第59話 兄弟

 悪魔……トーレアスが死んだ後も周囲は騒然としていた。


 トーレアスがまさか闇の紋章持ちだったとはと皆意外な様子だった。


 やがてトーレアスの遺体が衛兵に囲まれ見えなくなると、こんな声も聞こえてくる。


「あっちはヴィルタス殿下だよな……あれは」

「闇の紋を持つ皇子……アレク殿下だ」

「そんな方が悪魔を倒したのか?」


 誰もが俺の存在に困惑した様子だった。


 もとより喝采など期待していない。

 闇の紋を持つ俺が止めに入ったという事実だけが伝われば構わない。


 そんな中、悪魔に敵わず失禁してしまったルイベルについては誰も言及しなかった。


 ルイベルはまだ子供だ。悪魔は誰もが恐れる存在だから、敵わず腰を抜かしても嘲笑したりはしない。


 ヴィルタスに関しては弟思いだと褒める声もあった。


 そんな中で、ヴィルタスはルイベルを両手で支えながら言う。


「おい、ルイベル。立てるか?」

「あ、あ……あ」


 ルイベルの全身はまだ震えていた。そのせいか、上手く言葉を発せられないようだ。


 あの時、ルイベルは間違いなく死を覚悟したはずだ。まだ戦闘の経験もないだろうし仕方がない。


 ヴィルタスは唖然とするルイベルの使用人や取り巻きたちに声をかける。


「おい、ルイベルを頼む。宮廷に連れていって落ち着かせるんだ。あと、下着も替えてやれ」


 その声を聞いてようやく、使用人たちはルイベルのもとに駆け寄った。


「る、ルイベル様、お怪我は?」

「あ、悪魔に立ち向かわれるとは、勇敢でした!」


 取り巻きたちはそう声をかけるが、ルイベルは何も答えず俺を一瞥する。


 ルイベルは無表情……いや少し驚くような顔をしていた。


 それからルイベルは宮廷のほうに足早に去っていくのだった。


 ヴィルタスはこちらへとやってくる。


「いやいや、礼もなしとはな。前はあんなやつじゃなかったと思うが」


 確かに紋章を授かる前のルイベルは、何かされると必ず礼を口にしていた。今では俺はもちろん、誰にも言わないのだろう。


「そう、だな……」


 俺がそう答えると、ヴィルタスは笑顔で言う。


「それはともかく、さすがじゃないか! エリシアだけじゃなく、他にも優秀な部下をこんなに」

「俺一人じゃ、悪魔に挑んだりはしない」

「そうだよな……俺も、とてもじゃないが体を動かせなかった」


 その割には涼しい表情をしているヴィルタスだ。


 ルイベルの救出は決して遅くなかった。俺が現われ、ヴィルタスはすぐに動き出したのだろう。


 結果、ヴィルタスは周囲の市民に弟思いという印象を与えられた。


 たった今見せた笑顔といい……もしかしてこいつは。


「……俺はヴィルタスが悪魔を倒してくれると期待していたんだがな」

「買い被りすぎだ。俺は魔法なんて全く勉強してないんだぞ?」

「……身分だけであの地区の荒くれ者を従えられるとは思わないな」


 そう言った瞬間、ヴィルタスが眉間に皺を寄せる。


「……何が言いたい?」

「ヴィルタスだから正直に言う。ルイベルとビュリオスを見殺しにするつもりだったな」


 帝位継承権を持つ者が一人消えれば、継承争いが楽になる。消えたのが【聖神】の紋章を持つ者だったら尚更だ。


 ヴィルタスは一瞬間を置くと、やがてふっと口角を上げる。


「ぷっ……ふははははっ! つまり、あいつらを見殺しにして俺が皇帝に近付くってことか!? あ、アレク、歴史書の読みすぎだ! ははははっ!!」


 涙を浮かべ腹を抱え、ヴィルタスは大笑いする。やがて何とか笑いを抑えながら言う。


「はは……これはおかしい。お、俺は綺麗な女に囲まれて、お金を湯水のように使って暮らせればそれでいいんだ。皇帝なんて面倒なことはやらん」


 ヴィルタスは、やり直し前と同じような言葉を口にした。いつも俺に、皇帝は面倒なだけだと言っていた。

 

「そう、だよな」

「ああ、そうだ! それよりも本当に助かったぞ、アレク。おかげで愛しの二人が戻ってきた!」


 ヴィルタスはそう言うと、衛兵によって水を与えられる魔族たちに手を振る。


 手を振り返した二人がヴィルタスの店で働いていた従業員なのだろう。


 二人の魔族は泣きながらヴィルタスに飛びつく。猫耳を生やした若い二人の娘だ。


「ヴィルタス様ぁ!! 怖かったよぉ」

「絶対、助けに来てくれると思ってた!」


 ヴィルタスはにゃあにゃあ泣く二人を抱き寄せながら言う。


「俺がお前たちを見捨てるわけないだろう……と言いたいところなんだが、我が弟とその部下たちのおかげでな」

「じゃあ、あの扉が開いたのって」

「ああ。こいつの部下のおかげだ」


 魔族の二人は俺を見てきょとんとした顔をしている。無理もない、彼女たちからすれば勝手に扉が開き、見張りが倒れていたのだから。


「あ、ああ。優秀な密偵がいてね」


 俺はそう答えると、魔族の二人は感心するように言う。


「……確かに、ヴィルタス様の雇っている奴らじゃあんなことできないもんね」

「こんなに可愛いのに……ヴィルタス様より偉い!」


 ヴィルタスは少し悔しそうな顔をするが、こう答える。


「とにかく二人とも。衛兵にしっかり証言しておくんだ。これはアレクの」

「待て、ヴィルタス。この件、俺が解決したということにはしないでほしい。悪魔はたまたま倒したということにしてくれ」

「……いいのか?」

「そのほうがいいんだ。分かるだろ?」

「なるほど。さっきのでビュリオスがトーレアスと繋がっていたのは明白だからな。分かった……二人とも、扉は勝手に開いたことにしろ」


 ヴィルタスの声に、二人の女性はにゃあと頷く。それから衛兵のもとへ戻っていった。


「いや、本当にありがとう、アレク。あの二人は小さい妹や弟がいっぱいいてな。そいつらを学校に通わせたいって必死だったんだ。こっちも出来る限り給料は上げたんだが」

「他のやつらとの兼ね合いもあるからな」

「ああ、皆も上げないと不公平になる。だから妹や弟たちに働いてもらう代わりに学費を払うとか、考えてみるよ。何にしろ二人が無事で本当に良かった」


 仲間思いというのはやり直し前から変わってないようだ。そこは少し安心した。


 ヴィルタスはこう続ける。


「さて、お前には何か礼をしないとな」

「いいや、ヴィルタス。俺たちはそもそもトーレアスが奪った物を回収したかっただけだ。礼なんて」

「受けた恩は返すのが俺の決まりだ。どんな相手にもな」


 そう言うと、ヴィルタスは俺の耳元で囁くように言う。


「……うちの店には、あの二人みたいな綺麗なねーちゃんがいっぱいいる。今夜……うおっ!?」


 ヴィルタスは俺の後ろのほうを見て、驚くような顔をする。


 振り返ると、そこにはにっこりと笑うエリシアが。


「ヴィルタス殿下」

「そ、そうだったな。アレクにはもうエリシアが……」

「そうではなく、お年を考えてくださるといいのですが」

「ご、ごめんなさい」


 すぐにヴィルタスはエリシアに頭を下げた。


「……とまあ、今のは軽い冗談だ。ミレス、行きたいんだろう?」


 意外な言葉に、俺も少し驚く。


 以前は俺がミレスへ行きたいと言っても、ヴィルタスは首を縦に振らなかった。


「……ミレスへ行く口添えを頼めるのか?」

「ああ。金がかかるわけでもない。それにこれだけ優秀な部下たちがいて、完璧な救出作戦を計画できるんだ……お前の賭けも、そう無謀なものじゃないはずだ」

「ヴィルタス……」


 俺を信用して、ということだろうか。あるいはこれも……


「勘違いするな。一番は金だ」


 そう答えるヴィルタス。


 本心は掴めない。

 だが、断る理由も見つからない。


「……ありがとう、ヴィルタス。助かるよ」

「ああ。とはいえ、口添えだけだからな。あの親父が許さなくても恨むなよ?」

「それはもちろんだ」

「なら、決まりだ。それなら、宮廷で着るコートを見繕わないとな。前のは小さくてもう着れない」


 そう言うと、ヴィルタスは俺に背を向けた。


 その背中に俺は声をかける。


「ヴィルタス」

「なんだ?」

「信じて……いいんだな?」

「どういう意味だ?」


 ヴィルタスは振り返りそう訊ねてきた。


 突然の心変わり。


 ヴィルタスがもし俺を帝位を争うライバルと危険視していたら……


 俺の不安をヴィルタスも感じ取ったのか、こう答える。


「心配するな……今のお前と俺が敵対することはない」


 そう言い残すと、ヴィルタスはその場から去っていった。


 やり直し前では知ることができなかった──ヴィルタスは玉座を窺っているんだ。


 だが今の俺はヴィルタスにとって敵でもライバルでもない……それは本当だろう。


 そもそも俺は継承権を失っているし、帝位には微塵も興味はない。

 しかも俺とヴィルタスの考えは近い。魔族を差別したりしないし、誘拐を許したりはしない。互いに衝突している問題もない。


 しかし言い換えれば、何か衝突する問題があれば敵同士になるということだ。


 ヴィルタスを見送る中、エリシアが満足そうな顔で隣から言う。


「とにかく。これで一件落着ですね」

「ああ、そうだな」


 万国通りでのビュリオスの力も相当削げたはずだ。


 しばらくはトーレアス商会との繋がりをなかったことにするため集中しなければいけない。これからは万国通りの商人と積極的に関わるのは慎重にならざるを得ない。


 また、逃走したビュリオスを見て、ルイベルも少なからず思うところがあるだろう。


 ビュリオスは失ったルイベルからの信用も取り戻さなければいけない。【聖神】の紋章を持つ皇子ルイベルは、聖の神を至上とする国を造りたいビュリオスにとって必要不可欠だからだ


 とはいえ、ビュリオスに関しては俺が許せない。


 トーレアスは確かに弱い人間だったかもしれない。しかし唆したのはビュリオスだ。


 これからもビュリオスと至聖教団の動きは邪魔させてもらうとしよう。


「それじゃあ、エネトア商会の資産を持ち帰ろう」

「はい!」


 俺はこの後、セレーナを呼んで衛兵に資産の権利書を提示しトーレアスの窃盗を報告した。そうして奪われたエネトア商会の資産を回収するのだった。


~~~~~


 トーレアスが悪魔化した夜。


 宮殿のルイベルの部屋は足の踏み場もないほどに散らかっていた。


 床は粉々となった陶器やガラス製品と、びりびりとなった衣類やカーテンで埋め尽くされていた。


 視線を上げれば、壁や調度品に剣で斬られたであろう跡が幾重にも残っている。


 その広い部屋の片隅で、子供が一人すすり泣いていた。


 と思えば、物を投げ、急に怒声を発する。


「──やめろ!! 僕をそんな目で見るな!!」


 ルイベルの頭に昼間の出来事が頭によぎる。


 聖魔法を放った後……死の恐怖は残っているが、それ以上に周囲の視線がルイベルの脳裏に焼き付いていた。


 悪魔を前に、自分の聖魔法は全く歯が立たなかった。


 その時の拍子抜けするような周囲の目に、紋章を授かる前の自分を思い出したのだ。


 実際は誰も、そんな目で見ていなかったのだがルイベルの記憶ではそうなっている。


 紋章を授かる前。

 ルイベルが魔法を放てば、周囲からは笑い声が響いた。


 こいつは駄目だ、本当に皇族なのか──嘲笑うような哀れむような言葉が投げかけられていた。きっと、紋章も駄目なものを授かるのだろうとも噂されていた。


 それでも必死に魔法の修練に励んだ。

 だが、励めば励むほど、自分の無能さを理解する羽目になった。


 そんな中、隣では将来を期待されるアレクがいつもいた。


 何をやっても駄目なルイベルは、年も近いアレクを頼るしかなかった。


 アレクは早くから魔法を上手く使え、常に人に囲まれていた。歩けば誰もが細い目でアレクを見た。


 何気ない顔でアレクの隣を歩くルイベル。だがいつも嫉妬でおかしくなりそうだった。


 それでも、アレクの近くにいれば馬鹿にされることはないから、近くにいるしかない。それにアレクは朝から晩まで、自分に魔法を教えてくれた。


 ──それだけじゃない。大貴族の子たちにいじめられた時も、アレクは自分を……


 自分と悪魔の間に割って入った今日のアレクに、その日の自分を思い出すルイベル。


「……くそっ!! ──くそおおおおっ!!」


 ルイベルは近くの壁に力任せに魔法を放つ。


 紋章を授かった日、全てが逆転したと思った。


 しかしかつてのあの日のように、ルイベルはアレクに守られた。


「なんで、あいつはまだ……」


 また、アレクの周りには少ないながらもいまだに味方がいた。


 しかし、自分の周りの者たちはあれだけいて誰一人、守ってはくれなかった。


 結局、自分はあの日と変わらず一人だったのだ。自分の周囲は皆、ただ【聖神】に媚びへつらう存在に過ぎなかった。


 一方、忌み嫌われる闇の紋章を授かったアレクには、悪魔に勇敢に立ち向かう仲間がいる──アレクは闇の紋を授かっても、昔と変わらず自分にないものを持っているのだ。


 すべてをアレクから奪ったはずだった。


 しかし、それは幻想だったのだ。


「消えろ──消えろ、消えろ消えろ!! 僕の前から消えろぉおおおお!!」


 自分の中で大きく映るアレクの存在に、ルイベルは叫び続けた。


 紋章を授かる前も、ルイベルはこうしてただ嘆くことしかできなかった。


 だがやがて力尽きたのか、床にばたんと横になる。


「必ず……必ず、あの男を消し去ってやる……今の僕には、この紋章があるんだ」


 ルイベルのアレクに対する嫉妬は深まる一方だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る