第6話 兵団本部に潜入した俺が、真相の一端に触れる話。

「トヲルはコーヒーの淹れ方を学ぶべき」

「な、何だよ藪から棒に……」


 トヲルとアイカを載せた馬車は、ゼノテラス城壁の北側に回り込んでいた。


 都市の北側には農地が広がっている。

 城門も無く、比較的警備の配置が少ない。

 透明人間のトヲルはともかく、馬車やアイカ自身は目立つので、ここを侵入ポイントに決めたのだ。


 彼女は眉根を寄せ、赤いロリポップを咥えた唇をへの字に曲げて御者台にいる。

「あんなまずいコーヒーを飲んだのは初めてよ。あたしに泥水すすって生きる趣味はないっつうの」


 トヲルの淹れたコーヒーを口に含んだ次の瞬間、アイカは盛大に吹き出していた。

 なおコーヒーの残液はトヲルが責任をもって飲み干した。


「初めて淹れたんだからしょうがないだろ。一度しか飲んでない俺に任せるアイカもアイカだと思うよ。豆を挽いてお湯を注ぐだけの作業がそんなに難しいものだって知らなかったし」

「そうね、助手たるものコーヒーぐらい淹れられるようになんないと困るもの。実技から座学からあたしがみっちり仕込んでやるから覚悟するといいわ」

 アイカは鼻息荒く拳を自分の掌にぶつけている。

「……何かこの調査よりやる気出してないか?」


 道すがら滔々とうとうとコーヒーについての講釈を聞かされている間に、城壁の側に辿り着いた。


 そびえ立つ壁を見上げてトヲルは呟く。

「……都市から出る時はロープを使って城壁を降りたんだけど、上る時はどうすればいいんだ? 北側は門が無いし」

「何の為にあたしがついて来たと思ってんのよ」


 アイカは親指の皮膚を牙で突き破ると、滲み出た血液を上空に向けて振り投げた。

 無数に飛び散った血液の雫が細長い横棒状となり、城壁に沿って上端まで等間隔で中空に並ぶ。

 血液によって即席のハシゴが出来上がった。


「……凄いな、こんなことまでできるんだ」

「〈クイーン・オブ・ハート〉にしてみればこんなの朝飯前よ」

「これ、触って手に血が付いたりしないかな」

「ばっちいものみたいに言わないでくれる? 硬質化させてっから付きゃしないわよ。そもそもあんた透明人間でしょうに……ああ、あとこれ、渡しておくわね」


 アイカはポケットから小さな装置を取り出した。

「音漏れの心配が無い骨伝導式のイヤホン。耳の後ろ側に触れるように着けて。侵入後は端末使って定期的に連絡すんのよ」

「何だか訓練学校の演習みたいになって来たな」

 トヲルはイヤホンを耳に装着し、血液で出来たハシゴに手をかける。

 意外と金属の棒のようにしっかりしていて、昇るのに苦労は無さそうだ。


「それじゃあ、行って来るよ」

「言うまでもないだろうけど、何かあったとしても〈ザ・ヴォイド〉は使ったら駄目だかんね。まだまだ不明な点が多い能力なんだから。下手したら大惨事になるかも」

「大丈夫だよ。使おうと思っても使い方がいまいち分からないし」

「ならいいけど。じゃ、後はよろしくね、助手君」

 アイカはロリポップを小さく振った。



 まさか翌日に戻って来るとは思わなかったな。


 トヲルは城壁の上に立ってゼノテラスの街並みを見下ろしていた。

 農地の向こうに市街地が広がり、その中心街付近に〈タマユラ〉のある市庁舎を遠望できる。


 兵団本部の建物はその市庁舎に隣接していた。

 市庁舎も兵団本部も、地上十階建てほどの大きさだ。


 城壁を降りて牧草地を抜けていくと、丁度視線の先に物資を乗せた商用馬車が止まっているのが見えた。

 荷台に忍び込めば、市街地へ運んでもらえることができそうだ。


 折よく休憩が終わったのか、トヲルが荷台に潜り込むと同時に馬車はゆるゆると進み始める。


 兵団の訓練学校に所属していたトヲルだが、兵団本部そのものは縁遠い場所だった。

 学校の見学会で立ち入ったことがあるくらいだ。

 作戦指令室や兵舎、内勤部署といった施設が各階に配置されていると聞いたが、事前情報はその程度――完全に出たとこ勝負になりそうだった。


 市街地に入った辺りで馬車を飛び降り、兵団本部のある中心街へは徒歩で向かう。


 辿り着いた兵団本部の正門には、歩哨が立って警備していた。

 普段から鉄柵が降りていて、馬車、荷台、騎兵等を受け入れる時だけ開く。

 人は横の通用門から出入りするのだ。


「……さすがに開けっ放しにはしてないか」

 通用門のすぐ横にも歩哨が立っている。

 いくらトヲルを視認できなくても、隣で扉をがちゃがちゃやればすぐに気付かれてしまうだろう。


 早くも手詰まりになってしまっている気がする……兵団本部を前に、ふと立ち尽くす。


 その耳に蹄の音が届いた。

 騎乗した兵士が二名、丁度巡回から帰って来る所だった。


 馬上の兵士が合図すると、正門の鉄柵が開かれる。

 渡りに船とばかりにトヲルはその兵士達の後ろについて敷地内に侵入した。


 隣を通り過ぎる時に馬の目がトヲルを捉え、荒く鼻を鳴らす。

 トヲルの気配は動物には察知されやすい。

 刺激しないように足早に兵団の玄関に向かった。


 玄関ホールには兵士や兵団職員が数多く行き来している。

 ここで人にぶつかったりでもしたらトヲルの存在がバレてしまう。

 人混みを避けて、ホールの中央階段の裏に回り込んだ所で、彼は端末にささやきかけた。


「……アイカ、聞こえる? とりあえず本部の建物に入ったよ」

『聞こえる聞こえる、通信良好! ってか順調じゃん、さすが透明人間』

 場違いなほど能天気なアイカの声が届いた。

 正門でいきなり足止めを食いそうになったことは伏せておく。


『どう、手頃な端末はありそう?』

「職員が仕事で使っているのがあるね。上の階に行けばオフィスもあるだろうし、そっちで探そうか」

『いや、それはいまいちかな。トヲルの端末と接続してこっちの端末からのパスを構築するまでそこそこ時間かかると思う。接続してる最中に人が来たら即バレでしょ。普段人が来なさそうな場所じゃないと』

「高価なSF端末を人が来ない場所に遊ばせておくほど、兵団も余裕はないと思うけど?」

『ゼノテラス兵団規模のネットワークやデータベースを維持するにはそれなりの規模のデータセンターが必要なはず。それなら作業に使う端末じゃないし、滅多に人も来ないんじゃない?』


「データセンター?」

 ホールの受付カウンターに見える案内板に目を走らせる。

「……案内板には見当たらないな」


『だから滅多に人が来ない場所なんだってば。むしろ案内板に書かれてないスペースが怪しいでしょ』

「書かれていないスペース……」


 案内板には一階から十階まで各フロアのセクション名が記されていた。

 案内板の通りであれば、この建物は地上階しか存在しないことになる。


 しかしトヲルの視界には、奥に向かう廊下、そしてその突き当りにある階段が見えていた。

 二階に向かう上り階段と共に、下り階段がある。

「地下……があるのか」


 階段を下りた先は、人がぎりぎりすれ違うことができる程度の狭い廊下が伸びていた。


 廊下に並ぶドアにはボイラー室、機械室、ポンプ室といった表示。

 兵団本部のインフラを整備する為の空間だろうか、トヲルの他に人影は見当たらない。

 順番にドアの表示を眺めていると、SF管理室というドアが見つかった。


 ドアノブに手をかけるトヲル。

「それっぽい部屋を見つけたけど……やっぱり鍵がかけられてるね」

『まあ当然っちゃ当然か。上に戻って鍵がありそうな場所を探ってみる? 管理室とか』

「狭い場所だと人とぶつかってバレちゃう恐れがあるけど、それしか――」


 その時、階段の方から足音が聞こえた。

 兵士が廊下の向こうから歩いて来ている。


「だ、誰か来た!」

『落ち着いて、向こうはあんたのこと見えないのよ。やり過ごせばいいわ』

「そう言われても……」


 運よく鍵のかかっていない部屋を引き当てたとしても、扉を開いて中に入ればその動きが兵士の目に入って不審を招くだろう。

 扉以外は石造りの滑らかな壁が続くばかりでちょっとした窪みすらない。

 狭い廊下の真ん中を歩く兵士に触れずにすれ違うのも難しそうだ。


 やむなくトヲルは兵士と同じ方向――廊下の更に奥に向かって歩き始めた。

 背後に兵士の足音を聞きながら、自分は足音を立てないように慎重に歩を進める。


 しばらく進むと廊下は右に折れた。

 その先も廊下が続いていたが、なぜか鉄格子で行く手が阻まれている。

 柵にも扉が付いているが、見るからに頑丈そうな錠前がかかっていた。


 行き止まり――。


 兵士は途中の部屋に入ることもなく、真っ直ぐにこちらへ向って来ている。

 トヲルは鉄格子の扉脇に身を寄せ、可能な限り壁際に張り付いた。


 兵士が軍服のポケットから鍵を取り出しながら鉄格子の扉に近付く。

 ほとんど目の前の距離だ。

 トヲルは息を止めるようにして兵士の様子を見守った。

 兵士のこめかみに、十センチはある傷痕が奔っているのが見える。


 その特徴的な傷痕に、トヲルの記憶が刺激された。


 エクウスニゲルがワーウルフの群れに襲われた夜――トヲルが妹のメイと生き別れたその夜――ワーウルフの群れを駆逐した部隊の馬車でいた兵士の一人。


 彼のこめかみにも同じ傷痕があった。

 トヲルには厳しい態度を取っていたが、それでも彼にとっては命の恩人の一人だ。十年分の年齢は重ねているが、その面差しに確かな見覚えがあった。


 兵士の名はジェフリー。ジェフリー・デミトラだ。


 ジェフリーは鉄格子の鍵を開け、そのまま廊下の奥に向かって歩いて行く。


 兵団の兵士が本部にいても特におかしくはない。だがこんな場所で一人で何をしているのだろうか。

 妙に気に掛かったのは、灯りの乏しい地下でジェフリーの目付きが異様に暗く見えたからかも知れない。


『何してんの、トヲル。兵士をやり過ごしたんなら鍵を探しましょ』

 イヤホンから届くアイカの声をよそに、トヲルの足は開けっ放しになった鉄格子の扉を抜けてジェフリーの後を追っていた。


 鉄格子の向こうに続く廊下の先は少し広い部屋になっていた。部屋の正面には小部屋が四つ、入口を並べている。

 その内の一部屋だけ、重たげな金属扉が閉ざされていた。


 ジェフリーはその扉の前に歩み寄り、覗き窓のスライドを引き開ける。

「よお、生きてるか」

 中に人がいる――どうやらここは、兵団の懲罰房にあたる場所のようだ。


「待たせて悪かったな。ようやくお前の処分が決まったぜ、ディアナさんよ」

「……ジェフリー……きみか」


 独房の中から聞こえた女性の声に、トヲルは息を吞んだ。

 端末を操作し、部屋の音を拾えるようにする。

『何? トヲル今どこにいんの?』


 突然外部の音が聞こえ出したことにアイカの戸惑った声がするが、ここで返事をする訳にはいかない。

 ただ、アイカにも聞かせておくべきだと思った。


 姿は確認できないが独房に拘束されているのは、ディアナという女性。

 部隊壊滅の事件を起こしたディアナ・ラガーディアに間違いないだろう。


「明日の正午に処刑されるんだと。そいつを伝えに来た」

「……ずいぶんと急だな。取り調べも、裁判も無しに処刑か」

「軍法会議は開かれるぜ。そこで処刑が採択され、即日執行って話だ。まあシャワーもベッドねえような懲罰房だが、あと一日でお別れなら我慢もできるだろ」

「処刑ありきの裁判。それを憲兵ではなくきみが伝えに来る。ジェフリー……何をした」


 ジェフリーは煙草を取り出し、口に咥えた。マッチで火をつけて勿体ぶるようにゆっくりと火口を光らせる。


「……出撃して間もなく、きみと会話した直後にわたしは意識を失った。目を覚ました時には既に部隊は壊滅していて、わたしはきみに手足を拘束されていたのだ。兵団に戻ってみればわたしが部隊壊滅を引き起こした張本人だと言われ、そのまま懲罰房行きだった。納得がいかない」

「つまり、暴走したんだろ。お前の特性〈ルナ=ルナシー〉がよ。それをオレが取り押さえてやったんだよ」

 ジェフリーは煙草の煙を吐き出した。


「わたしの〈ルナ=ルナシー〉がそのような状況を招くとは考えられない」

「どうだかな、ワーウルフ?」

「!」


「散々お仲間の怪物を斬り捨てて、銀騎士と称賛されるまでになったお前が、今度は怪物として牢にいる訳だ。世間は失望してるんだぜ? 自分達を守ってくれるはずの騎士が、その実ワーウルフだったんだからな。今だから言うが、オレは初めっからお前を警戒してた。だからこそ暴走した時もオレだけは対応できたんだ」

「わたしは怪物ではないッ!」


 ジェフリーは煙草を吸い、細く煙を吐き出した。

「人外種の〈ワーウルフ〉ってのは事実だろうが。まあどっちでもいいよ。こうなったら誰もお前のことを信じやしねえさ。じゃあな、精々罪を償ってくれ」

 彼は独房の扉に背を向けた。


 歩み去るその背に、独房内から声が届く。

「オレの代わりに――まるでそのようにでも言いたげだな、ジェフリー」

 ジェフリーが足を止める。


「……この奇妙な状況下で察することができないほどわたしは鈍くはない。部隊を壊滅に追いやったのは、きみなのだろう。きみが、わたし以外の兵士を手にかけ、わたしをスケープゴートにした」

「証拠を出してみろよ……と、言いてえ所だが」


 振り返って口を歪めて笑った。

「そうだったとして、それがどうかしたか」


『……』

 イヤホンの向こうから、アイカの呻くような息遣いが聞こえた。



つづく

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