読者の皆様に【特別】なお誘い~日本ダンジョン編~

しげきょーたろー

第1話 日本にダンジョンが誕生!?

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 小説をこよなく愛する読者の皆様へ


 拝啓 初夏の候 ますますご健勝のことと存じます。

 平素は格別のご厚情にあずかり心より御礼申し上げます。


 皆様のアイデア溢れる作品を読ませていただいた結果、異世界に飛ばされた私はこうして無事帰還を成し遂げることが出来ました。


 感謝の意を示し、異世界で培ってきた術を駆使し、この地球にて皆様が恋い焦がれる異世界ファンタジーの世界を実現しようと思い立ちました。


 しかし、私は長く異世界で生活をしていたためこちらの常識や物事の道理を忘却してしまい、いざ実行しても皆様の満足に足る結果にならない可能性が十分にあります。

 つきましては、私を助けてくださいました皆様にも是非ご参加、協力いただきたく“WEB小説投稿サイト”に投稿した次第でございます。

 世を切り開く時代の覇者となりたい方、魑魅魍魎をクリエイトしたい方、未知なる力に目覚めたい方、この世界が過ごしにくいと感じている方などなど。

 焦がれに焦がれて灰になった心をもう一度燃焼させてみたくはありませんか?

 私と共に【現代異世界化計画】に賛同してくれる方を募集いたします。

 なお、人数に限りがございますので下記の内容にて選定させていただきますことをご了承ください。


              敬具


 記

 NE

 424707 1430900

 354502 1391054

 355100 1395953

 350656 1372309

 342236 1353119

 260831 1273943


 だうゆはもんやてしきりにんむてこちやは ひあすあんこあげあしそ をがばうちうなけむいをそら


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 5月。「例年より涼しい季節になります」と、お天気キャスターが告げると、やれ環境破壊だオゾン層がどうだとコメンテーターがツバを飛ばす。

 朝っぱらから人の怒った顔なんて見たくない……

 嫌なことは続くもので。地震速報の音が流れ震源地がテロップに表示された。最近の日本は変な感じがする。北海道から沖縄まで地震が頻発しており、そのうち大地震が起きて日本が沈没してしまうのではないかと不安と心配が渦巻いている。


「ほーんと異常だいじょーだ異常だにゃーん。そーれが日本だ日本だよ♪ 世界よどうだまいったかーっにゃんてね」


 朝食を食べ終えた岡崎輝おかざききらりはセンスの欠片もない即興を口ずさみながら階段を上り自室に入る。机に置かれている10インチのタブレットを手に取り『人をダメにするクッション』に身を沈めた。


「にゃー。幸せにゃー」


 輝は金髪に赤のメッシュが入った長い髪をしており、動物のヘアピンで前髪を留めている。その日の気分で動物を決めており、今日のヘアピン模様はトラ柄の猫ちゃん。だから語尾に“にゃ―”と付けてネコ真似をしている。

 17歳高校2年生。趣味は読書と動物のヘアピン集め。

 お金がないためマンガや小説を読みに中古本屋で立ち読みをしていたが、ある理由により最近は【WEB小説投稿サイト】でネット小説を貪っている日々だ。


「よし! 休日だしいっぱい穴掘りしちゃうにゃー」


 手に持っているタブレットを起動させ【WEB小説投稿サイト】のサイトにログイン。新着更新順で検索して評価ポイントとブックマークがゼロの小説を選ぶ。

 速読が出来るためスクロールして評価、スクロールして評価と、端から見たらマンガでよくある左から右にハンコを押していく仕事みたいに見えるスピードで読み終えていく。


「にゃんとっ!? すっごい面白いの見つけたにゃー! これはSNSでささやかなくては! えーと……皆さんこんにちは♪グッドモーニングハロハロ~♪ オススメ作品をスコップしちゃった♪ 褒めて褒めて❤~~……――っと、こんな感じでいいかな」


 輝がSNSに書き込むと、秒の早さで続々とフォロワー達からいいね評価を集めていく。これが【読み専お嬢様軍団】の末っ子キラリンの魅力だ。

 すでに百いいねを越えており、輝は嬉しさをアピールするため、猫の口を付けた自撮り写真を投稿し、それもまた早い時間に千いいねを越えた。


(はぁ……小説の宣伝なのに自撮り写真のほうが人気なの困っちゃうにゃー)


 コメント返しと誹謗中傷者のブロックをしながらため息をつく。

 こんな感じでいつもの休日を楽しんでいると、【読み専お嬢様軍団】ハイファンタジー好きの長女からメッセージが届く。

 その内容は“変な小説? が投稿されたから読んでみて。URLはここね”と書かれていた。


(珍しいにゃ。よっぽど変だったのかにゃ?)


【読み専お嬢様軍団】内のルールとして、小説の勧め合いは不毛な争いになるからと禁止されている。ルールを破ってでも伝えたいものなのか。興味をそそられた輝きらりは、ペロリと舌なめずりをした後、URLをタップした。

 映し出された文を読んでみると、学校の先生が出すプリントみたいな、硬いイメージをさせる案内状のようなものだった。


(異世界帰り? 【現代異世界化計画】? 何これ、小説じゃないにゃー。たまに出没する愉快犯かにゃー。んー……これは暗号? いやいや、何マジになってるの私。分かったこれ推理小説だ。導入としては惹きつけられる面白みがあるけど、推理なら推理ってタグを付けないとダメだよ。とりあえず今後の期待を込めて評価は星3つで~す)


 作品に対して5段階評価中“3”を選択。【読み専お嬢様軍団】長女に“難しくてよくわからなかったにゃー”と返信。きれいさっぱり忘れようと心に決め、違う小説を読みにいくのだが……。


(ああっ! モヤモヤする~~~~!)


 あれは推理小説だ、愉快犯だ、今考えても無駄だと自分に納得させようとするが、どうしても気になる【人数に限りがございますので】と書かれた文字。


「うにゃー! 集中できないにゃああ!」


 ガリガリと『人をダメにするクッション』を引っ掻きストレスを発散。その後立ち上がり、机にある一口チョコを2個口に入れ、コロコロと舌で転がす。口いっぱいに広がる甘い幸せの味は波となり嫌な感情を押し流してくれた。いつもこれで心がリセットされ綺麗なキラリンとして次の一歩を踏み出せるストレスリセット法。


(うんうん、だいぶ落ち着いてきた。やっぱりチョコはサイキョーだね。さーて次の作品を読むかなって――)


「にゃんでさっきの推理小説を開いてるかにゃああああ!」


 思考と行動が別々に動いていたことにびっくりしてのけぞり、また『人をダメにするクッション』に身を沈める。


(異世界なんてあるわけないじゃん。バカバカしい。そんな妄言は小学生までにしてよね……)


 信じていた頃を輝きらりは懐かしむ。だからこそ小説を読んだし、知識が付いたからこそどうしようもない幻想だと知ってしまった。現実を受け入れたからギャップで物語を楽しめる。読み専という立場で常に平等の評価基準を。これが輝の小説との向き合い方だ。

 テロン♪

 タブレットからメッセージを受信した音が流れる。

 送り主は『読み専お嬢様軍団』長女からで『先ほどの小説に書かれていた暗号を解読したので、その方法と内容になります』と書かれていた。

【数字の羅列は座標を指しておりに関する場所。下の言葉はシーザー式暗号。“ダイヤの目を持つ魚を見つけた者 半身を顕現させ 我が媒体と組み合わせよ”とのこと】


「ほらやっぱり“釣り”じゃーん! にゃにゃにゃあああ!」


 全身に脱力が襲う。

 分かっていたのに……心の隅では可能性を信じていた自分に腹がたった輝きらりは、精神をかき乱してくれた問題の案内状風小説の画面を開き、「おりゃおりゃおりゃ」と秘孔を突く様に気が済むまでタップを繰り返した。

 その憂さ晴らしが奇跡を起こした。

 見つけてしまったのだ。偶然か、はたまた天啓か。これが本物と思わせてくれる証拠を。


「嘘でしょ!? ……この推理小説って時渡封元ときわたりたかもと先生が書いたの……? ちょ、ちょっと待ってッ!? そうなるとこの絵と先生の本に書いてあった絵を合わせると――ああ!?」


 心臓を鷲掴みされたような衝撃を受けた。

 画面のとある部分をタップするとページが飛び、ダイヤの目を有した魚の画像を発見。投稿者を確認すると最近巷で有名な作家の時渡先生だった。

 輝が時渡を知ったきっかけは、彼が出版した本を購入してからだった。

 書店で目当ての本を購入しようと探しているときだった。

 偶然目に映ってしまい、頭から離れず、目的だった本を諦め、購入したのが時渡の本だった。

 知らない作家だったし好きなジャンルとは違うため、なぜ買ってしまったのかと購入後疑問と後悔をしたのだが、すぐにニュースで取り上げられ一躍時の人となり、手放すには惜しいと本棚にしまっておいたのだ。

 フォルムが黒魔術書っぽくインテリアとして映えるのでその点は好きだった。

 すぐに購入した本を読み返すと“召喚”というページがあり、魚の尾と思われる半身と魔法陣、下部に詠唱の一部が書かれたイラストがあった。

 一度読んだときは雰囲気を出すためのイラストなんだなと、ただそれだけの感想だったが、こんな仕掛けがされていようとは……

 心臓が跳ね、体全体が興奮で震えているのを感じる。いつの間にか口呼吸になっており、フッフッフッフッと漏れる呼吸音が耳にうるさく響く。


「分かる……ッ分かった分かった分かった! 絵を印刷してくっつけるんだ!」


“ダイヤの目を持つ魚を見つけた者 半身を顕現させ 我が媒体と組み合わせよ”


『読み専お嬢様軍団』長女から送られてきたメッセージを熟考し、答えを導き出した輝は、急いで部屋にあるプリンターにデータを送り印刷を開始した。

 そして机からセロハンテープを取り出し、印刷した紙をズレが無いように本に貼り付けると――


「ああ、あああ……く、くっついた……ッ!? う、うそ、でしょ……こ、ここ、こんなことって……ッ! まるでファンタジー小説みたいな……ッ!!」


 本は淡い光を放ち、紙と紙の接続部は元から一枚でしたと言わんばかりに切れ目がなくなり、A4サイズの魔法陣が完成した。

 発言とは真逆に、輝の期待値は最高潮に達しており、口角がヒクヒクと上がり、チャームポイントの八重歯が顔をのぞかせている。


(この先、何をしたらいいか――なぜか分かる。けど、本当に、いいの?)


 心臓が飛び出してこないように左手で胸を強く抑え、もう片方の手は魔法陣に向けられている。ここまでの摩訶不思議な現象を見せられた輝には、これが偽物と疑う余地は一ミリもなかった。

 本物を前にして、短い人生最大の選択が、経験したことのないストレスが。恐怖と好奇心で今にも漏らしてしまいそうな泣き笑いのひどい顔を浮かべ、踏み出せず躊躇する。

 しかし目がぐるぐると泳ぐのだ。

 心からあふれ出してくる文字を叫びたがっているんだ。

 迷いは格好でしかなく、感情はすでにバリケードを破壊して、統率者に卵を投げつけているんだ。


「世の理を越え 天に仇なす愚かなる者 偉大なる汝に身を捧げ 剣となりて 永遠を誓わん 我は求め綴るものなり 名を岡崎輝!」


 先に存在する未知に確信もって――人生の選択を唱えた。

 嗚呼……新大陸を目指したコロンブスも同じ気持ちだったのだろう。ふと輝は偉人と肩を並べた気になった。

 詠唱が終わると、本が発する淡い光は白き閃光となって部屋を染め上げる。同時に唱えた呪文が魂に刻まれるのをはっきりと感じた。

 疑心暗鬼だった存在。自分にとって一番大切だけど誰もがどこにあるのか知らない“それ”に触れられ「あっ」と声が出た。

 器と“魂”が見つめ合い、全てをさらけ出してしまったと恥と苦みが混じった涙がこぼれた。

 やがて二つは繭まゆとなって溶け合い、ダイヤの目を持った魚に食われ、龍と成り、魔法陣の中へ消えていった。


 ☆

「……う、く……」


 輝はまどろみから覚めると円卓に突っ伏していた。

 発光する宝石が散りばめられたプラネタリウムのような天井。大理石造りの大きい円卓に七つの椅子がある部屋。

 朦朧としながら上体を起こすとタイミングよく男性の声が、


「おはよう。子猫ちゃん」


 とイケメンだけが許されるセリフが輝の耳に届いた。

 普段なら吹き出していた所だが、テンションが追いついておらず、それよりもヨダレが糸を引いていたのを恥ずかしく思い、拭うのに意識を持っていかれた。

 クシクシ。ピンクの毛で覆われた大きい手を丸めて手首付近で拭き取る。

 クシクシ、クシクシ…………??


「ニャアアアアア!? ニャニャニャコレー!?」


 自分が動かす右手を見て驚くと、鋭い爪が飛び出し二度驚いた。


(はぁ? 嘘でしょ!? 私のカ、カラダが……ッへ、へ、変になってる!?)


 目線を下に落とすとTシャツにハーフパンツの見慣れた普段着はなく。買った覚えのないゴシックコーデに身を固めていた。

 光沢のある大理石テーブルが鏡代わりになっていると気づき覗き込む。

 昔の貴族が使う目を隠すマスク“ピンクのベネチアンマスク”を付けており、頭部に猫耳が生えている。仮装大会に参加してるかのような趣だ。

 寝ぼけているのだろうか、それともまだ夢の続きなのだろうか。有名な猫娘よりも猫娘している自分の体を見て、状況を飲み込めずにいると、先ほどの男性の声が続く。

 輝は声のするほうに顔を向けると、知った顔に驚愕した。

 渋めの顔に黒髪をオールバックに固め、高そうなスーツを着こなし、派手なネクタイが印象的。脳に染み込む声が輝の芯をいちいち震わせる女性が好きな声だ。

 時渡封元。

 流星のごとく突如現れメディアを騒がせている日本で注目を集めている人物だ。


「早速気づいてくれたようだね。その姿が君の新しい体であり未知なる力だ。沸き立つ闘争心を感じるだろう? あふれ出る全能感で胸が躍るだろう? 君は、君が望んだ世の理のラチガイに位置する力を、人類で初めて手に入れたのだ。奇跡の新人類がここに誕生した!

 ああ運命よ、時は来たッ歯車を埋め込み祝福の鐘を響かせよ!!」


 時渡が芝居じみた振る舞いをすると、彼の頭上に複雑な魔法陣が複数浮かび上がり、ギアが噛み合ったように回りだした。

 最初は力強くガチリ、ガチリと動き出し、輝が訳も分からず呆けている間に回転速度が増し続け、火花が飛ぶように閃光が漏れ出し――弾けた。

 刹那――

 体験したことのない圧迫を全身で感じた。

 天から頭を押さえつけられたような感覚でもあり、地球の重力が増したような、引っ張られた感覚でもあった。

 意味の解らないことはまだ続く。

 ゴーン……ゴーン……鐘の音が空から聞こえるのだ。密閉されたこの空間にいるにも関わらず、たしかに空から聞こえると断言できる。

 そして、この体験は、世界中の誰もが同じく味わっていると魂で理解した。

 条件反射的に鐘が鳴る天井を見上げ、聞き耳を立てていると、次第にに音が小さくなり、反響音を最後にぱたりと止んだ。


「な、なにが……どうなって……」

「今、世界は新たな理を受け入れた」

「新たな理?」

「そうだ。君は小説を読むのだろ? ファンタジー小説の世界は火や水や雷、光も闇も、魔法を唱えれば自由自在に使える。なぜ魔法を使えるのか。それは世界が魔法を受け入れているからだ。世界が認めたなら当然使えるし、疑問も持たない。しかし世界が認めなければこの地球のように魔法を使えないし、誰もが心の片隅で夢物語だと受け入れるようになっている。つまり理とは世界設定のことを指す。先ほどの現象は、私がこの世界の設定にある“魔法の有無”を“使用できる”に切り替え、世界管理者が承諾した合図だ」


 混乱していた輝に時渡は今起きたことを説明した。


「ゲームのような話……ニャ」


 家庭用ゲームを始める場合、一般的に最初の画面には新しく始める“ニューゲーム”、途中から始める”ロードゲーム”、音の大きさや色の濃さ、使える武具など環境設定を決める“オプション”が表示される。

 時渡は輝達がいるこの世界のオプションを開き、項目にある魔法を“使えない”から“使える”に変更したということらしい。

 それはつまり……

 輝は物語によくあるパターンを思い浮かべ、ゴクリ――とつばを飲み込んだ。


「まさか……ゲームのようニャ話ではなく、この世界はゲームニャンとでも言うかニャ!? 私はゲームキャラクターだったのかニャ!? 神様のおもちゃだったのかニャ!!!」

「…………」

「ま、まだあるニャ! 魔法が使えない世界と言ったニャ! でも私が体験したことは、明らかに魔法ニャないと説明つかないニャ! この猫の体だって魔法以外にナニがあるというニャ! 時系列がおかしいニャ! 嘘ついてるニャ!! ああもう! 語尾でニャーニャー言ってるのはわざとじゃないニャ!! 勝手に口から出るんだニャ!!!」


 上手くしゃべれないもどかしさと、時渡の言ったことを受け入れたくない輝は、大理石で作られたテーブルを強く叩いた。

 肉球がクッションになり、人の手で叩いた乾いた音は鳴らず、鋭い爪がテーブルに当たり、カツーンと通る音を響かせた。


「ふむ。本を読んでるだけあって理解力が高い。情報整理力もまあまあといったところか。しかし君は興奮状態で私の言うことを素直に聞き入れないかもしれないな」


 と、時渡は一旦間を作り、テーブルに置かれたグラスに口をつけた。

 ビクリと背筋がなにかに反応する。

 咄嗟に時渡から視線を外し、気配があった自分の手元を見ると、先ほどまでなかったグラスが置かれていた。


「!?……い、いつの間に……」


 恐る恐る手に取ってみる。実物だ。匂いを嗅ぐ。無臭だ。

 特殊映像や幻覚ではない。ここにちゃんと存在している。では手品なのだろうか。


「のどが渇いているだろ? 安心したまえ、ただの水だ。飲んで落ち着くといい」


 輝がグラスを手に取り匂いを嗅いだ姿を見て怪しい飲み物ではないと促す。

 降って湧いたように現れたグラスを疑うのは人として当然のことだが、普段はいい子ちゃんの輝は、行儀の悪い態度をしてしまったと恥ずかしくなり、一気に飲み干した。


「わっ。ナニコレすっごいニャ! 旨味が全身にニャニャニャーって染み渡ったニャ!?」


 生まれて初めて水がおいしいという体験に度肝を抜かれ、不安や緊張が一気に吹き飛んだ。


(あれ……? 部屋の照明が明るくなったニャ)


 気づいたら時渡だけに強いスポットが当たっていた暗い部屋が、隅まで確認できるほど明るくなっていた。そこでようやくこの部屋に時渡と輝以外の存在がいることを知った。

 それは黒く暗い闇の存在。この世ならざるもの。人は恐怖を抱き、手を合わせ、必死に念仏を唱えやり過ごすしかない呪われた隣人。

 幽霊。

 体面にいる幽霊は心霊写真で写るような曖昧さはなく、影がそのまま浮き出たように深い黒を纏い、血管を思わせる赤く脈動する亀裂が節々に走っていて、生前大きな事故で亡くなったのだと想像させられる。

 背格好的に少女だろう。

 幽霊は一体だけではなかった。彼女の周りには、イメージでいえばミミズを黒でべた塗りにした4体と、それに奇妙な仮面を付けた4体、計8体が囲んでいた。

 目立つ幽霊は恨みと憎しみによどんだ渦巻く目で輝きらりを凝視している。

 一気に雰囲気に呑まれてしまい、死に引きずりこまれると錯覚した輝は、


「ひにゃああ!! お、おおぉばばばおおぉぉおばけにゃああああ!」


 と、叫び声を上げた。

 輝はホラーが大の苦手なのだ。飛び跳ね椅子をひっくり返しテーブルの下に身を隠してしまう。


「ひぃぃぃっコワイコワイコワイコワイぃぃ」


 なおも凍り付く背筋が幽霊の接近を知らせてくる。

 ガタガタと小刻みに震える小さな体。頭の前に重なる大きな猫の手が、彼女がいま何を願っているのか想像がつく。

 しかし願いはむなしく退けられ、ついに隣に立たれ、見下されている視線が柔肌に突き刺さる。


(あー! あーー!! あああああ!!)


 怖くて怖くて何も考えられなくなった輝。そのみじめな姿に、幽霊は黒い手を伸ばし肩を掴んだ。


「ニャアアアア!!!」


 触れられた瞬間ビクリと体が跳ね、口からは絶叫が漏れる。

 その声量たるや、聞いたモノの鼓膜を通り越し、脳を溶かす破壊兵器に等しかった。

 あまりの迫力に、幽霊もまた同じように驚いた。


「おぬし……落ち着け、落ち着くのじゃ。わしは取って食おうなどせん。あー、なんじゃ……いたずらがすぎたようじゃ。すまない。最初が肝心と思ってつい、な。ん? これはっっとおお!? まずいぞ!? こやつ漏らしよった!!」


 彼女は15秒という短いホラー映画のCMを見ただけで顔が真っ青になり、布団にくるまってしまうほど弱い。実際に目の当たりにしてしまったら、失禁も失神も十分にあり得る話だ。

 どちゃり、と出来立てほやほやの聖なるキラリン泉に倒れこむ女子高生。どうしていいのか分からず、ぼう然と突っ立っている幽霊。額に手を当て失敗に悩む時渡。


(なんてことだ。この時のためにさっちゃんと二人で計画を立て、順調に進行していたのに、失神するほどの怖がりが来るとは想定していなかった。悲しい事故だよこれは……)


 彼はふぅとため息をつき短い反省をはさむとすぐに次の一手に移った。


「よし、さっちゃん。今起きた悲劇は彼女のために、なかったことにしてあげよう! 女子高生で失禁は心に大きな傷を残してしまうだろうからね」

「う、うむ。そうじゃな。しかしどうやってなかったことにするのじゃ? 何か良い策でもあるのか?」

「ある。それはな、身なりを綺麗にして椅子に寝かせる。目が覚めたあとは……私とさっちゃんが口裏を合わせてシラを切る!!」

「強引じゃな!? わしは嘘が苦手じゃぞ。すぐボロが出そうじゃ」

「大丈夫。基本的に私が対応するから、それに乗っかってくれればいいからね」


 そこまで言うと時渡は椅子から立ち上がり、「魔法を使うから彼女から少し離れてくれ」と幽霊さっちゃんを移動させた。


「異世界で重宝した、簡単な汚れなら落とすことができるオリジナル便利魔法をお見せしよう。火と水と風の魔法を複合したトリプルマジック『クリーン』」


 魔法を唱えると手のひらに三層の魔法陣が現れ、同じように輝が倒れている地面にも魔法陣が出現した。その魔法陣から強風と水が上がり、渦を巻きながら彼女の体を浮かび上がらせ汚れを落としていく。そして最後に熱風が吹き、全身をカラッとした気持ちのいい乾燥状態に仕上げた。


「すごいのぅ。まるで全自動洗濯機の中身を見ているようじゃった。む、どうやら猫化が解けたようじゃな」

「気絶で解除される系だろうか。かわいらしい娘さんじゃないか。さっちゃん、椅子に座らせてあげてくれ」

「うむ」


 さっちゃんはきれいさっぱりの新品になった輝を支え椅子に座らせた。


「ありがとう。ふむ、彼女は起きそうにないな。時間が空いてしまったか。では彼女が目覚めるまでの間、計画に支障がないかおさらいでもしようか」

「そうじゃな。この子で務まるか心配じゃからの」


 二人はうなずき元の椅子に座る。


「まずは私が異世界から帰還したときの話をしよう。あれは……」

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