第56話 表と裏
俺はエリシアと共に、ヴィルタスの隠れ家に来ていた。
「あの拠点を……もう使い物にしただと!?」
ヴィルタスは半裸のまま、目を丸くして言った。
俺は隣に立つエリシアに顔を向けて答える。
「あ、ああ。エリシアの聖魔法がすごくて」
「私などはそんな」
謙遜するようなエリシアに、ヴィルタスが呟く。
「綺麗なだけでなく、魔法の腕も達者とは……どうか、俺の従者になってはくれないだろうか!? ……なんなら、俺の妻に」
エリシアの前で片膝を突き、色目を使うヴィルタス。
しかしエリシアは「嫌です」と即答した。
恍惚とした表情のヴィルタスは、近くにいた魔族の女性に腕を引かれ椅子に座らされる。
綺麗な女性には本当に目がないな……
俺は溜息を吐いて言う。
「ともかく拠点はこれで俺のでいいんだな、ヴィルタス?」
「約束だからな……だが、本当にもう大丈夫なのか? 夜、突然またお化けが出たり……」
「それはない……根源を断ったからな」
「根源?」
首を傾げるヴィルタスに、俺はエネトア氏について話した。当然、悪魔となった息子のことだけは黙っておく。
「首謀者はトーレアスか。新興の商会の長だな。十年足らずで万国通りに店を構えたっていう……開店のとき俺も見かけた。真面目そうな、三十ぐらいの男だった気がするが」
「至聖教団とのつながりは分かるか?」
「それは分からないが、神殿の熱心な後援者としても知られている。お前にとってはお化けより厄介な相手だな」
ヴィルタスは他人事のように言った。
「そこらへんは気を付けるつもりだ……それより、トーレアスが奴隷取引をしているってのは聞いたことはあるか?」
「その奴隷ってのは……魔物ってわけじゃないよな?」
俺がこくりと頷くと、ヴィルタスは近くの魔族の女性に顔を向ける。
女性は腕を組みながら答える。
「うーん。強引に連れていかれるやつは、この地区にはいないわねえ。でも最近、南方で稼げる仕事があるって人手を大量に募集している奴がいるみたいで……ほら、うちの従業員も二人、それに行きたいってやめたでしょ」
「そういや、いたな。どっちも姉妹を学校に行かせたいからもっと金がほしいって……どっちもやめさせるのは惜しい別嬪だった」
心底悔しそうに言うヴィルタス。
「まあ、稼ぎのいい仕事に移るのは珍しくもなんともない。人手が大量に欲しいなら、仕事のない魔族が多い場所で声をかけるのも頷けるし」
ヴィルタスの声に、魔族の女性もうんと頷く。
「そうねえ。たしかに、おかしなことではないわね」
俺は魔族の女性に訊ねる。
「その、南方の仕事っていうのはどういう仕事なんだ?」
「ローブリア伯領で防鎖を直す仕事だそうよ。あそこは、魔王国とも近いって聞くだろ? 最近、ローブリオンって街で魔王国によって防鎖が破壊されたって、帝都でも話題になってたじゃない」
女性の言葉にヴィルタスは何かに気が付いたような顔をすると、こちらに目を向けた。
「それを救ったのが、愛しの我が弟アレクだったな。防鎖は本当に壊されたんだろ?」
「ああ……だけど、おかしい」
「おかしい?」
俺は頷いて答える。
「ローブリア伯は魔族ではなく人間に修理させると言っていた。防鎖を破壊したのが魔族の職人集団だったからだ」
「魔族は信用できないからってことか。そもそも帝都から呼び寄せていたんじゃ、いつ直るか分からない」
「そうだな。それに募集されている魔族は、特に職人というわけでもないんだろう?」
女性はうんと頷く。
「動けるなら誰でもいいって言っていたわね」
「そうか……しかも、トーレアスが奪取したエネトア商会の船には拘束具や檻が運び込まれていた」
俺の声に、ヴィルタスは急に立ち上がる。その顔は、いつになく真剣なものだった。
「トーレアス商会に行ってくる……」
「待て、ヴィルタス。正面から行っても、まず入れてもらえない」
「なら、正面から殴り込むだけだ! 二人が危ない!!」
必死なヴィルタスに女性は驚いているようだった。
俺もこんなヴィルタスは見たことがない。
元従業員がどこかへ売られるかもしれない、それが心配なのだ。意外に人情に溢れているのがこの男だ。いや、お気に入りの女性だっただけかもしれないが……
「焦る気持ちはわかる。だから、ここは俺に任せてくれないか? 計画がある」
「計画?」
「ああ」
自分より小さな子供の計画など……とヴィルタスも普通なら思っただろう。
だが俺はローブリオンを救い、エネトア商会を取り戻した。一方で自分に策があるわけでもない。
ヴィルタスは歯ぎしりすると、やがて小さく頷いた。
「聞かせろ……」
俺はヴィルタスに計画を伝えた後、エリシアと共にエネトア商会に戻るのだった。
~~~~
「こんな服……必要か?」
俺はいつもの貴族が着るようなコートから、蝶ネクタイにシャツと短パンという格好をしていた。
そんな俺を、エリシア、ユーリ、セレーナがまじまじと見つめる。
メイド服ではなくエプロンドレスを着たエリシアは、鼻息を荒くして答える。
「必要です! 《隠形》が使えなくなる可能性もありますから! 私がアレク様の母で、アレク様が息子……帝都民の一般的な親子が少しおめかしした、という設定でいきましょう! こんな感じで……失礼します!」
そう言ってエリシアは俺と手を繋ぎ、「お買い物ですよ、アレク」とニヤつく。
手をぶらぶらとさせるエリシアに俺は淡々と答える。
「絶対、必要ないと思うけど……《隠形》で忍び込むわけだし」
まあ、トーレアス商会の中で聞き込みが必要の可能性もあるかもしれない。もしものとき身分を偽れるように、この格好でもいいか。
「それじゃあ、トーレアス商会に向かうとしよう。ティカ、確認だが港湾区の倉庫は?」
「トーレアス商会関連の建物五軒を調べましたが何も……残すは、商会本部の地下にある扉だけです。そこは高級な施錠の魔導具が使われているようで」
「いるようで」
ティカとネイトには、俺がヴィルタスに会っている間、簡単にトーレアス商会を調べてもらった。
表向きは普通の商会だが、本部の奥に怪しい場所があるというわけか。
「《転移》が使える俺の出番だな……魔族が商会本部に入るのも目撃されている」
その扉の向こうに秘密があるはずだ。
「よし、もしもの時は皆、計画通りに……エリシア、手を離してくれ。行くぞ」
そうして俺は自分とエリシアに《隠形》をかけて、エネトア商会本部を出た。
向かうは、大通りを挟んで真向いのトーレアス商会本部。
一分もかからず、俺たちはトーレアス商会の手前にやってきた。
「大陸南西部で獲れるカカオだよ!! 珍しい豆が、今だけこの価格!! 帝都ではトーレアス商会が最安値だよ!」
商会の前では、雑に置かれた大量の樽を背に男が叫んでいた。トーレアス商会の従業員だろう。
男はチョコレートの原料になるカカオ豆を売っているようだ。
しかも相場よりも安く売られている。
そもそもカカオ豆自体、帝都で売られているのは珍しい。
そのためか、大量の人がカカオを買い求めていた。
「ありがとう! でも、そのままじゃ食べられないよ! よかったら専用の粉挽き機も安くしとくから買ってくれ! 砂糖もあるよ!」
一方で粉挽き機はそれなりの価格。砂糖も相場より少しだけ高い金額だ。抱き合わせで売っているのか。
カカオ豆の入った樽には、どれも不自然に削られた跡がある。エネトア商会の焼印を削ったのだろう。
奪った品で金儲け……っと、ヴィルタスも来てるな。
商会の前では、不機嫌そうな顔のヴィルタスが来ていた。本来であれば自分が殴り込みたいのだろう。
「俺に任せておけ、ヴィルタス……行こう、エリシア」
「はい」
俺はエリシアと共に、姿を隠したままトーレアス商会の中へ入るのだった。
中には、これまたたくさんの客と外国の品々で溢れていた。
ここの樽や木箱も削られた跡がある。元はエネトア商会の品物なのだろう。
人混みや陳列棚を避けながら俺たちは進んでいく。《転移》があるのでぶつかりそうでも、すぐに移動できる。
目指す先は、白いカラスの彫像の近くにある階段だ。
ティカとネイトによれば、その階段の地下に強力な施錠の魔導具で閉じられている扉があるらしい。
「あそこか……うん?」
だがもう少しで彫像というところで、俺は人だかりができている場所に気が付く。
豪華な装飾の扉を前に、使用人、護衛、貴族の子供が集まっていた。
それが皆見覚えのある者たちだったので、俺も思わず足を止めた。
そして、扉から出てきた者も俺の知っている者だった。
「──なかなかいい服だ! 【聖神】の紋章を持つ僕に相応しいきらめきだ!!」
扉から出てきたのは、金ぴかの白いコートに身を包んだルイベルだった。
扉の向こうは試着室で、ルイベルは服を試着していたらしい。
「お似合いでございます、ルイベル様!」
「麗しいルイベル様が、さらに麗しく!」
取り巻きの貴族の子はルイベルを口々に称えた。
「いやあ、なかなかいい服ではないか。トーレアスとやら」
ルイベルの声に、白いコートを着た内気そうな青年が片膝を突く。
白手袋を嵌め、金のネックレスなどで着飾っている。この青年がトーレアスか。
トーレアスは顔を上げると、精一杯の笑顔を向けて答える。
「ルイベル殿下のため大陸全土から金銀宝石、魔鉱石を取り寄せたのです! 装飾にもこだわりましたが、更に多くの魔力を扱えるようになっております」
「ふむ、気に入ったぞ。これをあのアレクに見せてやりたいところだ!」
ここにいるが……気づかれてないようだ。
「トーレアスとやら、これからもこの店を使ってやる!!」
上機嫌な顔で言うルイベルに、トーレアスは頭を下げて言う。
「ははぁ! ありがたきお言葉でございます! 一階でも多様な海外の品々を取り扱っております。どうか、好きな物を好きなだけお持ちになってください!」
「そうさせてもらう! ……ビュリオスは本当にいい商人を紹介してくれた!」
そう言うと、ルイベルは鼻歌を響かせながら店内を回り始めた。あれもこれもと次々と指さし、従者に持っていかせる。
ルイベルがいた……
いやそれよりも。
俺は従者に混じっていた神官服の男に気が付く。
こいつは、帝都神官長ビュリオスだ。至聖教団の恐らくは中心的人物。
トーレアスはそのビュリオスに頭を下げる。
「ビュリオス様……この度は、ルイベル殿下にご紹介いただきありがとうございます」
「ルイベル殿下の周りには多くの貴族が集まります。そのルイベル様お気に入りの商会となれば、貴族の来客も増えるでしょう」
「仰る通りです。本当にお礼の言葉もございません……ビュリオス様には感謝してもしきれません」
「言葉ではなく、謝意は行動で示していただきますよ。あの土地がウィスプの溜まり場になったとはいえ、約束は約束」
やはりビュリオス……至聖教団がエネトア商会に関わっていたか。
トーレアスは慌てた様子で答える。
「も、もちろんです! すでに高値で売却ができましたし! ですが、不足分はもう少々お待ちください! いい商売が見つかりまして! 一か月後には必ず!」
「……まあ神殿にもあの建物について討伐依頼がきて報酬が入っているから、よしとしましょう。それに、あなたの手腕には期待しています」
「ありがとうございます! これからもビュリオス様についていきます!」
「ええ……がっかりさせないでくださいね。でなければ、あなたも義兄のように……」
「は、はい!」
頭を下げるトーレアス。
ビュリオスは不気味なほどの穏やかな笑みを見せると、すぐにルイベルの後を追った。
トーレアスは頭を下げ続けた。
しかし、やがてこちら──ではなく、白いカラスの彫像をぼうっと見つめる。しばらくすると、ルイベルのもとへと早歩きで向かった。
「やはり至聖教団が関わっていたか……」
……むしろ、やつらの勢力を削ぐいい機会になりそうだな。
「行こう、エリシア。”いい商売”の正体が奥にあるはずだ」
「はい」
俺とエリシアは奥を目指すのだった。
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