ロンドの草稿 その一 2


「ねえ、これなら、みんな、グレウスだとわからないわね」

「六人が七人になっても、きっと誰も気づかないわ」

「早く行きましょうよ。そろそろお客が来てるころよ」


 たくさんの白い卓と椅子を出された園遊会の会場に、グレウスはひっぱっていかれた。そこには人が集まっており、伯爵家の令嬢たちにあいさつしてくる。姉たちの言うとおり、誰もグレウスに気づかない。


(変な気分。ここに、ぼくがいるのに、女の子のかっこうしてるだけで、誰も気づかないなんて)


 それは伯爵家の跡取りに生まれて、つねに注目される立場のグレウスが、初めて感じた解放感だった。


 自分は見張られている。監視されている。少しでも失敗すれば、たちまち大人たちの厳しい目が、グレウスを釘づけにする。いつも息苦しい。ときどき息がつまって動けない。


 でも今なら、誰もグレウスをとがめない。


(こんな楽しい気分は初めて)


 わざと女声を作ってみたり、女らしい仕草をするのも、まんまとだまされる人々の反応を見られて楽しかった。


「あなたがグレウスの新しい遊び相手ね」


 やがて、両親のル・アーニ男爵夫妻につれられてきた少年を見つけると、グレウスは姉たちとともに、すっかりイタズラな気持ちになっていた。黒髪に茶色の目の少年は、まじめで利口そうな顔つきをしている。年はグレウスと同じくらい。


「初めまして。ぼく、オスカー・ウィリアム・ル・アーニです。お美しい姫君たちですね」


 オスカーは同じ顔をした少女たちを、すぐに伯爵家の姉妹と察して、ていねいにあいさつした。一人ずつ順番に手をとって接吻せっぷんし、グレウスの番になったとき、わずかに頬を赤くした。


「あら、まあ」


 めざといベレッタがこれを見逃すはずがない。


「あいにくグレウスは行方知れずなのよ。わたくしたちと遊びましょうよ。ね? こっちへ来て」


 母がカンカンになって、これらを見ている。


「グレウス! グレウスはどこへ行ったの? わたしにこれほど心配させて、いけない子!」


 絹のハンカチを引き裂いて叫ぶ母は、心配しているようには、これっぽっちも見えない。まぶたがピクピクして、今にも卒倒を起こしそうだ。両目をギロギロさせて、休みなくグレウスを探している。そのくせ、目の前にいるグレウスに気づかない。


 となりにいた父は姉たちにまじったグレウスに勘づいたようだが、口のなかでモゴモゴ言って、すぐに顔をそらしてしまった。


「さ、早く。むこうに行きましょう」


 グレウスが動けないでいると、ベレッタが手をひいて走りだした。母をまのあたりにすると、ときどき、グレウスは凍りついてしまうのだ。


「おお、いやだ。お母さまのお顔ったら」


 母を嫌悪する気持ちは姉たちも同じだ。


「さ、気をとりなおして遊びましょう。オスカー、あなた、わたくしたちのなかから一人を選ぶのよ」

「なぜですか?」

「花嫁ごっこをするの」

「なんですって? そ、そんなこと、できません」

「イヤなら、あなたを赤ちゃんにして、ままごとするわよ?」


 オスカーが困った顔をする。が、女の子の遊びとはこういうものだとあきらめたらしかった。


「……わかりました」

「じゃあ、選んでね。あなたが花婿。花嫁は誰?」


 逡巡しゅんじゅんしたあと、オスカーが指名したのは、グレウスだった。


「では、こちらの姫と」


 きゃあと歓声をあげて、姉たちが大喜びする。

 グレウスは心臓がドキドキしていた。


 何も知らないまじめな少年をからかうのが楽しかったから? それとも……?


 なぜだかわからないけど、どうして、こんなに動悸どうきがするんだろう。


 結婚式の曲を歌う姉たちにかこまれて、グレウスはオスカーとならんで立たされた。二番めの姉シモーヌが、愛の女神アレイラの神殿の巫女をつとめる。下の二人の姉が親族で、妹二人は新郎新婦の付き人だ。


「本日ここに新たな夫婦となる二人よ。なんじらはたがいに生涯の伴侶として、三世の契りを誓いますか?」


 うつむいているオスカーをエミリエンヌがつつく。


「ほら、新郎の誓いよ」

「あ、はい。すみません」

「いいから、早く。早く」

「ええと……わたくしオスカー・ル・アーニは、アレイラの愛と純潔と貞節をささげることを誓います」


 もっともらしく、シモーヌがうなずく。


「よろしい。新婦はいかが?」


 グレウスはオスカーをうかがった。

 うつむいていたオスカーも、グレウスの視線に気づいたのか、チラリと顔をあげた。グレウスと目があって赤くなり、またうつむく。


 その瞬間に、なぜだかグレウスは、自分がほんとに少女で、これは前世からの約束なのだという気がした。


「誓います」


 小さな声でつぶやくと、くすくす笑っていた姉たちが大爆笑する。ずっと黙っていたベレッタが、とつぜん異議を申したてた。


「待て待て。我はその結婚に黒い影を見たり。神聖なる儀式を嘘偽りでけがすとは何事か! 仮面をとれ!」


 芝居がかった口上を述べ、グレウスの頭からカツラをむしりとった。


「男同士で結婚はできぬぞよ」


 ぼうぜんとしているオスカーとグレウスを残して、姉たちは走っていった。


「え? 男って……」


 オスカーは口をパクパクさせて目をみはっている。その目にハッキリと失望の色を見て、グレウスはカッとなった。


「私のせいじゃない!」


 ぐい、と口紅を手でぬぐうと、せっかく初めての友達になるはずだったオスカーをほっぽって、かけさりました。


 それが、グレウスの生涯の心の恋人、オスカーとの出会いだったのです。

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