第58話 騒乱
「悪魔だっ!! やはり悪魔だったのだ!!」
黒靄に包まれるトーレアスを見て、帝都神官長ビュリオスは顔に喜色を浮かべ叫んだ。
しかし周囲は騒然としている。市民の誰もが、一目散にこの場から逃げ出した。
皆、悪魔が非常に強力だと知っているからだ。
そんな中、ビュリオスは好機と言わんばかりに、ルイベルに熱い視線を送った。
「殿下、今です! 今こそ、【聖神】を持つあなたの力をお示しになるのです!! 悪魔に、聖なる魔法を!!」
「う、うむ!! ──皆の者、安心しろ!! このルイベルが聖なる神の力で、やつを消し去ってくれる!!」
ルイベルはトーレアスに両手を向け、高らかに宣言した。
【聖神】の持ち主の聖魔法は非常に強力だ。それこそ、悪魔を一撃で屠ってもおかしくない魔法を放てる。
しかし、ルイベルはまだ子供──
眩い光がルイベルの手から放たれる。
大きく眩しく、確かに強力な聖魔法だった。
ルイベルの光に、周囲の者たちは思わずおおと声を漏らした。誰もがルイベルの勝利を確信しただろう。
光はそのままトーレアスに迫る。
「どうだ!? これが僕の力だっ!!」
得意げな顔で叫ぶルイベル。
だが、すぐに目を丸くする。
「──なっ!? 僕の聖魔法が!?」
光は突如現れた漆黒の壁に、すっと吸い込まれてしまった。
漆黒の壁が消えると、そこには黒い鎧に身を包んだ悪魔がいた。
悪魔は手をルイベルに向けると、紫色の光を掌に宿し始める。
「あ、あ、あ……お、おい! だ、誰か!!」
ルイベルは足を震わせながら言うが、取り巻きや使用人、護衛すらも足が止まっている。
「お、お前たち! ビュ、ビュリオス!!」
ルイベルはビュリオスを探すが、その姿はもう離れた場所にあった。
「衛兵! 私は神殿から悪魔祓いを呼んでくる!! 殿下をお助けしろ!! 守れなかったら、お前たちの命はないぞ!!」
ビュリオスの言葉に、衛兵たちは体を震わせながらなんとかルイベルのもとに駆け付けようとする。
しかし、悪魔はすでに紫色の光をルイベルに放っていた。
「──ひ、ひいっ!! い、い、嫌だ!! し、死にたくない!! 誰か助けて!!」
ルイベルは腰が抜けたのか、その場で尻餅をつき、路上を濡らす。
やり直し前だったら……ルイベルが大人なら、俺は見殺しにしていたかもしれない。
しかし、子供の姿のルイベルに、俺の体は勝手に動き出していた。
俺はルイベルの前に躍り出ると、手を紫色の光の前に向ける。
人の目が多いここでは闇魔法は使えない。しかし、闇の魔力なら──
悪魔の放った紫色の光を、俺は《パンドラボックス》に吸収していく。
同時に、俺の周囲には光の壁が展開される。エリシアが聖魔法で援護してくれているのだ。
俺一人で防いだとなれば不自然に思われる。事前に、エリシアには遠慮なく聖魔法を使うよう頼んでおいた。
やがて極大の紫色の光はすっと俺の掌の中に消えていった。正確には《パンドラボックス》の中に吸い込まれた。
後ろから、こんな声が響く。
「あ、アレク……」
ルイベルの間の抜けた顔が頭に浮かぶ。
だがすぐに別の声が聞こえてきた。
「小便漏らすような子供が調子に乗るからだ! 行くぞ!!」
横目にルイベルを抱えて走り去るヴィルタスが見えた。
一方の悪魔の視線はこちらに向いている。
「殺す……人間殺す!!」
悪魔は俺をぎっと睨んだ。
恨みがあるとすればビュリオスのはずだが、その後を追わずに俺と対峙している。トーレアスは完全に悪魔に体を支配されてしまったようだ。
もう一つ気が付いたのは、こいつの魔力はエネトアの息子よりも数倍多いということだ。
仮定の話ではあるが、宿る悪魔にも等級があるのかもしれない。あるいは、元の体の魔力を受け継いでいるのか。
いずれにせよ、こいつは今まで戦った相手の中でも一番強い。
それを証明するように、悪魔はすっと消えてしまった。
《転移》か。
魔力は追える──上だ。
俺は手を上に向けた。そこには、再び紫色の光を宿す悪魔が。
「愚かな人間よ、死ねっ──うっ!?」
悪魔は急に姿勢を崩し、地上へ落ちてくる。
見ると、背中の翼には大きな穴が開いていた。のみならず、その穴はどんどんと大きくなる。翼が焼けているのだ。
俺はエネトア商会を横目で見た。
屋上に反射光が煌めている。
ネイトがロングクロスボウで狙撃してくれたのだろう。
ボルトには聖魔法が付与してあったか。ミスリルの矢じりに、エリシアが付与してくれたのだろう。
その下の出入り口付近では、こちらに剣を持って向かおうとするセレーナと、その腕を掴んで引き留めるユーリがいた。
セレーナには待機を命じていたのに……心配してくれるのは嬉しいが。
一方の悪魔はすぐに《転移》し、なんとか地上に着地する。
「小癪な……ぬっ!?」
しかしその地上では、仮面を付けた黒衣の者が待ち構えていた。
「──こっちよ。視野が狭い典型的な駄目悪魔ね、あんた」
黒衣の者はそう言いながら、すぐに短刀を悪魔の四肢と翼に投げる。
「がっ!?」
悪魔は悲鳴を上げると、少し離れた場所に《転移》しその場でのたうち回る。こちらの短刀にも聖魔法が付与されているようだ。
黒衣の者はそのまま悪魔の肩と首、足首に、容赦なく短刀を打ち込んだ。
そうして黒衣の者……体をぴっちりと覆うような黒いスーツを着た女性は、仮面を付けた顔をこちらに向け跪いた。
「殿下……悪魔の無力化を完了しました」
こちらはティカか。
「ご苦労」
俺は短く答えた。
ティカとネイト……暗殺については色々残念だったが、悪魔祓いに関してはやはり別格だな。流れるように悪魔を無力化してくれた。
ともかく、これで俺が倒したということにならずに済む。
市民たちは皆、こちらを遠目で見ている。俺ではなく、俺の部下が倒したなら不自然さはない。皇子ともなれば強い部下がいるというのが普通だ。
エリシアがすかさず問う。
「アレク様、いかがしましょう」
「この衆目の前だ……やらないわけにはいかない。だが」
一言、声をかけてみよう。
俺は苦しそうに暴れる悪魔に声をかける。
「何か、言い残すことはあるか?」
「死ね!! 死ね死ね死ね!!」
悪魔は凶暴な顔をこちらに向け鋭利な牙を見せる。今にも噛みついてきそうな感じだ。
エネトアの息子と違い、涙も見せない。すでにトーレアスの人格は消え去ってしまったのだろうか。
「もう一度聞くぞ……エネトアさんに対して、何か言い残すことはないのか?」
「死ね!! 死ね──」
悪魔は次第に落ち着くと、小さく答える。
「謝りたい……義兄上たちに謝りたい──あぁあああっ!! 死ね! 死ね死ね!!」
再び悪魔は暴れ始めてしまった。
トーレアスにも後悔の念はあったか……
ビュリオスと関わらなければ、こんなことにはならなかったのかもな。
当のビュリオスはトーレアスを利用するだけ利用し、一目散に逃げてしまった。
俺が姿を現したのも、やつの思うようには絶対にさせないため。闇の紋を持つ者が悪魔だなんて、周囲に思わせないためだ。
俺はエリシアに向かって無言で頷く。
「楽にして差し上げましょう……」
エリシアはそのまま、悪魔を光で包む。
周囲に悪魔の悲痛な叫びが響き渡った。
しかしすぐに、その叫びは止む。
光が消えると、そこには骨と灰だけが残っているのだった。
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