64話 選抜発表
レッスンスタジオの最も広い部屋に、20人以上のWISHのメンバーが集合していた。
「ねえ麻衣さん。今日何でこんなにメンバーが集められたか、本当に聞かされてないんですか?」
舞奈がジトーっとした目で尋ねてきた。明らかに私のことを疑っているようだ。
「失礼ね、本当に何にも聞かされてないわよ……」
舞奈には一応怒ったフリをしてみせたが、私には何となく予想が付いていた。
恐らくは先日社長から聞かされた、次のシングルについて事前にメンバーに説明するということなのだろう。こんなことは今まで一度もなかった事態だが、あれだけの思い切った路線変更、そして藍をセンターに抜擢するということが事実ならば、事前にメンバーの反応を見て、場合によっては協力をお願いするということも必要なのだろう。
だがまだ確信は持てなかった。
センターに立つはずの藍がこの場にいないのである。もし本当に社長が先日の構想を実現させるのであれば、藍こそがこの場にいなければならないだろうが……。もしかしたら全然違う意図があって集められたのだろうか?
「はい、みんなお疲れ様~!忙しいのに悪いわね!」
やきもきしていると社長が入って来た。
2人きりになると弱った表情も見せるが、公的な場では颯爽とした姿を崩さない。こうしたギャップも社長の魅力だ。
「今日集まってもらったのは、次のシングル曲についてのことなのよ。色々説明したいことはあるんだけど、まずはこの映像を見てくれる?」
社長がそう切り出すと、部屋の照明が落とされモニターから映像が流れ始めた。
「え~、事前に映像があるなんて珍しくない?」「それだけ次の曲に力を入れるっていうことなんじゃない?」
メンバーはあまり経験のない事態にワクワクした様子で注目していたが、映像が流れ出した瞬間誰もが言葉を呑んだ。
最初は白黒の映像だった。深い森の中の様子がずっと映されている。
美しい映像ではあったけれど、どこか陰鬱で重苦しい雰囲気だった。
そして森を抜けた湖のほとりに佇む1人の少女を遠目のアングルから捉えたところで、音楽が流れ出した。
(あの曲だ!)
この前社長に聴かされた曲だった。イントロ一発目のピアノの複雑なコードが流れた瞬間、私は曲の全貌を思い出し鳥肌が立った。
そして映像に移っていた少女が、小平藍その人であることに初めて気付いた。
流れ出した音によってチャンネルを繋げられたような感覚だった。
はっきりしないモノクロの映像、半ば顔を覆うような髪型、見覚えのない白いドレス……藍とは結び付かない要素ばかりで気付かなかったが、踊り出した姿は見慣れた藍の動きそのものだった。
曲はワンコーラスだけ流れ、急に無音になった。音が止まったのを機にそれまで以上に映像に集中せざるを得ない。
踊っていた藍も音に合わせたかのように動きを止めていた。
そして彼女は何の前触れもなく湖に飛び込んだ。カメラが切り替わり湖面でもがいている藍の様子が映し出される。その表情は苦しそうではあるが、どこかそれに陶酔しているようでもあった。
藍の表情がアップになる。彼女はカメラに目線を向け何かを叫んでいた。だが依然として音声はなく、彼女が何を叫んでいるのか、何を訴えようとしているのかは分からなかった。
そして、唐突に映像は終了した。
「どうだったかしら?」
社長の問いかけにも誰も返答をせず、しばしの沈黙が訪れる。
「これが……次のシングルとどう関係あるんですか?」
1人のメンバーが沈黙を破って社長に質問した。
衝撃的な映像にあてられ何も言えなかった……というメンバーもいたかもしれないが、それよりもこの映像が何なのかまるで理解出来なかった、というのが多くのメンバーの正直な感想だろう。
「これは次のシングルのMV(ミュージックビデオ)のイメージよ。そして流れていた曲がシングルの表題曲。もちろんMVはあくまでイメージで、これからメンバー皆を当てはめてゆく中で変更する箇所も出て来るとは思うけれどね」
平然とした社長の答えにようやく事態を飲み込んだのか、メンバーの空気が一変した。
そしてメンバーだけではなくその場にいた運営スタッフの空気も一変した。スタッフたちもこの映像と曲の意味を聞かされていない人間が多かったようだ。
「……ちょっと待ってください。これを次のシングルにするということですか?これは流石に……」
1人にスタッフが意を決したように社長に述べた。
メンバー間にも戸惑いと違和感が大きいことを察知し、その意図を汲んだ意見だった。メンバーから異を唱えるということは立場的に難しいものだ。彼の発言はメンバーの意見を代弁した勇気あるものだっただろう。
「ええそうよ。この曲を次のシングルにする。これは決定事項だしすでにプロジェクトとして動き出しているわ。別にこの場は方向性を皆に相談するために集めたわけじゃないのよ」
だが社長はその言葉を冷徹に切って捨てた。
「ちょっと待て下さい、社長!……こんなのWISHじゃないです!私の憧れたWISHじゃない!ファンの人もこんな曲を求めてはいないはずです!」
今度は男性スタッフではなくメンバーの声だった。
声をした方を皆が注目する。
立ち上がっていたのは舞奈だった。
流石の舞奈も声が震えていた。楽曲やコンセプトの方向性にメンバーが意見を言うなどというのは異例のことだ。
他のメンバーも舞奈の言葉に顔を上げる。やはり感じていることは皆同じなのだろう。
「あら、舞奈……ならあなたは選抜を外れる?あなたには今回も1列目を任せるつもりだったのだけれど」
だが社長はニコリと微笑み、そんな反応も予想済みといわんばかりに舞奈の言葉も切って捨てた。
「な……」
勢い込んでいた舞奈もこの一言にぐっと押し黙る。
前シングルのセンターが選抜落ちするというのは前代未聞だし、舞奈には多くのファンが付いているのだ。自分の一時の感情だけで彼らを悲しませるわけにはいかない。
むしろ、ここで踏みとどまれたことにこそ舞奈の成長を見た気がした。
「じゃあ、この曲の選抜メンバーを発表するわね」
メンバー間のざわめきは未だ全く収まっていなかったが、社長は何事もないように声を張り上げた。
まずはこの曲の選抜が20人であることが告げられ、フォーメーションは1列目から5・7・8であることも発表された。1列目5人、2列目7人、3列目8人ということだ。
「じゃあ、まずはこの曲のセンターを発表するわね。センターはこの映像でも主演を務めていた小平藍。……藍、出てきて良いわよ?」
社長の声にスタジオの扉が開き藍が登場した。
藍はどこか別室に待機していたようだ。特に変わった様子もなくいつもの無表情な顔でひょこひょこと登場すると、メンバーに向かって軽く頭を下げた。
それまでざわめいていたメンバーたちは、いきなりの藍の抜擢にさらなるショックを受けたようで、今度は一気に水を打ったように静まり返った。
「もう1人、センターの隣2番に須藤琴音ね。……琴音も出てきて良いわよ」
社長の呼びかけに藍と同じ場所から琴音が登場した。琴音も藍と同じ場所に待機していたのだろう。
琴音はメンバーの前に登場すると深々と頭を下げた。その眼はすでに涙に濡れていた。彼女のWISHへの強い思い入れと、前列に立つことの重みを理解しているということの表れなのだろうか。
「4番、桜木舞奈」
「……はい!!」
舞奈が大きく返事をした。
舞奈のポジションは1列目の左から2番目。琴音とは逆側のセンターの隣だ。
もちろん絶好のポジションであることに変わりはないが、彼女は前作のセンターだっただけにそこから陥落したという見方もされてしまうだろう。
舞奈の返事は諸々の苛立ちを込めたものなのか……それとも、たとえ自分の想定通りでなくとも最善を尽くすぞ!……という決意表明の気合なのか、私にも判別が付かなかった。
1列目の発表が終わり2列目の発表に続いていた。
「9番、小田嶋麻衣」
「は、はい……」
私の名前が呼ばれた。
もう選抜に入ることもなく活動を終えてゆくのだと少し前まで思っていたわけだ。しかもポジションは2列目の真ん中、またしても裏センターと呼ばれるポジションだった。色々な感情が押し寄せて来るが、それに流されるのをグッと堪える。
琴音や藍のサポート、そして舞奈を始めとする選抜組とをつなぐ潤滑油のような役割が私には期待されているのだろう。多分それは私にしか出来ない役割だった。
そしてこの曲をラストに選抜を離れる……そんな社長からのはなむけの意味も込められたポジションのような気がした。
そして、最後に後列のメンバーが発表された。
前列に5期生2人が抜擢されたことを除けば、大きくは前作と変わらない顔ぶれだった。
「はい、じゃあ発表は以上ね。……
社長がキャプテンである高島彩里に話を振った。
「……はい、そうですね……」
相槌を打ちながら彩里はメンバーの前に歩いてきた。
ちなみに彩里自身は3列目のポジションだった。このシングルだけでなく前のシングルも、その前もそうだった。
キャプテンでありながら報われない……という声もファンの間では大きいが、彼女がその位置にいることは同時に、後列であろうとも前列と何ら変わることなく重要なポジションであることの証明でもあるだろう。
「えっと、多分私も皆と同じでとても戸惑っています。舞奈ちゃんが言ったように『これがWISHとして相応しいのか?』って言う意見もきっと沢山出て来ると思います。……でもこの曲は私たちだからやる意味があるのかな、とも思うんだよね。きっと普通のアイドルソングじゃない感動を与えられる、そんな気がします。……それに、曲が変わっても私たちがやることは変わらない。きちんとレッスンして、最大限のパフォーマンスをする。それだけなのかなと思います。まああまり意識しすぎることなく頑張りましょう」
彩里の言葉は落ち着いたいつものトーンだった。
彼女の言葉にメンバー間の空気は明らかに落ち着いた。やはり彼女にはキャプテンとして相応しいだけの器がある、と思わされた。
「彩里の言う通りよ。全ての責任は運営のトップである私が持つわ。皆はいつも通り頑張ってちょうだい」
そう言うと社長はメンバーに向かって深々と頭を下げた。
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