待ってた。 (2021.2.12)

 結局、家に着いたのは夜が明ける前だった。

 同棲中の彼女を起こさないようにそぅっと玄関のドアを閉めて、忍び足でリビングへと向かう。


「ただいまぁ……」


 リビングのドアを開けると、机の上にラップのかけられたご飯が目に付いた。台所の方を見ると、食器等が洗われた形跡がある。


『料理? ぜんっぜんできないよ……あ、ごめん、彼女が作れなくてどうすんだーって感じよね』


『あたし、洗い物苦手なんよね〜。どうしても時間かかっちゃってさ』


 ぽんぽん、といくつかの思い出が顔を出す。ふわぁ、と一つあくびをしつつ、明日の朝彼女を褒めることを決意。どうすれば喜ぶかなぁ、と考えながら、自分の部屋のドアを開ける。


 するとそこには、寝ているはずの彼女が暗い部屋の中でパソコンとにらめっこしていた。


「〜♪」


 さらに小さな鼻歌付き。彼女の鼻歌久々に聞くなぁ、と呑気な自分がぼやく。

 スマホで時間を見てみる。もう朝の五時前。

 ……この子は寝ずにずっとこうして居たのだろうか。過保護な自分が呟く。


「ただいま」


 肩を軽くトントン、と叩く。

 ひゃっ、と高い声を上げ、瞬きの間にパソコンをいじり、シャットダウンしている画面を背景に彼女は振り返った。


「お、おかえりっ」


 ただいま、と軽く返す。

 パチンと電気を付ける。眩しそうに目を細める彼女の目の下には、くまさんが住もうとしているようだ。真っ暗になったパソコンに、自分の少し疲れているような顔が映っている。

 つかの間の沈黙に居心地の悪さを感じたのか、彼女は「あー」と小さく呟いた。話題を探しているようだ。


「ごはん作っといたよ、君が帰ってくるの遅いから、冷めちゃっただろうけど……」

「んーん、大丈夫だよ。ありがと」


 彼女の髪をくしゃりと撫でる。少し照れたように俯くところが、また可愛らしい。


「……あっ、温めとこうか?」


 思い立ったように椅子から飛び降り、聞いてくる。

 少し悩んで、よろしくとお願いした。

 彼女は喜んで動き始めた。その間に自分は部屋着へと着替える。


「……あれっ」


 しかし、いくら探しても部屋着セットに入っているパーカーが見当たらない。少し漁られた形跡があるなぁとは思ったけれど……。

 ふんふふ〜ん、と電子レンジの前で鼻歌を歌う彼女の方を見る。

 しばらく見つめていると、突然鼻歌が消えた。

 それから思い出したかのように袖口を口の辺りに持っていき、すうっと大きく鼻で息を吸い込み、ふぅ、と吐き出す。どこか満足気な表情を見せて、鼻歌の続きを歌い始めた。


「……んもうっ」


 上機嫌な彼女の横顔に免じて許すか、と甘い自分がため息をついた。


  ◇◆◇


「はいっ、オムライス! 今日だけ何か描いてあげましょう!」

「それ毎回やってるよね……」


 ふふん、と彼女がどこか誇らしげにケチャップでハートマークを描く。中を塗り潰そうとした手を止めて、オムライスを受け取る。


「はい、白鳥〇良〜やぁ今日もかわいいねぇあたしの推し」


 ほふぅ、と満足気なため息をつく。二次元オタの彼女を抱えると毎日こんな調子だぞ、と過去の自分に言ってやりたくなる。


「そんなことだろうとは思ったけどさぁ……」


 大きく描かれた『僕じゃない誰かへの愛』に少し心が妬ける。


「すごいあたし呆れられてる気がするっ、ひどいわっ」

「ひどいのはどっちだか」

「言わずもがなそっちでしょお」


 はぁ、とため息をつく。


「はいはい、僕がひどかったですよー」

「む、テキトーに返事しやがって〜」


 スプーンの柄の端でつんつんと僕のほっぺをつついてくる。プラスチックのヒンヤリとした冷たさが心地いいような、いやなような。

 すっと彼女の方に手のひらを出すと、不満げにスプーンを渡された。受け取ってすぐ、スプーンの背の方でケチャップを塗り広げる。


「……いただきます」

「うむ、どーぞ」


 カチャン、と食器とスプーンがぶつかる音。すくって一口運び、咀嚼する。


「うん、おいしい」


 均等にケチャップの行き渡ってないケチャップライスに、ところどころ破けた卵。出来たてのほくほく感がないのも……早く帰ってきたかった。それもこれも全て仕事をいっぱい出してくるあのクソ上司のせい……。


「……下手でごめんね?」


 苦笑いをしながら謝ってくる。どこか悲しげだ。

 まぁまぁ、と頭を撫でる。


「成長した方じゃん。前は混ざりきってない恐らくケチャップライスな物体に卵焼き乗せてたんだから」

「それ一生言い続けるつもり……?」


 ははっ、と笑う。むぅ、とどこか不服げな彼女。その頭をしばらく撫でる。

 すると、彼女も僕の頭を撫で始めた。


「……帰ってくるの遅すぎ、寂しかったんだから」

「む……ごめんね」


 そっと彼女を抱き寄せる。彼女もどこか控えめに腕を腰の辺りに回してきた。嗅ぎなれた彼女の香りがする。落ち着く。

 チュンチュンと鳥の鳴き声が遠くから聞こえた。そろそろ朝だよ、と告げているようだ。


「……ねむぃ」


 ぼそりと彼女が呟く。


「朝ご飯食べたら、一緒に寝よっか」


 ぽんぽんと頭を軽く撫でて、彼女を解放した。

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