その五




「ダメですね。ぜんぜん、かかりません。かじったあともありませんよ」


 各部屋にしかけた罠を調べていたハシェドが、ワレスをふりかえり、ガッカリしたようすで言った。


 昼のまだ早い時間。

 猛毒をしこんだ罠を、兵舎の内塔五階のあちこちに設置してから数日がたつ。罠はネズミがさわった形跡もなく、ホコリをかぶっていくばかりだ。


「しかし、見まわりちゅうに群れを見た者はいる。五階にいないわけではない。毒の匂いをかぎわけているんだろうか?」


 ワレスがつぶやくと、ハシェドは肩をすくめる。


「試しに毒ぬきのエサで釣ってみますか?」

「そうだな」

「それにしても、なんだってこんなにネズミが増えたんでしょうね」

「砦に来てネズミごときに殺されたのでは、あまりにカッコがつかない。食堂から古くなったパンでも貰ってこよう」

「はい」


 二人は内塔を出て、本丸の食堂へ行った。

 食堂ではそろそろ昼食の行列がまばらになってきたところだ。ついでに食事にすると、真っ赤な髪のエミールがとんできて、ワレスの首にぶらさがる。


「わーい。隊長」


 食事の前に自分の唇を味わわせてくれるサービスだ。


「隊長。遅いじゃないか。何してたの?」

「罠をしらべてたんだ。前に仕掛けていたネズミとり」

「ああ。あれ、きく?」

「さっぱり」

「へえ。やっぱりね」


 エミールは最初からわかっていたような口ぶりだ。食堂には砦のウワサが集まってくるから、給仕の少年はけっこう情報にくわしい。

 ワレスは年下の愛人にむかってたずねた。


「なぜ、やはりなんだ?」


 エミールはペロリと舌を出し、

「このごろ呼んでくれないから、教えてやんない」


 ワレスはこめかみを押さえた。


「そんな場合か? ネズミのせいで夜もおちおち寝てられないんだ」

「ええ? なんでさ」

「人が襲われたと報告があれば、いやでも起こされる。このところ毎晩だ」

「そんなにヒドイの?」

「ヒドイからさわいでるんだ」


 エミールは口をとがらせた。が、あきらめたようだ。


「早く解決してよね。いつもみたいにさ」

「かんたんに言うな」


 ワレスが頭をかるくこづくと、エミールは機嫌をなおして抱きついてきた。


「本丸のほうがネズミの被害、多いみたいだよ。あんたたちより前から、罠に使うエサの工面、たのまれた。でも成功したって話、ちっとも聞かないね」


「おかしいな。たしかにネズミは警戒心が強い。とくに年をとって知恵のついたネズミはな。だが、それにしたって一匹もひっかからないなんてことはない。経験の浅い若い個体は罠にかかりやすいはずなんだがな」

「どっちでもいいよ。おれには関係ないしさ」


 ワレスは苦笑した。


「おまえはいいな。気楽で。これだけネズミが増えれば、食害もそうとうだろうに」

「それが、そうでもないんだ。そりゃ、ちょっとずつ野菜をかじられたりはするよ。でも、量的には前と変わんない」


 ワレスの青い目に思案の色が浮かぶ。


「なんだよ。考えこんじゃって」

「いや」

「あんたがそういうときって、たいてい、なんかひらめいたんだよね。エサ、いる?」

「いや、いい」

「ほらね」


 ワレスは食事を残して立ちあがった。


「行くぞ。ハシェド」

「は、はい」


 あわててハシェドは水を飲み、ワレスのあとを追う。


「待ってくださいよ。隊長。どこへ行くんですか?」

「文書室だ」

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