ロンドの草稿 その七 1
皇都ユクレラの帝立学校に、ぶじ合格したグレウスは、その年の火の月から進学した。
学校は全寮制で、第一校から第三校にわかれている。一、二校は男子校で、三校が女子校だ。
グレウスが四年間をすごしたのは、貴族の子弟のための別名を騎士学校と呼ばれる第一校だ。
母のことや祖父の死、心を悩ませることは多かったが、グレウスはなんとか首席で入ることができた。次席とは
クラスわけは残酷にも成績順だ。危ういところでオスカーとも同じクラスになれた。が、教室での席はかなり遠い。
となりの席は入学試験で次席だった生徒だ。
彼はナイファル伯爵家のアストラル。アストラルも主席を狙っていたらしく、何かというとグレウスと張りあいたがる。
おまけにアストラルの家は皇都の貴族。いわゆる廷臣というやつだ。初等部からずっと帝立学校に入っているため、いっしょに持ちあがったクラスの半分の少年たちに人気があった。
同年代の少年にあまり接したことのないグレウスは、初め、クラスのなかで疎外されていた。級友たちの態度が一変したのは、最初の神聖語の授業だ。
神聖語は大昔、神と対話するために作られた特殊な言葉で、魔術言語とも言われる。祭司や魔術師になるわけではない少年たちには、たいして必要ではない。が、古くからの慣習で必須科目になっている。
三種類あるうちの一番かんたんな第三種神聖語を高等部で、神学の専科へ行けば、さらに上を習うことができる。
神聖語は昔から、ドラマーレ家の人間が得意としている科目だ。広い音域を自在に歌いこなせる喉が、神聖語を発するのに適しているからだ。
授業の初めのうちは、神聖語初心者の一年生たちが発音をおぼえやすいよう、聖歌を歌わされる。
広い講堂で二クラス合同の授業がおこなわれるのだが、グレウスが歌いだしたとたん、まわりの生徒たちが一人、また一人、歌うのをやめる。しまいには、グレウスの独唱になった。
天井の高い講堂に、グレウスの声だけが響く。
声量も音域も、ドラマーレの人間は歌に関しては、まさに天才だ。
なにより声質が人離れしている。ガラスで作った楽器のような繊細な声と思えば、太い低音弦楽器のような声まで、何種類もの声を出せる。声色の切りかえも早い。ときによっては、一度に二種類以上の声音を響かせることさえやってのける。
人というよりは、歌うために生まれた神の声。
セイレーンの歌声。
神秘的なこの声に魅了されない者はいない。
グレウスが歌いおわっても、しばらくは誰も口をひらかなかった。そしてやっと、誰かが手をたたき始める。とたんに講堂は拍手の渦だ。
「す……すごい」
「なんて声……」
「こんなの初めて聞くよ。気絶するかと思った」
「あれ、誰だい? なんて名前?」
「知らないのかい? 今年、主席で入ったんだ。アストラルを負かして」
「グレウスっていうんだ。たしか、サイレン州の伯爵で……」
「ぼく、涙が出てきた」
「人間の声じゃないみたい。まるで……まるで……ああ、もう、なんて言っていいのかわかんないよ」
誰もが興奮している。
教師がだまらせようとしても、なかなか静まらない。教師自身も感服していた。
「グレウス・ル・ドラマーレ。この歌をこれほど見事に歌った者を、私はこれまで見たことがない。発音も完璧だった。この歌はよく歌うのかね?」
「いいえ。初めてです。でも、僕の家族はみんな、一度聞いただけで、どんな歌でもおぼえてしまうのです」
「すばらしい。今の歌は天上の神々にも届いたことだろう」
グレウスは人気者になった。ヒマを見ては彼の歌を聞きたがる生徒があとを絶たない。
「ほんと言うと、君が僕だけの友達じゃなくなって、さみしいんだけどね」
寮の部屋は四年間、オスカーと同室だった。
「どんなことがあっても、君が一番の親友だ。オスカー」
祖父の言っていたとおり、その四年間は、グレウスにとって貴重なものとなった。グレウスの生涯で、もっとも輝いていた時期だ。
華やかな皇都の街なみ。知的な会話。男の子だけの気心の知れた生活。
サイレン州の片田舎の彼の領地では、見たこともないような奇抜な流行服。
次々に出る新作の本。お芝居。
ハンサムな俳優の楽屋に花束を持ってたずねたこと。
詩の朗読会。
学校の行事。
買い物帰りに歩いた散歩道。
川辺を歩く彼の姿は、水面に生き生きと映っていた。
あの楽しかった日々……。
もっとも、楽しいだけではなかった。
学校での生活が楽しければ楽しいほど、長い休みのたびに帰る生家での暮らしが、重く耐えがたいものになる。
風の月の夏休み。
入学してから初めての長い休暇だ。
皇都からノマン川をくだり、サイレス湖の岸沿いに船を使って、伯爵家に帰ったグレウスを待っていたのは、暗い狂気の続きだった。
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