第53話 悪魔

 地上に降り立った悪魔は、赤い眼をぎろりとこちらに向ける。


「……触るナ!」


 ……喋った?


 会話の余地があるのではと思ったが、悪魔はすぐにこちらに手を向け黒い靄を宿していた。


「アレク様、お任せを──《聖光》!!」


 咄嗟にエリシアは悪魔に光を放った。


 だが悪魔はすでにそこにはいない。

 再び上空へ飛び、こちらへ両手を向けていた。


 ここは戦うしかなさそうだ。


 俺も手を向け、闇の魔力を圧縮し壁にした《闇壁》を展開する。


 すぐに《闇壁》の向こうから小さく爆発音が響き、黒靄が霧散した。


 だが、悪魔は位置を変え、次々と闇魔法を放ってくる。


 単純に速く動けるだけでなく、俺も使う《転移》を少しだけ使えるようだ。


 その人間離れした動きに、俺も《闇壁》を広げることで防ぐしかできない。

 エリシアも聖魔法で攻撃するが、《転移》する悪魔には当てられなかった。


 俺も闇魔法を全力で撃てれば……


 しかしそれでは損害が出る。


 建物はまた直せばいいが、外を歩いている者たちを巻き込むわけにはいかない。


 それに不思議なことに、あの悪魔は周囲を襲おうとしなかった。


 ティカとネイトの言葉が頭によぎる……悪魔になっても自分の意思で動ける、という言葉が。


「エリシア……少し危険だが、奴の後ろを取ってくれるか? 俺がエリシアを《転移》させる……聖魔法で攻撃すると見せかけて……やつの周囲に聖魔法を放ち、《転移》できないようにしてくれ」

「お任せください。ですが、アレク様が」

「俺は大丈夫だ。それにすぐに決める……俺は悪魔じゃないからな」


 エリシアは何かに気が付いたような顔をすると、はいと頷く。


「じゃあ、行くぞ!」


 俺は《闇壁》で悪魔の攻撃を防ぎながら、エリシアを悪魔を挟んで向こう側へ《転移》させた。


 すぐに向かい側で、エリシアが悪魔に光を放つ。


 悪魔は振り返る。


 しかし、光は自分ではなく周囲を包むように放たれていることに気が付くと、再びこちらを向き、突っ込んできた。


 手には長く鋭い爪が黒光りしている。


 恐らく俺がたいした聖魔法を使えないと判断したのだろう。接近して直接仕留めるつもりだ。


「アレク様!!」

「任せろ──《聖光》!!」


 俺は向かってきた悪魔に、聖魔法の光を放った。


 以前は数秒で消えてしまった俺の聖魔法だが、今ではまっすぐに悪魔へと向かっていく。


 悪魔は避けきれず闇魔法を放つが、俺の聖魔法に押し返されてしまった。


 光を受けた悪魔は、低い悲鳴を上げながら地上に落ちる。


「アレク様、あとはお任せを!」


 すかさず、エリシアがその悪魔に聖魔法を放った。


 待て、と言おうとしたが、エリシアは俺の考えを察していたようだ。

 悪魔の四肢と翼だけを焼き払い、胴体と頭を残す。


 エリシアはのたうち回る悪魔の胴体を足で抑え、悪魔の首に剣を向けた。


「アレク様、とりあえずは無力化できました……ですが、数分もすれば悪魔の体は再生します」

「ありがとう、エリシア……どうしても気になることがあったんだ」

「何故、ここにずっと留まっていたか、ということですね」


 俺はエリシアの声に頷き、まずは二体の遺骨から闇の魔力を取り除き、悪魔へと歩み寄る。


「……があっ!!」


 悪魔は大きく口を開き、威嚇するように唸る。


 紫色の肌、コウモリのように長い牙、羊のような巻き角……たしかに悪魔そのものだ。


 悪魔化する際、ある程度元の体の特徴が引き継がれると聞く。体格からすると、元は十代半ばぐらいの人間の少年だろうか。


 俺は悪魔に話しかける。


「……俺の言葉が分かるか?」

「……人間を殺す!! 全員、殺す!!」


 悪魔は憎悪の顔を向けて言った。


「なら、何故ここを出て人間を殺さなかった?」

「人間を殺す!! 殺す!!」


 俺の問いに答えず、悪魔はただ怒声を上げ続けた。ばたばたと胴体を動かし、なんとか拘束から逃れようとする。


 構わず、俺は問い続けた。


「……君の両親は、君に悪魔になってはいけないと伝えたんじゃないか?」


 ベンチに座っていた白骨の近くには、手紙が置かれていた。


 そこでは、私たち三人と記されていた。

 つまりは、もう一人家族がいたのだ。


 そしてそのもう一人は、きっとこの──


「……殺すっ!! 殺す、殺す、殺す!」


 ひたすら狂ったように声を上げる悪魔。


 しかし、俺もエリシアも悪魔の異変に気が付く。


「この人……」


 エリシアは複雑そうな顔で悪魔を見つめる。


 悪魔の目には涙が浮かんでいるのだ。


 やはり……ネイトも言っていたように、元の人格は完全に消されるわけじゃないんだ。


 この悪魔は、あのベンチに座っていた二人の子なのだろう。


 悪魔になってしまったが、悪魔になってはいけないという親の言葉が頭に残っているのだとしたら……


 それを守ろうと、なんとかこの場に留まり続けたのかもしれない。


 俺は悪魔に声をかける。


「辛かったな……」

「殺す殺す殺す──殺せ殺せ殺せ!!」


 悪魔は口調を変えず、そう言葉を変えた。殺せ、と。


 元の少年の人格が、何とかそう言わせているのかもしれない。


「アレク様、あまり時間が……」


 エリシアの苦しそうな表情に俺は頷く。


「分かった。悪魔よ……俺の眷属になる気はないか?」

「人間の配下にはならん!! 殺せ……殺す殺す殺す!!」


 悪魔はそう言って、再び大きく体をじたばたさせた。


 ここまで無力化しても眷属にはならないか……


「エリシア」

「はい」


 エリシアはこくりと頷くと、悪魔に片手を向け光を宿し始める。


「お前たちの墓は必ず作る……一つだけ、頼みがある」


 俺はのたうち回る悪魔に、こう訊ねる。


「お前たちの商会を……この建物を、名前を、譲ってほしい。必ず、お前たちの名誉を俺が回復する」

「……」


 それを聞いた悪魔は暴れたままだ。しかし、口を噤んで、まっすぐに目を向けた。


「だから、お前も力を貸してくれないか?」


 最後まで俺は眷属化したいという意思を示し続ける。エリシアの聖魔法を前に、悪魔が降伏することもあるかもしれない。


「……殺す……殺す殺す殺す!」


 だが悪魔は次第にまた悲鳴を上げ、地面をのたうち回る。見ると、翼や手足が生えつつあった。


「ここまでです、アレク様……」

「ああ……」


 俺が頷くと、エリシアはついに手から優し気な光を悪魔に放った。


 悲痛な叫びを上げる悪魔。


 しかしすぐにその叫びは止み、こんな言葉がはっきりと響いた。


「頼む……父と母が築き上げたものを、取り戻してくれ……あいつらが奪ったものを……」


 俺は深く頷く。


「約束する、必ずだ」

「ありがとう……」


 その声が返ってくると、ゆっくり光は消えていった。


「……安らかに眠ってくれ」


 悪魔のいた場所に落ちていた白骨に、俺とエリシアは祈りをささげるのだった。

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