くだらないはなし

南部忠相

第1話 勇者の帰還

「おお勇者よ、死んでしまうとは情けない!」


 目を覚ますと丸々太った派手な格好のおっさんが舞台俳優の如くオーバーな動作で語っている最中だった。絨毯のように分厚いマントが重そうだ。


「人違いです」


 とりあえず知らないおっさんに"情けない"とか暴言を吐かれる筋合いはない。さっさと大理石造りの冷たい床から立ち上がって部屋から出ようと辺りを見回す。


「勇者よ、お主記憶を失くしてしまったようじゃな。情けない」


 愛想笑いをうかべて頭を下げ、出口へ向かう。イタズラにしては手が込んでいるし、自分が先ほどまで何をしていたのか思い出せないのは確かだ。


「勇者タケヒコよ、そちらはバルコニーじゃ! お主を心配して集まった国民へそのアホ面を拝ませるのは気が引ける。まずは茶でも飲んで落ち着くのじゃ!」


 自分が特段良いわけじゃないが、このおっさんは言葉遣いが悪い。ガキのころからやり直した方がいいだろう。


「オークス、オークスはおるか!?」

「こちらに」

「うむ、この勇者にエ……食事を与えておくのじゃ!」

「かしこまりました。それでは勇者様、こちらへ」


 仕立ての良い服を着た執事風の老人に連れられて重厚な石造りの部屋をあとにする。響く足音と衣擦れだけが耳に入ってくる。仮に民衆が外にいたとしたならもっとどよめきやら反応が見られるのではないだろうか? 立派な廊下だが窓が設置されておらず外の様子を確かめるのことができない。数人の兵士のような恰好をした男たちもいるから無理に逃げることもできない。仕方なく付き従って歩く廊下には随所に高価そうな調度品がおかれており、その美しさを誇っている。


「どうぞ」


 しばらく歩くと目前に巨大な両開きのドアが現れた。執事が顎で兵士に合図すると巨大な扉は厳かに開けられた。案内された部屋はちょっとしたパーティーでも開催できそうなほど広く、中央には樹齢数千年はありそうな木から造られたであろう巨大なテーブルがあった。そのテーブルを写すように巨大な鏡も壁に設置されている。


「本当に記憶を失くされたのですか?」


 腰掛けるように指示された椅子に座ると、間髪入れずに白髪頭の執事が感情の無い声で聞いてくる。怒っている風でもないがビクビクしている給仕の姿を見るとこの老人が普段どのような態度で彼女らに接しているかがわかる気がする。


「会話はできていますよ」


 変化球で返して様子を伺う。老人は少し呆れた顔をして給仕に指示を飛ばした。どうやら誰かを呼び出したようで、茶の準備ができるころには見るからに”魔女”といった格好の女が部屋に入って来た。四十後半といったところだろうか、少しくたびれた様子の女は席に着き茶をすすり始めた。


「ボーマンさん、客人の前でその態度は良くないですね」

「こっちゃ忙しい中来てやってんだ、礼儀もくそもあったもんじゃないよ!」


 女は悪態をつきながら茶菓子を貪り食う。よほど腹が空いていたのか作法なぞお構いなしに次々と菓子を口へ放り込む。うまそうな顔をしているから味はわかっているらしい。毒でも盛られているんではないかと遠慮していたがこれならば俺も手を伸ばしやすい。それともこの女は瞬時に俺の心境を見抜いてこれをやってくれたのだろうか。


「で、あんたはどこまで覚えてるんだい? 名前くらいはわかるんだろう?」


 いきなりの本題。気を使っていたわけじゃなさそうだ。女は鋭い目つきでこちらを値踏みするように見据えている。


「タケヒコデス」


 さっきの太ったおっさんがこちらを見てそう言っていた。おそらく俺の名前はタケヒコなのだろう。たぶん。ちらりと鏡に目をやり自分のなりを確認する。短めの黒髪に茶色の瞳、中肉中背とこれといった特徴なし。だが、ここまで見てきた人たちとは少し毛並みが違う。というのも彼らはなんというか、西といえばいいのだろうか? 彫が深く髪色も明るい人が多い。


「名前すら忘れるかね。まぁいいさ。あたしの魔法にかかればどってことないよ」


 ならば最初からそのとやらをかけてくれればこの無駄な問答も必要なかったのではないか? と口に出そうだったがこれまで以上に無駄な話になりそうだから口を噤むことにする。


「ボーマンさん、王を待たせています。手短にお願いします」


 老人の言葉に女が不機嫌そうに手をひらひらさせる。


「あんたもたいがい礼儀がなってないよ! この大魔術師リンゼイ・アレクセイ・ボーマンを捕まえてさっさとやれとはさ!」


 先ほど忙しいと文句を言っていた女とは思えない発言だ。だが仕事は自分のペースでやりたいというのは俺も同感だ。呼びつけられてさっさとやれってのはムッとするのもわかる。それにしても長い名前だ。ちょっと覚えられそうにない。


「それじゃいくよ!」


 断るのかと思ったらやるのか。そう思った瞬間赤い光の粒が俺の体に集まって来た。蛍の光を思わせる明滅する光はあっという間の見せ場を終えて消えていった。


「で、思い出したかい?」


 魔法というのはもっと、こう、呪文とかいろいろ下準備があるものだと勝手に考えていたがそういうものではないらしい。特別変わった様子もなく思い出せることと言ったら。


「あぁ、タケヒコじゃなくてタカヒコです。好きなものはデレデレお姉さん属性です」

「あたしゃ旦那は要らないよ」


 リンゼイなんちゃらかんちゃらさんも冗談がお好きなようだ。しかしあまり使えそうなことは思い出せていない。大魔法使いの魔法でこの程度ならば魔法というのも期待したような派手なものではないようだ。


「ま、記憶にかかわる魔法なんざ一瞬で効果が出るわけじゃない。一週間くらいはほっつきあるいてゆっくり思い出しな」


 興味をなくしたのかリンゼイなんちゃらさんはすっくと立ちあがり制止する執事を無視して部屋を出て行ってしまった。


「ふぅ、援助を受けている自覚がないと困ったものです。あなた勇者様はああならないでください」


 援助も何も記憶すらないのだから恩を着せようとも無駄だ。結局思い出せたこともタカヒコという名前だけ。これが自分のものかもいまいちわからない。


「外に出ても?」

「許可しかねます。あなたは今、魔女王と戦って帰ってきた唯一の生存者の可能性があります」


 魔王! 勇者といえば魔王。おとぎ話ならば紆余曲折を経て勇者が魔王に打ち勝つものだ。


「その魔王の名前は?」

「非道の魔女王ルプレグリア。ご記憶は?」


 その名前を聞いて、ピンとは来ないが頭が痛む。

 ルプレグリア

 どこか、心の底から湧き上がる怒りと、悲しさと、愛しさがある。


「あぁ、俺は、彼女を」


 目がかすむ。頭が痛む。胸が張り裂けそうだ。


「何か思い出しましたか?」

「殺しました」

「倒したんですか?」

「そういってる!俺が殺してしまった!!」

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