4-149 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ⑮




 かつて、ヴァージルという少年はオルヴァをこう評した。

 ――馬鹿すぎて一周まわって賢者に見えてきそうな人、と。

 それは少年の偽らざる本心だったが、同時に誰よりもオルヴァを高く評価していたのも彼だった。


 『死人の森』の六王としてもっとも身近でその呪術の冴えを目の当たりにしてきたヴァージルは、ほとんどの面においてオルヴァの方が呪術師として高みにあると認識していた。それでも、狂王子が賢王を恐れたことは一度として無い。

 なぜならば。


「紀人であること。それがあなたの脆弱性だよ」


 敬意と侮蔑を込めて。

 ヴァージルはアストラルの海の中に意識を漂わせながら呟いた。

 交錯する意識、激突する魂、満ち溢れる混沌。

 戦場の全てを俯瞰しながら、悪戯っぽく笑みを作る。


「それじゃあ、始めようか――勝負しよう、オルヴァ」


 余裕に満ちた宣戦布告。

 少年の戦意は広漠とした情報の海に小さな波を作る。

 ゆっくりと広がり、虚空の彼方に消えていった。

 あらゆるものが移ろい、ただ消えていく。

 虚無の摂理を前にして、人は絶望と希望のどちらかを抱く。

 オルヴァは絶望。そしてヴァージルは希望を胸に。


「僕はね、人にも世界にも絶望していないんだ。だから教えてあげるよ、民よりも王国を信じたあなたに、人の持つ可能性というものを」


 少年は歌う。

 声も嗄れんばかりに、この世の果てまで届けと。

 それは不可思議なメロディの呪文だ。

 不定形の宇宙の中心で、少年は多様な姿の亡霊たちを使役して楽団を編成する。捻じれた黄金の喇叭と白銀の笛が楽団を組んで少年の周囲を踊り狂い、魚の鰓と蛸の触手、馬の頭と七つの眼球を有する異形の神々が産声を上げた。




 レミルスは屋上から飛び降り、遙か遠方の標的に狙いを定めた。

 日の差し込まぬ路地裏を、薄汚れた街角を、尋常ならざる速度で矢のように進んでいく。実際、彼は自らの存在を矢に擬えていた。長い棍を脇に持ち、鼻先を前に突き出した前傾姿勢。矢の走法は男の肉体を飛翔体のように加速させていく。

 視界に映るのは『サイバーカラテ道場』の各種ユーザーインターフェース、小さなデスクトップワルシューラ、そして標的の位置情報。獰猛に牙を見せて唸る。


 ワルシューラが監視使い魔の視界をクラッキングして目的地の映像を表示。

 数秒後に辿り着くであろう戦場が映し出された。

 長い髪の男が軍服の男を追いつめ、今まさに貫手を突き出した瞬間だった。槍のごとき一撃が屈強な肉体を貫き、背中から抜ける。口から血反吐を垂れ流しながらよろめく男。『鬼』はロウ・カーインの前に敗れ去った。


 辺りに横たわるのは軍服の屍兵たち。

 文字通りの死屍累々。辺りに蔓延する高濃度の瘴気によって強制的に機能を停止させられている。操っていた『鬼』が致命傷を受けた今、意思無き使い魔たちが再び蘇ることは無いだろう。アルセミットという国が誇る精鋭部隊は二度壊滅したのだ。


「見事。正々堂々たる一騎打ちで強者に敗れる。武人にとってこれほどの誉れが他にあろうか」


 『鬼』は死の淵にあってなお満足げに笑った。

 対するカーインの表情はほとんどわからない。黒い靄が頭部を覆い、かろうじて口元が見えているのみ。カーインは前面にはほとんど手傷を負っていなかったが、背や側面には打撲痕や創傷が多く見られ、多数に包囲されながら戦っていたことがわかる。『鬼』が使い魔たちを盾にしながら背後からの不意打ちでカーインを仕留めようとしていたことも監視使い魔たちは記憶していた。


 『鬼』の頭部で金属製の『角』が回転し、作動音を響かせる。

 彼の現実は揺るがない。

 誇り高き武人として人生を歩み、満足と共に逝こうとしている。

 戦いの中で拳ひとつに全てを託し、戦乱の世を駆け抜ける。

 己は荒野にひとりきり、ゆるがぬ心は闘争の中に。

 それはひとつの可能性だった。


「君は、それで満足なのだな。シナモリアキラ」


 カーインはどこか羨むようにそう言って、弔いの言葉に代えた。

 『鬼』は弱々しく微笑む。


「ああ、俺は、こんなふうに死ねるのか」


 遠い目をして呟く。叶わなかった夢の続きが『鬼』を救う。

 それから、少しだけ寂しげに、唯一の心残りを伝えた。


「ロウ・カーイン。勝手な願いと知っての頼みだ。巨人の力を振るう岩肌種トロルと出会ったら戦ってやってくれないか。そして、すまないと伝えてほしい」


「ああ。伝えよう。私が勝利した後でな」


 それを聞いて、『鬼』は満足したように息を吐き出した。

 最後に残されていた生命力が身体から失われていく。


「皆、今そこに行くぞ。遅れて、すまなかっ」


 男の全身を支えていた筋肉が弛緩して、膝から崩れ落ちていく。

 カーインは手を引き抜くと、軽く男の身体を支えて地面に横たえた。

 屈んだ状態、絶好の機会。

 隙だらけの背中を見逃すレミルスではない。


 長い棍を体の横に構えて突撃。

 稲妻を纏った一撃がカーインの無防備な背に迫る。

 度重なる『鬼』の攻撃でカーインの服は破れ、素肌が露わになっていた。呪的強化繊維に覆われていない脆弱な肉体へ『呪雷』を叩き込めば相手は一撃で戦闘不能に陥る。柔よく剛を制すというのがレミルスの戦法ではあるが、だからといって受けるばかりが能ではないのだ。

 滑るように間合いを詰めて一息で突きを放つ。

 棍の先端が大気を灼いて走るが、カーインの背に黒々とした靄が収束。

 両者の間で衝突した呪力が戦場を震わせた。


「今日の私は背後を狙われてばかりだな。そういえば、背に誰も庇っていなかった。がら空きに見えるというわけだ」


 独りごちるカーインの左背面に次々と集まって翼のように並ぶ闇の塊。襲撃者は小さく舌打ちした。必殺を期した不意打ちが振り向きすらしていない相手に軽々と防御されたのだ。苦々しい表情を浮かべながら飛び退って距離をとった。


 カーインを守るように瘴気の内側から漆黒の腕が生えてくる。

 靄の中から生えてきた腕は合計六本。

 長い指、鋭く硬質な爪、浅黒い肌、盛り上がった筋肉、肩の辺りで霞と消える不可解な輪郭。それぞれが意思を持っているかのように独立して浮遊し、鋭い爪や手掌で攻防をこなす。レミルスは抜群の感覚でそれらを全て捌き切った。


 ワルシューラによる分析。あの腕は瘴気を凝縮させた使い魔だ。神経細胞の塊が単純なアルゴリズムに従って六本もの腕を自律行動させている。蛸のようだと虹犬は思った。

 六本の腕は自在に宙を飛び回り、ありとあらゆる方向からレミルスを強襲。

 しかし棍使いは必要最小限の動きで攻撃を捌き切った。

 まるで背後や頭頂部にも目が付いているかのような知覚能力。

 垂れた耳と黒い鼻先がかすかに動き、つぶらな瞳が余人には知りえない世界を認識する。ゆったりとした胴着を纏った虹犬の若者は一瞬だけ強く放電して周囲を威嚇すると、調息して棍を構えなおした。隙のない立ち姿を見て、カーインは一言。


「そういえば、雪辱戦がまだだったな」


「何度やっても同じですよ」


 彼はいちどだけ公式試合でカーインに勝利している。そうでなくとも『サイバーカラテ道場』にはカーインの試合記録が大量に収められており、有効な戦術パターンを割り出すためのデータには事欠かない。挑発的な言葉が放たれる。


「俺の見たところ、トリシューラ陣営で二番目に強いのはカーイン、あんただ。ここで本気のあんたを倒せば、グレンデルヒが出てくるかな」


 瞳には仇への憎悪。親友はヴァージルのおかげで蘇った。しかし友を傷つけられた以上、恨みを晴らさずにはいられない。グレンデルヒとアズーリアは殺す。絶対にだ。瞳が憎悪に燃える。

 虹犬の全身を走り抜ける雷光。発動した『神経支配インナーベイト』の術が思考を加速、反射速度を電撃的に向上させていく。カーインの連撃を軽々と回避。棍が円の軌道を描いて遠隔操作される腕を巻き込み、側面に回り込んでいたカーインの貫手を弾く。

 片手を得物から離して、無造作に掌を標的の胸に押し当てた。

 無防備なカーインの肉体に沈みこんでいく掌。


「死ね」


 電磁発勁。発電器官を兼ねた筋肉が活性化。殺傷力を有した高圧電流が発生し、カーインを灼き尽くさんと荒ぶり猛る。必殺を期した一撃であったが、カーインはわずかに顔を顰めながらも跳び退ってみせた。黒々とした靄が男の全身を覆い呪的に防御していた。口元には余裕の笑み。


「常人を超える肉体改造。君も『お山』の出身か」


「そういうあんたは、やっぱり『あの』カーインだったわけだ。霊長類だって聞いてましたけど、その瘴気はどうやって? 脳に疑似細菌でも移植したんですか?」


「もし君が私に勝てたら教えて」


 あげよう、と言い終わらぬうちに動き出し、一歩の踏み込みで距離を詰める。長い棍は厄介な武器だが、懐に潜り込んでしまえばそこはカーインの距離だ。鋭い貫手が虹犬の正中線、腹の中心を狙う。一方でビーグル犬氏族は相手の筋肉が緊張した瞬間から迎撃の準備を整えていた。奇襲は不成立。得物から両手を離した虹犬は攻撃の腕を引き込みつつ足を払って相手を投げ飛ばす。

 

 転がって受け身を取るカーインを次々と襲う稲妻の矢。

 更に棍を拾ったレミルスによる更なる猛攻。

 多数の手で絶え間ない反撃を行うが、一向に成果は上がらない。

 虹犬に隙は無い。ある種の動物が地磁気などを感知するように、レミルスもまた生体が発する磁気を読み取って機先を制することができるからだ。

 筋肉や軸索が分化して形成される発電器官が彼の邪視発動部位である。彼は筋細胞の活動電位や軸索が発生させるシナプス電位を邪視感覚によって増幅させ、頭部を正極、足部を負極とすることで発電を行う。発生させた電気は瞬間的な攻撃に使える上、邪視によって『虹弓』を構築すれば雷の矢すら射出できる。だが、その本領は周囲に電磁場を形成することによって可能となった感知能力にある。

 カーインは体表面にまとわりつかせている闇を一層濃くしながら呟いた。


「攻撃の起こりを読むのか」


 レミルスの前では尋常な武術も使い魔による全方位攻撃も共に無意味。

 虹犬の『間合い』は球形に広がっている。一種のレーダーと呼べる超感覚をかいくぐって有効な打撃を命中させるのは至難の技だ。更にカーインの持つありとあらゆる攻め手は解析され尽くしていた。

 六本の腕は一見すると脅威だが、実際には今まで不可視であった瘴気攻撃が可視化されただけに過ぎない。実体を持ったことで威力は増しているが、軌道を読みやすくなったぶんだけこの虹犬にとってはやりやすくなったと言えた。


「最適な戦術も定石も既にインドアユーザーたちによって完成されている。あんたの底は見えました。これで終わりです」


 蔑みや失望を通り越した無関心。見切りをつけたように言い放つ虹犬だったが、対するカーインは落ち着き払ってこう言い返した。


「機械女王の勢力から離反した君がどうして『サイバーカラテ道場』を使用しているのか、そもそも何故あえて私を狙うのか、どちらも不明だが、最適化学習だけを連続して行うのは危険だと言っておこう」


 どこかピントのずれた発言だった。

 虹犬は怪訝そうに「何ですか、それ?」と訊き返す。

 カーインは自然体のまま言葉を重ねた。


「『最適』など日々変化し続ける。サイバーカラテの特性を知り、手の内を隠すことが最善と信じる秘密主義者が相手ならなおさらだ」


 サイバーカラテの教えによれば。

 有効性を試験し、欠陥と短所を把握すること。

 そして『古い手法』のバックアップを取っておくことは必須だ。

 敵が常に決まった行動ばかりをしてくれるとは限らない。


 最後にものを言うのは己が信じる『視座』ひとつ。

 すなわち肉体に刻まれた武の体系のみ。

 闘争とは突き詰めれば互いが出す手の読み合いであり、情報こそが必殺の武器。

 よって武術の神髄は門外不出、隠匿されるべき神秘に他ならない。

 すなわち、武術は呪術的な力を宿している。

 カーインが操る六手がそれぞれに異質な呪力を宿して淡く光る。

 風邪、寒邪、暑邪、湿邪、燥邪、火邪。すなわち病の原因とされる『瘴気』の多様な形態、その一種だった。


 虹犬は低く唸る。

 病と使い魔、高い身体能力。

 猟犬グラッフィアカーネはカーインの正体を判じかねていたが、ワルシューラはこれまでに得られた情報から『高位吸血鬼の眷族となった第二から第三世代の吸血鬼』だと推測した。元々が鉄願の民であるならば、過去の情報とも矛盾せず、高い身体能力にも納得が行く。


「それがあんたの視座ですか、吸血鬼」


「ご期待に沿えず申し訳無いが、少し違う」


 カーインは予測を否定した。

 纏った闇は少しずつ晴れていく。サイバーカラテユーザー相手に秘密を開示する。それはここで勝負を決めるという意思表示に他ならない。

 張り詰めていく空気。虹犬は腰を低く落として身構える。

 カーインの六手が本人の左腕と動きを揃え、一斉に虹犬を向いた。

 次々と射出される瘴気の腕。

 弾丸となった貫手を棍が全て叩き落とすが、それらは弾かれた瞬間に霧散した。形の無い瘴気が目眩ましとなり、更には磁場がかき乱されて感知の精度が低下。舌打ちして瘴気の外へと逃れようとする猟犬グラッフィアカーネだったが、闇を裂いてカーインが肉薄してくる。かつてないほどに膨れあがる威圧感。

 露わになったその面相を見て、虹犬の瞳が驚きに染まる。


「角?!」


 瘴気に染まった浅黒い肌、鋭い爪、血と闘争心に彩られた瞳、鋭い牙。そうした変化よりも劇的な身体的特徴は、カーインの頭部に顕れていた。

 それは角。すぐそこに転がっているシナモリアキラだったものが脳に埋め込んでいた装置とは異なる、紛う事なき生来のものだ。

 カーインが野獣のように笑う。

 禍々しい牙は血を啜るためというよりも、肉を喰らうためのものに見えた。



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