ある人殺しの手記

@arohamaharo

ある人殺しの手記

「被害者ぶってんじゃねえよ、クズ。約束を守らなかったのはお前だろうが」

 怒りに任せて吐き捨てながら、俺はその男の体に何度も斧を振り下ろす。

 俺にとっては小説を書くことが全てだった。それを踏みにじったこの男は死んで当然だ。「……そうだな。約束を破ったのは私だよ。君との約束を守れなかった。だからこれは私の罪だ」

 そう言って男は笑う。血まみれの顔で、それでも笑っていた。

「だが、君は違う。これからも生きていかなければならないんだ。だから―――」男はそこまで言うと、目を閉じたまま動かなくなった。もう二度と口を開くことはなかった。

「おい!しっかりしろ!」

 返事はない。呼吸もしていない。心臓の音も聞こえない。男が生きているという証は何も残っていなかった。「……あぁ」

 理解する。男が死んだということを。

 俺にとって初めての殺人。それはあまりにも呆気なく終わった。

 それからのことはよく覚えていない。ただ無我夢中で走って、気が付いたら家に戻っていた。そしてそのままベッドに飛び込んで眠ってしまったらしい。次に目が覚めた時、既に夜になっていた。「…………」部屋を出てリビングに向かう。電気をつけることなく、暗闇の中ソファに座ってテレビをつけた。すると画面の向こうからニュースキャスターの声が聞こえてくる。『速報です。本日〇時頃、東京都×区に住む会社員、田中徹さん(42)が自宅で死亡しているのが発見されました。死因は出血死と見られており、警察は殺人事件として捜査を進めています』

 それを聞いて少しだけほっとする。少なくとも自分の犯行ではないということだけははっきりしていたからだ。「……ふぅ」深く息を吐き出す。これでようやく落ち着いて考えられるようになった気がした。

 まず最初に考えることはもちろんあの男のことだった。名前は知らないし年齢もよくわからない。だけど唯一わかっていることは奴が小説家だということだけだ。名前や年齢はどうでもいい。問題はなぜ自分があんな目に遭わなければならなかったのか、その理由を考えることだった。

(……まぁ思い当たる節はあるんだけどさ)

 正直心当たりがありすぎる。そもそも自分は小説なんて書いちゃいないのだ。

 書くのはいつも目の前の男だった。なのにこいつは約束を破り、勝手に一人で書き始めた。

 それだけでも許せないのに、さらに腹立たしいことにこいつときたらそれを出版社に持ち込もうとまで考えていたのだ。そんなもの絶対に認められるわけがない。だから殺した。それが理由だとしか思えなかった。

 しかしそれならどうして今になって殺しに来た?いくらなんでもタイミングが良すぎないか?それにあいつが言った言葉にも疑問が残る。まるで自分を殺すためにわざと約束を破ったような言い方をしていた。「…………」考えれば考えるほど頭がこんがらがってくる。これ以上考えても無駄だと思い、とりあえず一旦保留することにした。

 それよりも今はもっと重要なことがある。そう思った俺はスマホを取り出して電話をかけることにした。相手は同じアパートの住人だ。

 プルルルル ガチャッ

『はいもしもし?』

「あー、佐藤か?」

『ん?誰ですかあなた?なんで俺の名前を知ってるんですか?』

「……」

 声だけでわかる。こいつが犯人だ。

「……なぁ佐藤、俺だよ。高橋だ」

『えっ!?高橋さんですか!?うそぉ!なんか雰囲気変わったな~!』

「そうか?それより頼みがあるんだが……」

『いいですよ!何でも言ってください!』

「じゃあ殺すぞ」

『はい!わかりまし――』プツッ ツー……ツー…… 通話を切る。これで準備は整った。あとはこの男の部屋に行って原稿を回収するだけだ。俺は立ち上がり、玄関へと向かった。

「さて、行くか」

 靴を履いてドアを開ける。外に出る前に一度振り返り、部屋を見渡してみた。

(ここも今日で最後になるんだよな)そう思うとなんだかもったいない気がしてくる。最後に部屋の中を見ておこうと思い、もう一度部屋の中に足を踏み入れた。

 まず目についたのは大きなダブルベッドだ。ここで毎日二人で寝ていると思うと何だかいやらしい気持ちになってしまう。次にクローゼットだ。ここには普段着の他にスーツが何着かかけられている。どれも上等そうな生地で作られているように見えることから、おそらくオーダーメイドのものだろう。他にも食器棚や本棚などがあったが特に興味を引くものはなかったのでスルーすることにする。最後は机だ。そこに置かれているパソコンとモニターを見ると、つい昨日までの出来事を思い出してしまう。

「……」

 本当はこのまま立ち去りたかったのだが、どうしても一つだけ確認したいことがあった。

 俺はマウスを動かしてデスクトップにあるファイルを開く。そこには今まで書いた小説のデータが全て入っていた。

 タイトルは「人殺しの手記」というものだ。

 クリックする。すると画面いっぱいに文字が表示されていった。

 ―――それは俺が殺人鬼になるまでの物語だ。

 この世界には様々な人種がいる。例えば俺みたいな日本人。他にはアメリカ人、ロシア人、中国人、韓国人……。数え出したらきりがない。だがその中で一番厄介なのは人間じゃないだろうか。なぜなら人間は動物でありながら理性を持っているからだ。知性を持ちながら本能に従うその姿はまさに獣と言える。そしてその欲望こそが人間の最大の武器であり、同時に弱点でもあった。

 そんな人間が群れをなして暮らしているのが国という存在だ。そしてその中でも最も大きいのがアメリカである。アメリカの人口は約三億人で、その内の約八割が都市部に集中しているため、田舎に行くほど人口密度は高くなる傾向にある。ちなみにこれは日本も同じことが言える。つまり俺たちが住む町はアメリカの中でもかなり都会の方に位置するのだ。

 しかしそんな都市の中にも、当然のように人が住んでいない場所というものが存在する。それがスラム街と呼ばれる地域だ。そこは犯罪の温床となっており、昼間でも薄暗い通りには浮浪者がたむろしている。また衛生面も最悪で、常に異臭が立ち込めているため、地元の住人ですら近づきたがらないくらいだった。

 そんな中で生きていくためには金が必要だ。 しかしスラム街の住民は貧しい生活を強いられており、満足な仕事にありつくこともできない。そこで彼らは物々交換をするのだ。それもただの物ではない。他人の所有物を盗むことで生計を立てていたのだ。

「おい!お前らのボスはまだ見つからないのか!」

「小説を書いている」「はぁ?何を言っているんだ?頭でも打ったんじゃないのか?」

「だからさっきから言ってるだろ?あいつは小説家だって。名前は知らないけど、いつも黒い服を着てるおっさんだ。どこにいる?」

「知るかよ。俺らはあの人に命令された通りにしただけだ。後は知らんね」

「そうか」

「まぁ殺さない程度に痛めつけてくれって言われてるがな。どうせもうすぐ警察が来るんだ。大人しく捕まっておいた方が身の為だぜ?」

「……」「警察は来ない」

「はぁ?何言ってんだ?ここはスラム街だぞ?そんな場所に警官なんて来るわけねぇだろ?」

「いや、必ずここにやって来る。だから逃げる必要はない」

「意味がわかんねぇな。とにかくお前は終わりだ」「そうか」

「ああ」

「じゃあ死ね」

「はっ、舐めんな」

「……いや、死ぬのはお前だ」

 そう言って俺は手に持っていたナイフを振り下ろした。

 これは俺の復讐の物語だ。


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