見やる。
生まれていままでで一番長い距離を旅して、サトルはタリアと出会ってからの数日間を思い返していた。
両腕を切り飛ばされたり、母に捨てられたり、痛い思いをしたことはもうどうでもいい。
あの人にも事情はあったのだし、完全に納得するにはまだ時間はかかるだろうけど、いまなら少しは理解できる。
いま一番大事なのは、サョリやサングィス、そして両親に連なるすべての人々が安心して暮らせること。
そのために、自分には出来ることがある。
「この星に、母さんやサングィスさまやみんなが暮らしてる」
そうだな、とタリア。
「だから、決めた。さっきのタリアの提案、やってみるよ」
そうか、と笑うタリアは、本当に嬉しそうだった。
* * *
「じゃあ行ってきます。サングィスさまも、……母さんもお元気で」
ふたりが衛星軌道に出てからさらに一年が過ぎた。
その間サトルはサングィスやロンガレオから、タリアはスズカと鳥族(アウィス)の元女王ディナミスから法術の稽古を受けた。
「うむ。ふたりともよい顔だ。……だがよいな。決して無理はするな。個人の力でどうなる組織ではないのだからな」
「わかっています。ぼくだってそこまで傲慢じゃないですから」
出発の日、サトルとタリアはサングィス夫妻に挨拶に来ていた。
場所はサングィスの執務室。サングィスの母アウィアは気を利かせて退室している。
ふたりはこの星を離れる。
目的は、かつて母やベスやサングィスが戦った、銀河系の星々を裏から支配する組織と戦うため。
当然、壊滅が目的ではない。組織が運営する格闘大会に出場することで担保される星の植民地化からの免除。これが目的だ。
「そんな無茶はわたしがさせない。安心しろ。親莫迦のサングィス」
「よいなその二つ名。ありがたく貰おう」
「……本当にお前は、愚直というか、なんというか……」
呆れるタリアを横目に、サトルはサョリに歩み寄る。
「ごめん母さん。こんな時に」
「いいのよ。それよりも、たまには帰って顔ぐらい見せるのよ。通信だけじゃこの子も寂しがると思うから」
言ってそっと腹をなでる。
半年ほど前、サョリは子を授かった。
輿入れから十年以上かかってようやくの初子にサングィスもアウィアも大層喜び、先日ようやく国を挙げての祝賀会が終わったところだ。
ちなみに、ではあるが龍種の平均寿命はユヱネスのおよそ倍。なので特にベスが危惧した高齢出産には当たらないのだという。
「うん。ぼくも、妹に会いたいから」
え、とサョリは目を丸くする。
「妹、ってわかるの?」
サョリが身籠もった子の性別は、診断した医師とベスしか知らない。
「う、うん。勘だけど」
「そう。サトルが言うなら当たるかもね」
ふふ、と笑うサョリにサトルは頬を赤くする。
「おい、なんだその顔は」
割って入ってきたタリアに、サトルは渋面を作る。
「なんだ、ってなにさ」
「わたしを前にして他の雌、しかも子持ちの雌に頬を染めるなんて、どうかしてると言ってる」
「あ、赤くなんてなってないよ」
「ふん。ならもういい。謝れば許してやったものを。試合で後ろから撃たれても文句言うなよ」
「なんでそうなるのさ!」
そんなふたりのやりとりを、いつまでも見守っていたい気持ちを抑えつつ、サングィスはふたりを促す。
「そろそろ出立の時間だろう。ベス殿が待ちわびておるはずだ」
サングィスに向き直り、もう一度サョリを見て、深くお辞儀をする。
「……はい。行ってきます。母を、妹を、よろしくお願いします」
言ってすぐにおかしなことを口にした、と後悔したが、サングィスは力強く頷いてくれた。
それだけでもう、十分すぎるほど嬉しかった。
なのに。
「サトル、おいで」
サョリが頬をほんのり赤く染めながらも両手を広げている。
「な、なに言ってるのさ」
たじろぐサトルに、サョリは口を尖らせる。
「だ、だってしばらく会えないんだもん。ハグぐらい、いいじゃない」
「ぼくもう十九才だよ。そんなのしなくても」
「あたしがしたいの! 少しは察してよ!」
子供っぽく怒られ、もう、と渋りながら歩み寄ってゆっくりと抱き合う。
あのとき抱きついたときとは違う、柔らかなぬくもりがサトルを包み、
あのとき抱きしめてやれなかった後悔が、ゆっくりとほどけていった。
そして、腹部からも小さな鼓動を感じた。
「ありがとう。行ってきます。母さん」
「うん。元気でね」
ゆっくりと離れ、さいごに握手と笑顔で三人は別れた。
案外帰郷ははやいかもな、とタリアはぼんやり思った。
* * *
分厚いゴーグルに裾のすり切れた防塵マントを首から全身に巻き付けた青年がいる。
名をサトル。
その隣には豪奢な装飾が施されたマスケット銃を縦に構える乙女。
名をタリア。
ふたりの足下に広がるは砂塵渦巻く円形の広場。周囲を囲うのは石造りの高い壁。頭上に広がるのは満天の星空。
壁の向こうの観客席には今日も多様な星系からの観客がぎっしりと詰めかけ、まもなく幕が上がる決戦に、興奮を隠しきれず雄叫びをあげる者もちらほら見える。
銀河系のどこかにある、生まれ故郷とは遠く離れた星で、今日も熱狂の花が咲き乱れる。
今日はふたりにとってのデビュー戦。
対峙するは犬のような体つきの男性と、猫のような体つきの女性。男性は弓を、女性はナギナタ、いや偃月刀を携え、こちらを不適に睨んでいる。
幼い頃に母やベスに何度も何度も読み聞かせてもらった、動物たちが二足歩行の姿で冒険する絵本をサトルは思い返し、うすく微笑んだ。
世界は、宇宙は広い。
ユヱネスのような人種の方が珍しいほど、外見は多種多様だ。
妹への土産話がまたひとつできた。
これだけでもこの旅に出た甲斐があったと胸を張って言える。
ともあれ、いまは試合だ。
サトルは腰の二刀を抜く。
タリアはマスケット銃を腰撓めに構える。
それだけで歓声がとどろく。
『二組とも用意は整ったようです。それでは、はじめ!』
サトルとタリアのタッグがそのコンビネーションと強さを銀河中に轟かせるのは、もう少し先の話だ。
< 終 >
白亜の星のたったひとりの少年と冒険したがりの獣族の姫様 月川 ふ黒ウ @kaerumk3
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