宿題とクリスマス・イブと俺
しらす
宿題とクリスマス・イブと俺
何がどうしてこうなったのか、俺にはまるで分からない。いや、たぶん分かりたくないだけなのだろうが、それを認めることはどうしても出来ないでいる。
だが確実に言えるのは、こうしてクリスマス・イブを共にしているのは、目の前の思考回路が海より深く不可解な女の子で、それを招いてしまったのも俺自身だという事だ。
俺、
「ごめんねー、結局また付き合わせちゃって」
軽い調子でそう言いながら、咲子は俺が
それを一口飲んで、幸せそうにほうっと息をつく。その顔を見ると、なぜか全てを許してしまいそうになる自分に困惑する。
……などと言ってはいられない。
「あのなぁ、何で冬休み初日にこんなもん持って来るんだよ!?」
「え? だからさ、さっきも言ったじゃん。このために来たんだし」
「今日この日に家に来て、何をどう考えたら宿題を片づけるって話になるんだよ?」
「そんな、だって私たち、今年は受験生でしょ? 宿題くらいは片付けないと」
そんな事は分かっている。分かり切っているから、冬休み初日でありクリスマス・イブでもある今日、家に行ってもいいかという咲子の誘いを受けたのだ。
ただし俺と彼女では、その見解がだいぶ違っていたらしい。
俺は事情があって、今は祖父母の家で一人暮らしだ。
夏休みを最後に離婚することになった両親に従い、俺は母方の実家のあるこの町に来たのだが、実のところ両親には色々と思うところがあった。
そんな時に出会ったのが咲子で、それまで言いたいことを何も言えずにいた俺は爆発した。その結果、高校最後の秋から空き家になっていた祖父母の家へと追い出されたのだ。
お陰で受験には集中できるし、ちょっと広すぎるが家具類は揃っていて住み心地はいいい。何より怒鳴ってばかりいた両親の顔をもう見なくてすむ。
そんな俺の事情を知っていた咲子は、冬休みに入る直前にこう言いだした。
「ねぇ健、せっかくだからクリスマス・イブにさ、家に行ってもいい?」と。
イブの日は冬休みの初日、終業式の翌日だ。
だから俺はてっきり、一月に迎える大学入試共通テスト(咲子は両親の影響でセンターと呼び続けているが)の勉強を前にした、最後の息抜きとしてイブを楽しみに来るのだと思っていた。
これからが受験本番という時期に、そんな事をしていいのかと気が
終業式の後、すぐに帰宅した俺は古いツリーを引っ張り出して飾り、某有名ファーストフード店のチキンを買い、ドリアでも作ろうとチーズを買ってミートソースとハンバーグを作り、ケーキまで用意した。準備は万端だった。
だが俺の家を訪ねて来た咲子は、居間に入るなり冬休みの課題一式を取り出すと、いきなり机に広げ始めたのだ。
どういう事だと理由を聞くと、咲子はまるで空が晴れているのに今日の天気を訊かれたかのような顔をして、俺の顔を見上げてきた。
「冬休みをめいっぱい楽しむには、さっさと宿題を終わらせるのが一番でしょ?」
「それにしてもすごいね、一人暮らしなのにツリーの飾りつけとかするんだ」
感心したようにそう言う時点で気付いてほしいものだが、咲子にそんな常識的な判断は期待するだけ無駄だ。
転校して数日でそれを思い知った身としては、今日の予定は彼女の言う通り、一日で宿題を片づける耐久戦に変更である。
そもそも咲子と俺がこんな関係になったのも、ほぼ咲子が原因だ。
転校して二日後の昼休み、俺はいきなり生徒指導室に呼び出された。
一体何事かと思いつつ立ち上がった俺に、クラスメートの視線が集中した。そりゃそうだろう、呼ばれた俺も驚いてるんだから、と思って周囲を何となく見回すと、その視線は妙に生暖かいものだった。
どうもおかしいな、と首を傾げながら生徒指導室に入った俺は、そこで
何がどうしてそんな話になったのかさっぱり分からないが、絶対にそんな事はありませんと否定して指導室を出ると、俺は咲子のところへすっ飛んでいった。
「なあおい!あんた俺の事を他人に何て話してるんだ!?」
例の不純異性交遊の相手は咲子、という話になっていた。しかしそんな歪んだ噂が流れるほどの時間は経っていないので、原因は彼女しか考えられなかった。
悲しい事にそれは大当たりだった。
「何って、特に何も言ってないよ。健と何があったのって
あまりにあんまりな返事に、俺は頭をフライパンで殴られたかのような気分になった。ぐらりと傾ぎそうになる体を立て直し、俺は思わず怒鳴った。
「どういう言い方してんだよ!? そのお陰でいきなり生徒指導室に呼び出し食らったんだぞ!」
「ええ!? ごご、ごめんね! でも本当の事言っても信じてもらえなかったから」
それこそ当たり前だ!と大声で言いそうになるのを辛うじて堪えた。
咲子との初対面は、実のところ転校したその日という事になる。しかし夢の中で何時間も一緒に過ごしたせいで、すっかり顔馴染みのような気分になっていた。だが目が覚めてから、俺は彼女の名前も聞かなかったと気が付いた。
だから教室に入った瞬間、彼女の顔を目にした驚きと嬉しさで、周りの事を考えずにいきなり名前を尋ねたのだ。
理由を聞かれるのは当然、転校してすぐの俺ではなく咲子の方だろう。
これはよく考えれば俺の方が悪い。だが街中で会ったことがあるとか、他に言いようは無かったのかと思う。
「もしかしてお前、転校してきた理由も話したんじゃないよな?」
「まさか! そこはちゃんと『人には言えない事情があるから』って言っておいたよ」
いかにも「上手に誤魔化しておいたよ」といわんばかりに自慢げに言われて、今度は頭にドラム缶が落ちて来たかと思った。
「ますます意味深じゃねーか!! もっと他に言い方があるだろ!?」
「ええっ!? でもあんまり家庭の事情とか説明されたら嫌じゃない?」
「そりゃ困るが、変な誤解を招くような誤魔化し方はもっと困るだろうが!」
「そ、そうなの?ごめんなさい……」
勢い込んで怒鳴ったせいか、途端に咲子はしゅんと肩を落としてしまった。その様子を見て、俺もさすがに言い過ぎた事に気が付いた。
咲子には多分、全く悪気は無いのだ。ただただ言葉の選び方を間違えているだけで、彼女なりに俺の事情を言いふらしたりしないよう、気を
そう言う意味ではいい子なのだ。なのに怒鳴ったり責めたりしてしまったのは俺が良くなかった、と少し反省した。
「すまん、そもそも俺がいきなり名前を聞いたのがまずかったんだよな」
慌てて謝ると、顔を上げた咲子は、あっと思い出したような顔になった。
「その事もいろんな人に訊かれたよ、何で名前を訊かれたのかって。だから『将来の事を一緒に考える約束したから』って答えておいたよ」
いっそ誇らしげな顔をしてそう言う咲子は、今度こそ
確かにそれは嘘ではない。それどころか紛れもない事実だ。あの夢の中で最後に話した時、彼女は俺を手伝うと言ってくれたのだから。
だがそれを聞いた俺は、脳天に隕石が直撃したかのような衝撃を受けて、その場で眩暈を起こして倒れてしまった。
要するに俺の全くあずかり知らぬところで、咲子と俺は婚約したことになっていたのだ。
だが最初の内こそからかわれると困る、と思ったものの、さすがに進学校のせいか、それとも受験が近いせいか、それ以上の面倒は全く起きなかった。
それでつい、まぁいいかと思ってしまったのだ。
誤解であろうとなかろうと、俺は咲子が嫌いではない。何を考えているのか頭を開いてみたいようなぶっ飛んだ奴だが、一緒に居ると肩の力が抜けるのだ。
恋愛感情があるのかと訊かれれば答えに詰まるが、一緒にいると気持ちのいい相手で、それは咲子も同じように見えた。
周囲には何も訊かれなかったし、付き合おうなどとお互い言ったわけではないが、いずれ友人以上の関係になるんだろう、と何となく思っていた。
だからつい油断していた。イブの日に二人きりになろう、などと言う事は、いくら思考回路のぶっ飛んだ咲子でも、少しは恋人らしい事をするつもりなんだろうと。
一体誰が想像するだろうか。受験生の身でありながら、冬休みを遊んですごすためだけに、せっかくのイブを消費して宿題を片づけようとする奴がいる、などと。
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