ロンドの草稿 その二 3
さて、オスカーと仲たがいしてから数日がすぎました。
ユイラの少年にしては、やや早く、グレウスは声変わりが始まりました。
そうなると一家は大忙しです。成人のお祝い。おひろめ。たくさんの客が招かれ、宴会がひらかれます。声変わりは男子にとって、一人前の大人になる大切な象徴です。
ことに成人男子が初めてつれていかれる狩りは、その子の資質が問われる重要な場でした。
宴に招いた大勢の客、ドラマーレ家に仕える騎士たち、大人たちにかこまれて、グレウスはドラマーレ家が所有する優れた狩場の森へ出向きます。
剣も弓もたっぷり訓練をつんだグレウスですが、その日はさすがに緊張しました。
「グレウス。かたくなっているな」
殺生することを狩りの神にゆるしを乞い、上首尾を祈願する儀式が森のとばぐちですまされると、いよいよ、馬に乗って出発だ。
グレウスの昂った精神が伝わるのか、鼻息の荒い馬を静めようとしていると、となりに誰かが馬をよせてきた。深みのある声。この声を聞くと、グレウスはホッとする。
「おじいさま」
現在のドラマーレ伯爵。グレウスの祖父ルギンだ。
祖父といっても、まだ五十をわずかにすぎたばかり。美しいブロンドの持ちぬしで、とても七人も内孫がいるようには見えない。
それもそのはず。祖父は十六で結婚し、十七にはグレウスの母を授かっているのだ。
ドラマーレ家の男子はできるだけ早く結婚し、なるべく多くの子どもを残すことが務めであった。
そうでなくても、なぜだかドラマーレ家は女系家族であるし、いつなんどき、あの呪われた運命が襲ってくるものでもない。
その証拠に、祖父の子どもは六人全員が女の子で、そのうち二人はグレウスが生まれる前に亡くなっている。二人は他家に嫁いだものの、彼女たちは妾腹だ。最後まで嫁がず残っていた末娘の叔母は、グレウスが五つのとき、約束どおり鳥になって死んだ。
そしてまた母も、すでになかば以上、呪いに捕まっている。
「初めての狩りでは誰もが緊張する。しかし、始まってしまえば、どうということはない」
祖父の手がかるくグレウスの肩をたたく。
グレウスは自分の父といってもおかしくない、この若い祖父が大好きだ。
あの母でさえ、祖父に注意されれば静かになる。母に叔母に、すでにヒステリー気味な姉たちと、血の毒牙にかかっていくなかで、祖父だけは無傷のように見えた。祖父がとり乱しているところなど、一度も見たことがない。
母の尻にしかれっぱなしの父を軽蔑するグレウスにとって、祖父こそは真に尊敬する、ゆいいつの人だ。
「おじいさまも初めての狩りのときは緊張したのですか?」
「そうだな。しかし、私のときにも父が落ちつかせてくれた」
「ひいおじいさまが、どうやって?」
祖父は微笑すると、馬上から身を乗りだして、グレウスのひたいに接吻してくれた。あたたかな心のこもったキスと、グレウスの肩を抱く祖父の力強い腕は、たしかに勇気をあたえてくれた。
「おまえは私の少年時代に生写しだ。おまえなら、きっとやれる」
「はい。おじいさま」
合図の角笛が吹きならされた。犬たちが放され、先陣の騎士たちが森に入る。
「来なさい。グレウス」
「はい!」
いちおうそばには父もいるのだが、グレウスは無視して祖父のあとに馬を走らせた。
狩りは上々に進んでいった。犬たちは次々に獲物を見つけ、足にかみついて弱らせる。初めてのグレウスにも、かんたんに弓矢でしとめることができた。
「グレウスさま!」
「若さま。こちらです。犬どもがアナグマの巣を見つけました」
血の匂いがグレウスを高揚させた。人間が獣だったころの本能のざわめき。
騎士たちのあとを追って茂みを乗りこえたグレウスは、そこで凍りついた。
何頭もの犬にかこまれ、血だらけになって牙をむくアナグマ。そのうしろには子どもがいて、必死になってわが子を守ろうとしている。
それを見た瞬間に、グレウスの興奮はさめた。
「さあ、若さま」
「どうぞ、我らに勇猛さをお示しください」
勇猛?
だって、あれはまだ子どもだ。あの子たちの親を殺したら、子どもはみんな生きていけなくなる。絶体絶命だとわかっているのに、あんなに命がけで、わが子を守ってるいじゃないか。あれを殺す人間は勇猛なんかじゃない。
「い……イヤだ。こんなのは、ただの弱いものいじめだ。ぼくにはできない」
祖父が近づいてくる。
「グレウス。それでもやるのだ。戦になれば、泣いて命乞いする幼な子でも殺さなければならない。彼らが成長してから、復讐の火種にならぬように」
祖父は手綱をあやつり、巣穴の前におどりでる。すばやく馬上から剣をふりおろし、手負いの親を串刺しにした。
「さあ、グレウス」
——なんだ? 若さまはこんなこともできないのか?
——女の子でもあるまいに。気弱だな。
——こんなことじゃ、次期伯爵失格だ。
——やっぱり血筋が血筋だから……。
——ルギン伯爵もさぞ気落ちしておいでだろう。目に入れても痛くないほど可愛がっている自慢の孫なのだから。
大人たちの目がそう言っている。
グレウスは歯をくいしばって、前に出た。ほとんど目を閉じたまま、剣をおろす。手ごたえがあった。小さな生き物の悲鳴。大人たちの
「さすがは我らが主君となるおかただ」
「すばらしい」
「よくやった。グレウス」
グレウスはこぼれそうになる涙をこらえた。
祖父の手がグレウスの頬をつつみこむ。まだあたたかい子どものアナグマの血で、グレウスは狩りの化粧をほどこされた。
「今にきっと、おまえにもわかる」
祖父は何がわかると言いたかったのだろう?
狩りはぶじに終わり、伯爵家の別荘に帰った。
祝宴も早々に、グレウスは自分の寝室へ入る。寝台にあがると、ようやく、こらえていた涙を流すことができた。
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