第11話 妻と夫と

「いきます」


 自身に言い聞かせるように低く言って、サングィスたちを背後にサトルは駆け出す。彼の姿がサョリの視界にあれば、それだけ彼女の動きは鈍る。はずだ。

 ただでさえ満身創痍な上、片腕なのだ。それぐらいのハンデはあってもいいと思う。

 サョリの両目がサトルを補足する。そのまま顔を横に向け、大口を開けて噛みついてくる。閉じられる瞬間、まだ使用出来る両足の法術ギアを使ってジャンプ。間一髪閉じられる、牙がむき出しの顎に一瞬足を付いてうなじへ向かう。


「後頭部から狙えば!」


 自分が二刀を軽々と片手で扱い、サヴロスたちの重い攻撃を裁けるのは、あくまで両肩と両膝、そして胸に装着した法術ギアのサポートがあってこそ。そのギアも腕が切り飛ばされた際に二つとも破壊された。

 右腕は一応自分の意思で動いてくれているし、トルアの治癒の術もちゃんと効いていると実感するが、心のどこかですぐに外れてしまうのではないか、という一抹の不安も抱えている。

 右腕が刀を重いと感じるよりもはやく、サョリの動きを止めなければいけない。


「わああああっ!」


 太い、またがっても半分も足が届かないほどのうなじに滑り込んだサトルは、刀の柄頭でサョリの後頭部を強かに打ち付ける。

 先祖返りしようがなんだろうが、生き物の身体的構造はそう変わるものではない。

 脳に繋がる太い血管が通る後頭部を叩き、一瞬だけ血流を止め、昏倒させる。ロンガレオの時もそうだった。腕のギアがない現状でこの分厚い筋肉の向こうにある血管にどれほどのダメージを与えられるか分からないが、それでも。


「だあああっ!」


 二発目。まだ動きによどみはない。

 ならばと三発目を振りかぶった瞬間、


「サトルさま! そこから離れて!」


 ぐらりと視界が揺れ、気がついたときには右へ大きく傾いでいた。


「わわわっ!」


 とっさに飛び退いていなければ、あの巨体に押しつぶされていた。サョリはごろりと横に、ツタの絡みつくヘリポートへとからだを押しつけるように一回転し、事もなげに立ち上がる。

 咆哮。

 そして、異変に気付く。

 周囲が霧に覆われている。おかしい。そんな気温でも時間帯でもない。警戒するように首を振って周囲を見回すサョリの正面に、サングィスが無防備に立っている。

 いつの間に、と下がって、が同時に沸き立ち、踏み出そうとしたサトルの肩をトルアが掴んで制する。


「でも、あのままじゃ!」


 ゆっくりと首を振り、こちらをじっと見つめる彼女の強い瞳に、先ほど言っていた策が動いているのだと察してサトルはふたりを見守る。


『どうしたサョリ。我の命を取りにきたのではないのか』


 両手を広げ、泰然と。

 あのひとはいつもそうだ。

 体躯だけじゃない。振る舞いも声音も声量も、ゆったりとした翼毛も、遠くから見ているだけで安心できる。


『弑されるならそなたがいいと常々言っているだろう。夫婦めおとが共にする願いが叶おうとしているのだ。早うするがよい』


 弱々しく首を振り、鳴き声にならない音を喉からいくつも零す。


『どうした。そなたはその程度を逡巡するようなおんなではない。……我を信じよ。そなたは我が妻、オゥマ・サョリである』


 おおおおおっ、と咆哮を、遠吠えのようにひとつ。そして顔を横に向け、一気に、サングィスの胴をかみ砕いた。


『そうだ……、それでよい……』


 上半身だけになって、サングィスはそれだけ言う。その間にサョリはサングィスの下半身を何度か咀嚼した後飲み込み、躊躇無く上半身を丸呑みにした。

 全てを飲み込むとサョリは天高く吠え、そのまま霧深いヘリポートに倒れ込んだ。

 ゆっくりと霧が晴れる。

 場にはサヴロスの姿に戻ったサョリが横たわっていた。

 見上げたトルアがゆっくりと頷くのを待って、サトルはサョリの元へ駆け寄る。

 目元に涙の筋が見えるが、それ以外の肉体的損傷はない。

 ひとまず胸をなで下ろしつつ、サングィスのからだがどこかに落ちていないか視線を巡らせる。


『案ずるなサトル。我ならここだ』


 声はすぐ脇に浮かんだホロ・モニターから。


「っっ?!」


 びっくりしすぎて声も出なかった。


『サョリがかみ砕いたのは、トルアが見せた幻。そうでもせねばサョリは戻らなかったからな』


 サングィスは医療ポッドに入り、その周囲をベスが操る人型たちがせわしなく動いている。あとで聞いたが、治療中のポッドから抜け出すことは大変危険な行為で、あともう少し外に出ていたら彼は本当に死んでいた。


「あ、は、はぁ」


 そういえば治癒と幻惑の術が得意だと言っていた。トルアに視線を向けると、深々と頭を下げている。いいですよ、と一声かけてサョリを右腕一本で背中に担ぐ。


「ベス、ストレッチャー持ってきて。とりあえずひとつでいいから」

『いえ、三つ用意します』

「みっつ?」


 自分とサョリの分はわかる。ならばトルアだろうか、と思ったサトルの正面に、人影がひとつ落ちる。


「ナリヤ・サトル。助けてくれ」


 ぼろぼろのメイド服を着たシルウェスの少女。


「タリアが連れ去られた」


 名は確か、スズカと言った。


「え。ちょ、ちょっと!」


 スズカはその場に前のめりに倒れる。衣服以上にそのからだは血に泥に汚れ、何があったのかを容易に想像させた。


「と、トルアさん! 手伝ってください!」


 そう叫ぶだけで精一杯だった。


     *


『まったくもう! ここは野戦病院でも駆け込み寺でもないんですからね!』


 合計四基の医療ポッドと人型たちを忙しなく働かせつつ、ベスは憤りの声を荒げていた。


『……ごめん。ベス』

『すまぬ。だがこれもベス殿が補助してくれると信頼しての行為。許すがよい』


 サトルとサングィスは共に謝罪する。

 サトルは両腕の完全な結合と全身に付いた無数の傷を。その右隣のサングィスは転移の法術を使って抜け出したことで悪化した傷を。まだ目を覚まさないスズカは、サトルの左隣で全身の傷を。

 特に外傷のないサョリはサングィスの右隣のポッドで上書きされた記憶の除去を行っている。

 サョリには『サングィスの父違いの妹として育った記憶』もすり込まれているが、ベスにはそれらの見分けもつくらしく、『サングィスを仇と狙う記憶』だけを除去できると豪語した。


「ベスどの、皆が無事に事を終えたのです。まずはそこを喜びましょう」


 ひとりトルアだけが外にいるが、『万が一を考えれば一番損傷の少ないわたくしが外で見張りをしておくべきです』と頑なに主張するので、ベスは人型たちに命じて疲労回復を主目的としたメニューを彼女に振る舞った。


『そんなことは当然です! 私が怒っているのは、みなさんが生き物なのにちっとも命を省みないことです! 生き物は壊れたら修理できないんです!』

『だって、サョリさん強くて』

『そういう問題じゃありません!』


 一喝され、しゅんとなるサトル。


『大体、サョリはフウコでしょう! サングィスさまがぎりぎりで止めてくださったから良かったようなものの! あのままじゃサトル、あなたは!』

『……うん。でも、だって、ぼくはサョリさんからも捨てられたんだ。だからもう、』

「そんなことありません。断じて」


 トルアの割り込みに、サトルは弱々しく首を振るだけ。


『そちらの問題が片付いているなら、こちらから頼みたいことがある』


 いつの間にか目を覚ましたスズカが、低く静かに言う。


『あ、はい。タリアさんが攫われたんですよね』

『ああ。相手は三人。だが顔を白い仮面で隠し、頭から全身を、香草のにおいを付けたローブで覆っていて種族すら分からなかった』

『えっと、念のため確認したいんですけど、タリアさんは生きてますよね?』

『当然だ。あの爆発でわたしもお嬢も怪我を負ったが、サングィスの導きですぐに脱出して治療した。その後すぐに追っ手が来ていままで逃げ回っていたんだ』


 そうですか、と返してサトルは考える。

 三人、と聞いて真っ先に浮かんだのは、サングィスを追ってきたシルウェスたち。だが彼らも攫われたタリアを探していると言っていた。


『そうだベス、サングィスさまを追ってきたひとたちの映像って出せる?』


 はい、と一同の前にホロ・スクリーンが浮かび上がり、あの三人の姿が映し出される。


『うむ。我を追っていた三人だな』

『この三人、シルウェスを名乗ったのか?』

『えっと、確かシルウェス王の近衞って言ってました。名前までは聞いてないです』

『見たことはないな。私の所属はお庭番だから近衞たち全てを見知っているわけじゃないが、少し違和感はある。もう少しよく見させてくれないか?』

『かしこまりました。解像度を上げ、装備を外したイメージ映像をお送りします』

『助かる』


 確認したかった。

 いくら数が同じだからと言って、サングィスを追うことを諦めてスズカを、それも正体を隠して襲撃するだなんていくらなんでも短絡的すぎはしないか。

 シルウェスならばタリアとスズカの関係性は知っているだろうし、無理矢理引き剥がしたりはしない。少なくとも自分ならそうするし、なにより正体を隠す理由が見つからない。


『正体を隠してるってことはさ、バレたくないってことだよね』

「そうですね」

『じゃあやっぱりシルウェスってことになるのかな』

『我らを疑うのか』

『そういうことじゃなくって』


 どう言えばいいのか思案していると、


『サトル、件の三名が接近しています。私が対応します』

『え、もう? 気が早いなぁ』


 確かにあの三人にはサングィスの怪我が治るまで待ってほしいと言ったが、それにしても同じ日にやってくるとは思わなかった。

 法術を使えばどんな大けがでも半日もあれば治癒できるから、きっと同じ感覚でやってきたのだろう。


「主上、わたくしがベス殿と共に応対してもよろしいでしょうか」


 ふむ、と考え、


『……どう思うサトル』


 まさか自分に助言を求めてくるとは思っていなかった。

 しどろもどろになりつつサトルは思案する。


『え、えっと、最初に来たときの感じだとベスだけで対応すると今度は何をしてくるか分かりません。だからってトルアさんが出ると立場的に問題が……出るんですよね』


 こくりとうなずくトルア。


「わたくしは、サョリさまの近衞です。主上とは組織的なつながりはありませんが、それでも近い立場に居ることは間違いありません。サョリさまの子の保護者の護衛として直接面通りしたいのです」


 一旦切ってポッドの中のサョリを見つめる。

 目元と耳までをすっぽりと、ケーブルが無数に伸びるヘルメット状のものを被せられ、鼻から下は呼吸用のマスクが取り付けられている。 

 時折、あ、あ、と声を漏らしている姿に、トルアは唇を噛みしめる。


「……タリア姫が、何者かに攫われたことはスズカ殿からの報告でも明らかです。その旨を伝えるだけなら、わたくしが出ても問題はないかと存じます」


 わかりました、と頷いてサトルはサングィスを見やる。


『ベス殿。先と同じように、なにかあれば我も通信を繋いでもらいたい。よいか?』

『なにがあっても、先方がどんな言動をされてもポッドから抜け出さないと、サトルに誓っていただけるならば』


 石のように固い声音でベスは言う。

 ふ、と漏らした息は笑みだったのかも知れない。


『サトルに、か。承知した。治療が終わるまで我はここから出ることはせぬ』

『本当に、ですよ。今度抜け出したら命を落とします。薬液に浸かっているから実感はないかも知れませんが、サングィスさまのお体にはいま無数のメスが入っている状態なのです』


 その説明はサトルもいままで何度も聞いた。

 このポッドに満たされているのは単純な薬液以外にも、手術用のナノマシンも大量に含まれている。それらが傷を塞いだり、不必要な細菌やウィルスを除去しているのだと。


『その状況から抜け出したサングィスさまといまこうやってお話ができることに、機械であるわたくしでも神に感謝したいぐらいだと、覚えておいてください』

『……すまぬ。もう二度とせぬ』


 絶対ですよ、と返してベスはトルアに言う。


『行きましょう。応対には入り口にある私の義体を使います』

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