50話 初めての握手会③
休憩はあっという間に終わり、握手会が再開した。
それ以降も様々なファンの人がやってきた。
やはり若い男子、高校生から大学生くらいの男子が一番多かったが、女子も想像以上に多かったし30代以上のオタク歴の長そうな人も多かった。
一番嬉しかったのは、同年代くらいのOLをしているという女子が来て「本当はアイドルになるのが夢だったんだけど、自分にはムリだと思って就職した。でも麻衣ちゃんのことを知って、自分もやっぱりアイドル活動をしてみたいと本気で思った。もちろん今からWISHに入るのはムリだから、社会人をやりながら週末は地下アイドルをやろうと思う」と話してくれたことだ。
私がアイドルに転向したのは、ただただ成り行きと自分の都合だけで決めたことで、「誰かのために」なんていう殊勝な気持ちは全然なかったのだけれど……その決断が巡り巡って見知らぬ誰かに勇気を与えているかもしれないというのは、本当に不思議なことに思えた。
他にも多かったのは元・希のオタクだったという人たちだ。
WISHで一番人気だった彼女と比較されるのはおこがましいし、私は期間限定の存在なので誰か違う人を推した方が良いんじゃないか、という気もしたが、卒コンでの希の言及がそうした人たちを生んでいる……いわば希の置き土産のような存在に思えて、そうした縁は大事にしなければならないとも思った。
もうずっと握手をしていた。
立ちっぱなしだし、握る手も握力がなくなってきたような気もするし、声はとっくに
マネージャーから表舞台に立ちことを選んだのは間違いじゃなった、という気持ちが強くなってきた。
希が以前言っていた「握手会では自分のことを好きな人だけが来るのだから、エネルギーをもらっている」というのが理解出来るようになってきた。
なぜ私のような人間に興味を持ち、そして好意を持ってくれるのか……本当に不思議なことに思えた。
「あの、俺、舞奈推しなんですけど」
握手会も終盤に近付いてきた頃、1人の男性が来た。
20代後半くらいだろうか、整髪料できちんと固められた髪型と知的そうなメガネ姿に仕事の出来るサラリーマンという印象を抱いた。
「はい、ありがとうございます!」
今までも舞奈推しの人は何人か来たのだが「マネージャーとして見た舞奈の裏の顔を知りたい」という人が多かった。もちろん本当に隠さなければいけない姿については言えるはずもないので、「寝顔が可愛いですよ」とか「意外とおっちょこちょいで忘れ物が多いんです」と答えるだけでそういった人は喜んでくれた。
だが彼は少し違った。
「小田嶋さんは何故メンバーになろうと思ったんですか?小田嶋さんは希さんと同じ年齢なんですよね?これからは舞奈を始めとしたもっと若い世代に任せていくべきなんじゃないでしょうか?」
「え、いや、はい……私もそう思いますけど……」
「はい、お時間です!ありがとうございました!」
きちんとした答えを出す前に彼は剥がされていってしまった。
そんなことは分かり切っていたことだし、自分でも散々思っていたことだったけれど……誰かに面と向かって言われるとやはり少しショックだった。
(……そうだよな、何してんだろな、自分……)
今までの人たちが、あまりに無条件に応援してくれる人たちばかりだったからかもしれない。チヤホヤされて自分自身少し勘違いしていたのかもしれない。
浮かれていた心に冷や水を掛けられた気分だった。
でも批判があの程度の言葉で良かったのかもしれない、とも思った。
もっともっとチヤホヤされることに慣れて、その後にもっとヒドイ正論(正論というのは大抵は救いのないのものだ)を浴びせられていたら、耐えられなかったかもしれない。
「こんにちは~、来てくれてありがとうございます……」
次の人に向かって気持ちを切り替えなければ……ということは自分自身分かっていたのだが、そのために使える時間はあまりに短かった。
次の人と目が合う。
少し濃い色の眼鏡を掛けて短髪にパーマを掛けた一癖も二癖もありそうな……あの、その、まあ平たく言えば反社風のおじさんだった。
(……ヤバい、ごめんなさい!)
何ら謝る理由はないのだが、心の中でそう叫んでいた。
「初めまして。これからずっと麻衣さんを推していきます」
固く握られた手からは熱い意志を感じ、見た目に反しとても柔らかく聞き取りやすい言葉だった。
「……へ、あ、ありがとうございます」
「麻衣さんこそがWISHの救世主だと自分は思っています。麻衣さんがセンターに立つ姿を自分は夢見ていますので」
それだけ言うと彼は自ら握っていた手を離し、出口へと進んだ。
そのあまりに出来過ぎた振る舞いは……むしろやはり本物(反社)の方なのではないか、と思えた。
……色んな人がいるし、色んな風に私は見られているのだな、と改めて思った。
「ふううぅぅぅ~、おつかれ~、麻衣ちゃん!……本当によくがんばったよねぇえ、うんうん!私はそう思うのであります!」
何とか
……別に今の私は酔っぱらっているわけではない。
家に帰り、湯舟に浸かった途端に思わずそうした声が出てきてしまっただけのことだ。お風呂は心の洗濯と言うように、身体と共に心をもリラックスさせる効果があるようだ。
既に様々な仕事を経験していたわけだが、今日が一番疲労を感じたし、一番充実感も覚えていた。アイドルという存在はファンがいなければ成り立たないわけで、直接彼らの声を聞くというのはやはり特別な機会なのだと思う。
心配していた男性恐怖症の症状は出なかった。ストレスを感じた瞬間がなかったわけではないが、それを上回る緊張感だったり高揚感だったりが勝っていたような気がする。
……それとも症状が出ていたのが転生当初だけだったことを考えると、落ち着いて定着した魂には無縁の症状なのだろうか?……いや、もちろん本当のことは確かめようがないのだけれど。
まとめサイトで散々気持ち悪い発言をしていた特殊な人たちは一切その姿を見せなかった。彼らは一体何なのだろう?botなのだろうか?
やはり掲示板に書き込むような人間は野次馬的なファンで、本当に応援してくれている人たちはああいったゴミ箱みたいな場所に書き込むことはないのだろう。まあ、私自身がああいった類のものを見に行くことや、SNSでエゴサをすることは今後もうないだろう。
そんなことに煩わされるよりも、今日顔を見せてくれたファンのためにアイドルとして出来る限りのことはしていきたい、彼らが喜んでいる顔を見てみたいと思った。
……いや待て待て。
……これは順調にアイドルとしての心構えを実地教育されていってないか?
……大丈夫かな?半年で卒業できるんだよね、私?
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