第57話 裏切り

「この扉だな」


 トーレアス商会本部の奥にある階段を下っていくとすぐに巨大な金属の扉が見えた。


 その前の空間では、見張りであろう者たちがやる気のなさそうに腰を落としていた。昼なのに酒を飲み、何やら駒で賭け事をしているようだった。


 エリシアが俺の隣から訊ねる。


「見張りは五人ほど……ただの倉庫にしては厳重ですね。いかがします?」

「殺すのは色々と問題がある。眠らせられるか?」

「はい。安眠させるための聖魔法がございます。それで」


 エリシアは見張りたちに手を向けると、光を放った。


 すると衛兵たちはばたんと倒れると、皆ぐうぐうと深い眠りに落ちた。


「尻を叩いても一時間は起きないかと。修道院のやんちゃな子供で実証済みです」

「あ、ありがとう、エリシア」


 《安眠》……聖属性魔法で、人々を深い眠りに就かせる。本来は治療に用いられる魔法だ。


 ともかくこれで見張りは無力化できた。


 さて、肝心の扉だが……扉の向こうには多くの魔力の反応がある。やはり何者かが囚われているのは間違いない。


 扉自体は魔導具の錠前で施錠されているが、アルスの地下水路のものよりは簡単に開けそうだ。


「まずは、《転移》で中の様子を見よう──っ!? これは……」


 エリシアと共に《転移》した先では、多くの者が力なく横たわっていた。


 石造りの倉庫。壁には松明がかけられ、あちこちに桶やら木箱が雑に置かれていた。


 漂う異臭は言葉にしたくない……ありとあらゆる原因で生じた腐臭だろう。


 そんな窮屈な場所で数十名の魔族が横たわっている。


 腰を落としている者もいるが、生きているのか死んでいるのかさえ分からないほど衰弱している者もいた。


 いや、もうすでに……


 見ると皆、服がずたずただ。痛々しい傷跡を見せている者もいる。


 一部の者は反抗的だったからだろうか、壁に鎖で拘束されていた。


「早く解放しないと……」


 姿を見せるわけにはいかない。彼らは罪人ではないから、眷属にする必要もない。


 だからそのまま扉を開き、解放しよう。


 扉を開けば誰かが必ず外に出ていく。


 一人外に逃げればヴィルタスが呼んでくれている衛兵が事態に気が付くはず。


 問題はたまたま居合わせたルイベルとビュリオスだが……ヴィルタスがいる手前、もみ消すのは難しいと判断するはずだ。


「エリシア……皆に聖魔法をかけてやってくれ。俺は扉を開く」

「かしこまりました……」


 エリシアの顔は暗かった。

 

 聖魔法をかけようが、もう手遅れの者もいる。エリシアも魔族だから思うところはあるはずだ。


 倉庫にまばゆい光が広がる中、俺は解錠の魔法で扉を開いていく。


 体が回復しているのに気が付いたのか、むくりと体を起こす者も現れた。


「なんか、体が軽い?」

「動けるぞ……」

「傷が浅くなった!?」


 エリシアの魔法で皆が癒えていく中、がちゃりと音が響く。


 俺が解錠に成功した音だ。


「おい……まさか……外に行ける!!」


 魔族の男はすぐに扉を開いて言った。


「見張りも寝てる!! 外に逃げるぞ!! 衛兵に通報するんだ!!」


 男の声に、魔族たちは外へと走り、階段を上がっていく。


 やはりというか、動けない者もいた……彼らは衛兵に任せよう


「よし……上の様子を見に行こう」

「はい」


 俺たちは一階へと《転移》する。


 するとそこでは逃げる魔族と、それを見てどよめく客たちがいた。


「な、なんなの!?」

「どうして魔族がこんな場所に……というか、どうして皆傷だらけなんだ?」


 一方で、ルイベルとビュリオスも唖然としている。


「ま、魔族が何故ここにいるのだ、ビュリオス?」

「さ、さあ……実に汚らわしいですね」


 ビュリオスはルイベルにそう答えると、立ち尽くしているトーレアスを横目で睨む。


 だがすぐにトーレアスが声を上げる。


「お、お客様、落ち着いてください!! どうやら、魔族の盗賊団が我が商会に入ったようです!!」


 そう言うが、魔族たちの手には何も握られていない。

 誰が見ても、盗賊団とは思えなかった。


 何ともいえない雰囲気の中で、トーレアスは外へ逃げる魔族たちを追う。


「ま、待て泥棒!!」


 しかし外では、衛兵に縋る魔族がいた。


「助けてください!! この男が、私たちを地下に閉じ込めて……もう、死んだ者も!!」

「ずっと暴行されていたんだ!! 飯もカビの生えたパンを渡してきて!!」


 殆どの衛兵も魔族を蔑視している。


 だが魔族たちのただならぬ様子と、すでに周辺が騒然となっているのを見れば、このままにはできない。


 衛兵の隊長らしき男がトーレアスを問いただす。


「魔族はこう主張しているが、本当なのか?」

「ま、まさか!! そんなはずはない! そいつらは盗賊団! 出まかせを言っているだけだ!」


 あわててトーレアスが答えるが、苦しい言い訳だった。誰も魔族たちの様子を見て盗賊とは思わない。見ていた市民も、人身売買だろうと噂し始めた。


 隊長はトーレアスに言う。


「すでに魔族がこの周辺で行方不明になっているという通報が入っている。あなたはトーレアスだな? ……地下を調べさせてもらうぞ」

「ま、まま、待ってください」


 汗を流しながら、トーレアスは肩をがたがたと震わせる。


 だがそんな中、商会の中から声が響く。


「お待ちなさい」

「あなたは……これは!」


 衛兵たちは商会の中から出てきた者たちに、すぐに片膝を突いた。


 出てきたのはビュリオスとルイベルたちだった。


 ビュリオスが隊長に言う。


「トーレアスは、その魔族どもを元々引き渡すつもりだったのでしょう。日々、トーレアスは窃盗の被害に悩んでいるようでした。あなた方がしっかりと取り締まらないから、いけないのです……そう思いますよね、ルイベル殿下?」

「ん? ああ! さっさとその汚らわしい魔族どもをどこかへ下げよ!! 僕の買い物を邪魔するな!」


 ルイベルの声に、衛兵たちは一斉に頭を下げる。


「は、ははあっ!」


 すぐに衛兵たちは魔族を連行しようとする。


 トーレアスは心底安心したような顔で、深く息を吐く。


 しかし、そこに一人の男が現れた。


「それはおかしいんじゃないか?」

「……何? あ、あなたは!?」


 衛兵は声の主に振り返ると、目を丸くする。


 ルイベルもまた、あっと声を上げた。


「ヴィ、ヴィルタス兄上! 何故、ここに?」


 ようやくヴィルタスが口を挟んだ。

 なかなか名乗り出ないものだから、一瞬見逃すのかと不安になってしまった。


「俺はいつでも宮殿の外にいるだろ? ……そんなことより、そこの神官。さっきの言葉は裏があるのか?」


 ヴィルタスの問いに、ビュリオスは一瞬間を置いてから笑顔で答える。


「……いいえ。私はただ、そうかもしれないと」


 見る見るうちにトーレアスの顔から血の気が引いていく。


「だそうだ、衛兵。地下を調べたほうがいいんじゃないのか?」


 ヴィルタスがそう言うと、ルイベルが口を挟む。


「あ、兄上!! 魔族の肩を持つのですか!? このトーレアスとやらは、素晴らしい男です!」

「子供の戯言に耳を貸すな、衛兵。どう考えても、この状況は異常だろう?」


 第四皇子と第七皇子では、第四皇子の声に耳を傾ける……という決まりはないが、それにすでに多くの市民が目撃している中、調べないわけにはいかない。


 隊長はこくりと頷くと、衛兵たちを商会本部に乗り込ませる。


「冷や冷やしたが、ヴィルタスは口を挟む機会を窺っていたか……」


 俺が呟くと、エリシアが訊ねてくる。


「あの二人に嘘を言わせるのを待っていた、ということですか?」

「ああ、そんなところだ」


 ヴィルタスは、ルイベルとビュリオスに喋らせ、二人が何か失言をしないか窺っていたのだろう。


 それに対して、ビュリオスはやはり賢かった。そんなヴィルタスの思惑を察して、すぐにトーレアスを切り捨てた。


 ルイベルは……まだそこまで考えが及ばなかったのだろう。自分に異を唱えたヴィルタスを今も訝しそうに見ている。とはいえ、ヴィルタスは【万神】の持ち主だから、ルイベルも強くは出れない。


「意外だな……もっと馬鹿正直に、最初から魔族と衛兵の前に姿を現すと思ったが」

「ヴィルタス様も、あの二人が気に入らないのでしょうか?」

「それもあるかもしれないが……」


 それだけとは思えない。


 ヴィルタスは傷ついた魔族たちを魔法で癒し始めた。


 魔族嫌いの市民だが、ヴィルタスは慈悲深いと口々に称える。


「ヴィルタスはもしかすると帝位を……」


 ルイベルとビュリオスの評判を落とせば、自分が帝位を継承する際有利になる。


 しかし、ヴィルタスは金と女のことしか頭にない男だ。考えにくい。


 ともかく、ルイベルとビュリオスも黙って見ているしかなかった。


 トーレアスは俯き、足を震わせていた。


 そんな中、衛兵の一人が戻ってくる。


「報告します、隊長! 地下、魔族の死者が多数! 現在も十数名が生きていますが……酷い怪我です。拘束具などがあり誘拐の疑いがあります!」

「そうか……すぐに生存者の搬出を。検分に立ち会っていただけるかな、トーレアス殿?」


 隊長の声に、トーレアスは何も答えない。


 すると、ビュリオスが天を仰ぎながら突如こんなことを口にした。


「なんとも醜い……ああ、聖なる神よ! 何故、人の子がこのようなことをなさるのでしょうか? ──そうか!」


 ビュリオスはかっと目を見開くと、トーレアスに近付き無理やりその手を取った。


「ビュ、ビュリオス様?」

「分かる……私には分かるぞ!! こいつは悪魔の傀儡だっ! 皆、刮目せよ!」


 ビュリオスはトーレアスの白手袋を引きちぎると、トーレアスの手を高く掲げる。


「あ、あれは……!?」

「闇の紋だ!!」


 トーレアスの手の甲に浮かぶ黒い紋様を見て、市民たちはざわつきだした。


「やはり、聖なる神のお告げ通り、こいつは闇の紋の持ち主だった!! だからこそ、このような罪深いことができるのだ! この悪魔め!」


 ビュリオスから手を離されたトーレアスは、そのままへなへなと腰を落とした。


 転んでもただでは起きないか。


 恐らく、ビュリオスは元々トーレアスが闇の紋の持ち主ということを知っていた。さっき盗み聞きした話からすると、この事実を弱みとして握り色々と金品を要求していたのかもしれない。


 闇の紋の持ち主は悪人なんだと、市井の人に思わせる……だけでなく、恐らくは……


 俯いていたトーレアスは、突如笑いを響かせた。


「ははっ……ふふ……ふはははははっ!! ────悪魔っ!? そうだ、俺は悪魔だ!!」


 市民たちはもちろん、ビュリオスもその様子に身を引く。


「……金のためなら、義兄弟とその家族も売った!! あんなに良くしてくれた……昔からずっと憧れだった恩人を俺は売ったんだ!! これを悪魔の所業と言わず、何と呼ぶ!?」


 トーレアスの目は、エネトア商会に向く。


「あの人は、あんなに冷たく突き放した俺のことを最後まで黙っていた……俺が売ったとも知らずに……」


 エネトア氏とトーレアスは義兄弟だった、か……


 互いに闇の紋を持つ者同士、それを隠しながら生きてきたのだろう。元々商売敵などではなく、仲が良いから近くに商会を持った。


 その結末がこれか……


「皆、よく聞け!! エネトアとその家族は悪魔などではない────悪魔は、この俺だ! 人間の皮を被った哀れな悪魔!! それが俺だ!!」


 俺の頭の中で、悪魔とトーレアスという言葉が結びついた。


 そうしてようやくトーレアスという名前に聞き覚えがあった理由が分かった。


 ──やり直し前、トーレアスは帝都の神殿で悪魔化した。そして神官と多数の市民を殺したのだ。きっと、そこでもビュリオスに利用されたのだろう。


 俺はトーレアスの体が不気味に震えるのを見て、エリシアに言う。


「──エリシア!」

「はい!」


 俺たちはすぐに人混みの後方の死角で《隠形》を解いた。


 しかしトーレアスはすでに、周囲に黒靄を発しているのだった。

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