Aブラス

『木管楽器は、この部分は特に音色を大事にしてもらいたい。音量で勝負するんじゃなくて、木管らしい音でお願いします。今のバランスでいくとサックスが少し大きいので、抑えてもらいたい。自分たちのところでもちゃんとクラが聞こえる音量で。ではもう一度Dから』


11月最後の火曜日。この日から、Aブラスのリハーサルが始まった。


指揮をしてくださっているのは、客演指揮者の中野先生。


Aブラスはうちの大学の名物なので、リハーサルの回数も、プロの環境に近づけるために少なく、指揮者も必ず客演を呼ぶ。


私はもちろん、先輩達も初日はすごく緊張するって言ってた。


今回の指揮者の中野先生は、ユーモアもあってすごく面白い先生。だけど、指揮はすっごく分かりやすくて、なんていうか、自分達の実力以上の演奏に【導かれる】ような感じ。


指揮を見てると、演奏も誘導されるっていうか、【正解が見える】って感じかしら。


『小太鼓!』


先生が合奏を止めて急に叫んだ。


え…小太鼓って…恒星じゃ


『さーし!!!』


この言葉で合奏場にいた先生方は全員爆笑。学生はホッと一息をついた。


私は、先生のおっしゃった言葉の意味がわからなかったんだけど、悪い言葉じゃなさそうだったので安心した。


後で先輩から聞いたんだけど、この【さーし】という言葉は【すばらしい】っていう意味みたい。


すごいな、恒星。初日のリハーサルで名指しで誉められるなんて…。


私も頑張ろう。


その後も先生からの的確な指示とユーモアのあるお話で本当に楽しいリハーサルだった。


リハーサルは残り2回。さらに当日のゲネプロと本番。


今日のこと、しっかり忘れないようにしなきゃ。






片付けも終わったので、学校の図書館でリハーサルの復習をすることにした。


楽譜に咄嗟にメモしてたことを綺麗に書き直す。後で見返した時に意味がわかるように。


復習自体はすぐ終わったんだけど、せっかくだから、もう少し曲の勉強をしていくことにした。


スコアを開いて読み返す。


練習番号や、場面ごとに区切って、情報量が多いページは特によく読んでおく。


んん?ここなんだろ、臨時記号がいっぱい入ってる。


あぁ、そっか、転調するところだ!


なるほど、複雑に見えるけど、ちゃんと分かりやすい法則の上で調が変わっていくんだ。


面白い!やっぱり音楽て面白い!


って思って次のページを読もうとしたら、肩を叩かれた。


驚いて振り返るとサックスの同級生、橋本恵(あだ名はめぐ)がいた。


「あぁ、めぐ!どうしたの?」


めぐは、トランペットの高橋君と最近付き合い始めた子(詳しくはBlue Ribbon8話、mutual affection6話参照)


『すっごい楽しそうだね!何読んでるの?』


「あ、これ?スコア!吹奏楽の」


すると、目を大きくして


『結ちゃんて真面目だね!それ、Aブラスの曲でしょ?』


「真面目かな?うん、そう!今日リハだったから!」


『そっかそっか、ごめん、邪魔しちゃって。またね?』


そう言って手を振りながら去っていった。


ん?めぐはなんで図書館にいたんだろ…?


まぁいいか。


さて、続き続き!


そう言えば、転調する時ってティンパニってどうなってるんだろ?


和声で考えればバスな訳だから…


あ、やっぱり。臨時記号ついてる。


普通に行ったら4音じゃ全然足りないし、ここなんか1小節の中でも5音出てくる。。


んーこれって…?





『ん?あぁ、この場合は叩きながら音替えするんだよ』


ってサラッと言うけど、それってすごく難しいんじゃ…?


「へー!どうやって?」


あ、もちろん会話の相手は恒星。図書館で考えててもわからないからすぐ電話しちゃった。


そしたら、ちょうど練習してるっていうから打楽器室にお邪魔している。


運良く、今日は打楽器室には誰もいないみたいで、その場でレクチャーしてくれた。


『まず、前の小節の4音を作って、下2音はそのまま。』


うんうん。


『で、上はDとEにしておいて、Dを叩いたらペダルで半音上げてEsを叩いて、E』


え?何今の。正面から見たら同じティンパニを2回叩いただけなのに、音だけは半音上がった!


『この時に大事なのは、叩く瞬間にペダルを踏むこと。ペダルの方が早ければ叩く前にグリスタンドになるし、遅ければ叩いた後にグリスタンドになっちゃうからね。』


なるほど。確かに叩く瞬間にペダルを踏み込んでいることがわかった。


でもこんなの、曲中にこんなに正確にできるって、打楽器の人ってすごいのね。


「すごい!神業ね!」


素直な感想を言うと、恒星はすこし照れたような顔になった。


かわいいw


『まぁ、神業ってほどじゃないけど、合奏中、ここ演奏してて違和感なかっただろ?ってことは、増田先輩が上手いってことだね。』


そっか。今回1位通過は増田先輩だったんだ。


うん。全く違和感なかったな。恒星もだけど、やっぱり増田先輩ってすごいんだな。


「そっか!増田先輩すごいね!ありがとう!邪魔してごめんね」


そう言って打楽器室を出ようとすると、ちょうど入ろうとしていた人とぶつかりそうになった。


!!


「すみません!失礼しました!」


相手も大変驚いた模様…。でも、すぐに表情を崩した。


『こちらこそ。大丈夫?』


「大丈夫です。すみません、お邪魔しました!」


すっごい綺麗な人だった…あの人は確か、


鈴木、先輩…?


なんだろ、あの人、あんなに綺麗だったっけ…?


あれじゃまるで…。


まぁ、いいか。


結構いい時間だし、どっか空いてる教室見つけて練習しよ。


幸い、空いてる教室はすぐに見つかったので、学校が閉まるまで練習することにした。


Aブラスの復習からブラスの授業の予習まで、意外とがっつり練習できた。


今日は収穫の多い日だったな。


帰ろっかな。


練習中ずっと放置していた携帯を見ると、めぐからメールが来ていた。


【結ちゃん、今日は何時くらいまで学校にいる?よかったら、帰りにちょっと話さない?】


ん?なんだろ。メールが来てたのは、30分前くらい。とりあえず返信しよう。


【ごめん、今気付いた。これから帰るけど、まだ学校にいる?】


すると、すぐ返信。


【いる!正門にいるね。】


待ってたのかな?急いで行こう。







「ごめん、おまたせ。」


めぐは、コートを着て更にマフラーをしてもまだ寒そうにしていた。


『んん、こっちこそ急にごめんね』


それは全然いいけど。


「行こっか。」


めぐは東京出身だから一人暮らしだけど、駅の方に住んでるので方向は一緒だった。


なんとなく一緒に歩き出したけど、めぐは何か言いたそうにしながらも切り出せないみたいだった。


「なんか、あった?」


立ち止まって、涙ぐむめぐ。ちょっと!


「どうした?」


すぐに答えられるような状態じゃなさそうなので、とりあえず通り沿いにあった公園のベンチに連れて行って並んで座った。


『ごめんね。』


いや、全然いいけど。


「どうした?」


『私、恋愛に向いてないかも。』


はい?


「なんでまた」


『この間ね、賢治君に、』


賢治?あぁ、高橋君か。


『家に来たいって言われて、それ自体は全然良かったんだけど、なんか、』


『その後どうなるんだろって考えたら、ちょっとこわくなっちゃって。』


あぁ、なるほど。めぐは、男性経験がないんだ。


『断ったら、賢治君は怒ってなかったんだけど、なんか、すごい悲しそうな顔してて。』


優しいんだな。2人とも。


『その日は、そのまま帰っちゃって。私、なんて言ったらいいかわかんなくて。』


「そっか。」


『学校でも、顔合わせにくくて。』


それは、考えすぎな気もするけど。まぁ、気持ちはわかる。


けど、こういうことは本人達が向き合って話すしかないと思う。


「2人とも優しいんだね。」


めぐがこっちを向く。


『え?』


「なんか、めぐの話を聞いてると、お互いに気持ちを先読みし過ぎてるんじゃないかと思うのよね。」


めぐは、黙って聞いていた。


「でもそれって、お互いのことを想ってる証拠だと思うんだ。けど、直接言わないと伝わらないこともあるんだよ。なにも怖がることないよ。高橋君も怒らなかったんなら、それはめぐの気持ちを尊重しようと思ったんだと思う。でも、どういう気持ちかわからないから、悲しかったんじゃないかな?」


『私、どうしたらいい?』


簡単よ!


「話し合ったらいいと思う。ちゃんと会って、思ってること全部言ってみたら?高橋君だって、わからないよりずっといいと思うよ?」


『そうかな?』


「そうだよ!女の子の初めてって、すごく大事なことだもん。それは、男の子だってわかってると思うよ。」


まぁ、その点私の決断はすっごい早かったけど。(Blue Ribbon6話参照)


こう言うことは、人それぞれ。私は付き合う前から覚悟を決めていたっていうだけ。


『うん。私、賢治君と話してみる。このままじゃ居られないし。』


「うん!大丈夫だよ!相手は彼氏なんだもん。わかってくれると思うよ!」





すっかり泣き止んだめぐを送って、電車に乗った。


今日は、長い1日だったな。


でも、充実してた!Aブラスはレベル高いことがよくわかったし、勉強して、練習して、楽しかったな。


明日からまた頑張ろ!

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