ロンドの草稿 その七 3



 グレウスは祖父の側近だった家臣たちに命じた。


「ゴートヒル男爵は皇都に屋敷を購入してくれ。旬末に僕が立ちよれる、静かで気持ちのいい家を。秋にはそこにエスリンを住まわせる。アーリフェンとディオルグは姉上たちの嫁ぎさきを見つける。年や身分によほどの差がないかぎり、誰でもかまわない。一門の誰かに、たっぷり持参金をつけて押しつけてしまえ」


「姉上とおっしゃいますと、ベレッタさまでしょうか?」

「上から下まで全部だ」

「それは、ちと強引ですな」


「かまうものか。だいたい姉上たちには一人も恋人はいないのか? 舞踏会だのなんだのと、男と知りあう機会は、これまでにいくらでもあったじゃないか」


 ゴートヒル男爵は苦い顔をしている。

「恋人はおありかもしれません。しかし、結婚となれば、何かと異なりますし」


 男爵の言いまわしに、グレウスはピンときた。


「ドラマーレの娘だからか?」

「はあ……その、なんと申しますか……」

「ドラマーレが狂人の家系だから、もらってくれる男はいないと言うのだな?」

「はっ……」


 グレウスは頭をかかえた。

「あんまりだ」


 それでは彼女たちの恋人は、初めから結婚の意思なく姉たちを弄んでいるのだ。姉たちもそれを知っていて、既婚者のエスリンに嫉妬したのかもしれない。


「世間では、それほどまでに、うとまれているのか。ドラマーレの血筋は……」


 ゴートヒル男爵たちは、もう答えない。答えるにしのびなかったのだろう。


「わかった。とにかく、なんとかして姉たちの婚家を見つけてくれ」


 そういう話は、どこからかもれるものだ。

 その夜、待ちかねてグレウスの寝室にやってきた母が、魔女のようにグレウスをいたぶりながら言った。


「おまえ、姉上たちを片づけてしまうのだってね? そんなにエスリンが大事なの?」


 母の言いかたに、グレウスはゾッとした。

 母は自分では手を出さなかった。が、姉たちのしていることを見て見ぬふりしていたのだ。


「まさか母上が、姉上たちをそそのかしたんじゃないでしょうね? あの禍歌は、今じゃ代々の当主しか知らない歌ですよ」


 グレウスは祖父から教えられた。愛人だった母なら、祖父から聞いていても不思議はない。


「そそのかすだなんて。わたくしはただ、こんな歌を知っているわと歌ってあげただけですよ」

「母上!」

「おやまあ。怒るの? おまえ、あの子を愛してるの?」

「違います。だけど、僕の妻なんだから」

「そうねぇ。あの子には、おまえの子どもを生んでもらわないと」


 その言葉に、グレウスは少しホッとした。このあと母が何を言うかも知らないで。


「ええ……まあ、そのうちね」

「いいえ。できるだけ早く、たくさんの子を生ませるのです。おまえが姉上たちを気に入らないと言うのなら」

「母上……」


 青くなるグレウスを、母は悲しげに見つめた。


「可愛い坊や。お母さまはいつまでも、おまえのそばにいてあげたい。でも、きっと、そうはいかないでしょう。いずれ、お父さまのお迎えが来るわ。そのとき、おまえ一人で、どうするの?」


 母は今でも、グレウスのことを愛している。たぶん、男としてというより、息子として。この歪んだ愛ゆえに、グレウスは逃れることができない。


 母のどこからどこまでが狂気なのか。正気なのか。正気の部分に狂気がのぞき、狂気のなかに正気がふと顔をだす。


(セイレーン姫。もう母上を解放してあげて)


 母から視線をそらしたグレウスは、扉がかすかにひらいているのを目にした。そこから誰かがのぞいている。

 グレウスはサンダルもはかずに寝台をとびだした。扉の外の誰かはあわてて走りだす。


 グレウスは追った。

 今度は気づくのが早かった。廊下のまがりかどで追いつめる。月光のさしこむ大窓を背に、姉ベレッタが立っていた。


「姉上」


 ベレッタは逃げ場を失って、窓ぎわまであとずさった。

「近よらないで。けがらわしい」


 そう言われても、しかたがない。

 グレウスが唇をかんでいると、あとから母が追ってきた。半裸のグレウスの肩に衣をかける。


「大きな声を出すんじゃありませんよ」


 落ちつきはらった母の態度が、姉をカッとさせた。止めるヒマはなかった。


「わたしは、あなたのようにはならないわッ!」


 ベレッタは窓を押しあけると、そのまま外に身をなげだした。


「姉上ッ!」


 伸ばした手は虚空をつかむ。

 ベレッタの体が、ゆっくりとグレウスの腕のあいだをすりぬける。


 長い一瞬だった。

 夜の闇にとけるように、姉の姿は消えていった。


 やがて遠くのほうで、こもった嫌な音がした。

 アメリータ叔母のときに聞いたのと、同じ音が……。


「おまえが姉上を気に入らないなんて言うからですよ。いいえ……嘘。おまえは少しも悪くないわ。グレウス」


 母の腕が自分を抱きしめるのを、グレウスは他人ごとのように感じた。

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