ロンドの草稿 その四



 グレウスが十四歳になったときだ。

 おだやかな光がさしこむ明るい朝。

 いつもどおりの伯爵家の食卓。家族全員がそろって食事をしていた。


「グレウスや。お勉強ははかどっているのですか? 来月には編入試験があるのですよ」

「はい。母上。努力します」


 季節は冬。

 庭には冬薔薇が咲いていた。

 学校の始まりは一年の四番めの月である火の月からだ。うまく試験に受かれば、グレウスは四年間を学校の寮ですごすことになる。

 母は心配でならないようだが、グレウスにとっては初めての皇都、初めての学校、今から楽しみでしょうがない。


「お父さまは入学から卒業までの試験で、つねに一番だったのよ。ねえ、お父さま?」


 近ごろ母は学校の話しかしない。正確には試験の結果のことだ。

 伯爵は朝食用にあっさりと味つけされた小ぶりのステーキを切りながら答える。


「つねにという言いかたは間違っている。何度かは首席をのがしたし、不得手な科目もあった」

「まあ、でも、開校以来の秀才でいらしたのでしょう?」

「おまえは私のことを、なんでも美化したがる。アルテミナ」

「あら、でも、お父さま……」


 たしかに母は祖父に対して、いつまでも十五、六の小娘のようにふるまった。甘ったれているように見える。


「成績はともかく、おまえにとっては貴重な四年間になるはずだ。グレウス」

「はい。おじいさま」

「私は友人を作るのが苦手だったが、おまえは後悔しないように」

「はい」


 ニッコリ微笑して、伯爵は給仕の召使いを呼んだ。


「このナイフは切れが悪い。かわりを持ってきなさい」


 祖父からナイフをおしいただいて、召使いがさがる。


 ごくふつうの食事の風景だった。

 祖父は談笑していた。

 グレウスは祖父から遠い皇都の学校の話を聞きたかったが、母がひとりじめしていた。必然的にグレウスはとなりのオスカーと話しながら、コンソメのスープを銀のさじですくう。


 食卓にはならびきらないほどの豪華な料理。

 朝から手をかけて作られたこれらの料理は、まず伯爵家の者がこれを食し、次に騎士や侍女などお付きの者たちが。それがすむと、さらに下の者へとお下げ渡しとなる。


 こういう食事ともしばらくお別れだと、なんとなく、グレウスは考えていた。


「伯爵さま。お持ちいたしました」

「うむ」


 さきほどの召使いが新しいナイフを祖父に渡す。

 盆にのったナイフを手にとる伯爵を、誰もが見ていた。見ていて、気にもせず、それぞれの会話や食事を続ける。


「グレウスはいいよ。何をするのも器用で」

「ぼくの友人として恥ずかしくないだけの成績はとってくれよ」

「わかってるさ」


 目の端に、見える。

 祖父が……。

 銀のきらめき。

 首にあて、思いっきり——


 オスカーと笑いながら話していたグレウスは、とつぜんスープのなかにはねる水音を聞いた。


(あ……れ……?)


 顔をむけたとたん、生あたたかいがかかる。


 祖父の首から噴水のように血がふきだしていた。

 食卓のあらゆるものが赤く染まる。テーブルクロスが。白磁の食器が。ステーキが。果物が。見つめる人々の顔も。スープはまるで、トマトを煮込んだよう。


 みなが呆然と見つめていた。

 壁にも、床にも、赤絵の具をぶちまけたように色をつけて、血を流し続ける伯爵を。


 家族全員が見ている前で、伯爵は食事用ナイフで、自分の首をかき切ったのだ。

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