40話 初めてのスタジオ

「みんな、ちょっと集まってくれる?新しいメンバーを紹介するから!」


 それから1週間後、私は社長とともにメンバーがリハーサルを行っているスタジオに来ていた。


「新メンバー?こんな時期に?」

「オーディションなんて最近やってなかったよね?」

「っていうか、誰もいないけど?」

「どっかから登場してくるんじゃない?」


 社長の声に集まってきたメンバーたちは不思議そうな顔をしていた。

 それはそうだ。

 社長が居て、その隣には私が居て……つまり社長とマネージャーがスタジオでレッスンを見ているという、いつもの光景だったからだ。


「ほら、麻衣」


 社長にお尻をチョンチョンと触られて、仕方なく覚悟を決める。

 ……出来れば最初は社長の方から経緯を説明して欲しかったのですが。


「……えと、その、実は今度メンバーとしてステージに立たせていただくことになりました。小田嶋麻衣です!……マネージャーとしてやってきた私なんかが、皆さんと同じ場所に立たせていただくなんて本当におこがましいかと思うのですが、これはあくまで一時的…………」

「え~!麻衣さん入るの!?」「え、マジで!?マジで入るの?」


 緊張で震える声は、メンバーたちの歓声にかき消されてしまった。


「え?すごい嬉しいんですけど!」

「ね、麻衣ちゃんだったら大歓迎だよね!」




 いやいやいや、おかしくないですか?あなたたち!

 マネージャーがアイドルに加入するっていう異常事態をなぜそんなに自然に受け止められるんですか!?

 国民的アイドルとしての自覚を少しは持ってですね!……などと言う間もなく私を取り囲むようにメンバーが集まってきては、わちゃわちゃとし始めた。




 ふと、私を取り囲む輪の一番外側にいた黒木希と目が合う。

 外仕事は相変わらず忙しく、さらに卒業を発表したことで、現在はどこからも引っ張りだこの状態のはずだ。「WISHの黒木希」という存在はあと2週間ほどでいなくなってしまうのだ。卒業特需とでも言う時期だろうか。

 それでも今ここに居るということは、それだけこのリハーサルが優先すべき仕事だという判断なのだろう。


 希はいつも通りにこやかにしていたけれど、何か含みのある表情に見えた。

 以前何度も見た表情だったから、俺にはピンと来たのだ。


「あの、希さん?……あくまでネタというかファンサービスというかですね……半年間だけの話題提供のための加入ですので、ご容赦下さい」


「ふ~ん、そうなんだ。そんなつもりで活動するんだ?」


「え?や、もちろん皆さんの足を引っ張らないように全力を尽くしますけど……」


「ね?そりゃあそうよね、WISHの名に泥を塗るわけにはいかないわよね、麻衣ちゃん?死ぬ気で頑張ってね!……ほら、皆も麻衣ちゃんに負けないように頑張ろ!」


 ……希さん、にこやかに『死ぬ気で』とかあんま言わないで下さい。マジで。怖いから。誰よりも努力しているあなたにそれを言われては、本当に死ぬ気でやらなきゃいけなくなってしまうじゃないですか!

 しかし希の一言で、キャッキャウフフとしていた場の空気が一変したのは確かだった。

 

「じゃあ、そういうことでお願いね。麻衣、頑張るのよ!」


 その変化に満足気に頷くと、社長はスタジオからそそくさと出ていった。

 いや、あの、社長が経緯を一から説明してくれれば、もう少しスムーズに物事が進んだと思うんですけど……まあ、結果的に希が一言言ったことで、より空気は引き締まったのかもしれないですけど、そこまで計算してたわけじゃないですよね?ただただ面倒な説明を自分ですることを避けただけですよね?

 もちろんそんなことを言えるはずもなく、社長が出ていくのを見送った。




「は〜い、じゃあレッスン再開しましょう!小田嶋さんが入るということでフォーメーションが少し変更になります……」


 振り付けのMAKINO先生の一言で雑談はピタリと止んだ。

 本番である希と香織の卒業コンサートまでもう2週間ほどしかないし、全体で行えるリハーサルは数えるほどなのだ。

 ここ一番で集中する能力は、皆若いとはいえ流石プロだ。


「小田嶋さんどうします?一度全体を見学してから入りますか?」


「あ、いえ、良ければ最初から入らせていただきたいです」


 私の返答に、少しどよめく雰囲気が伝わって来る。

 実は社長から加入を申し付けられてからのこの1週間、MAKINO先生とマンツーマンでダンスレッスンに励んでいたのだ。

 もちろん未経験者である私が2時間強に渡るコンサートすべてに出演する……というのは現実的に考えて無理である。

 私がステージに立つのはアンコールの3曲だけの予定だった。

 希と香織というWISHの2大エースが卒業して一つの時代が終わる……その雰囲気を塗り替えるため、一種の混沌・何が起こるか分からない次の時代を予感させる……そんな演出の意図として私が登場することになっていたのだ。


「分かりました、じゃあとりあえず一度通してやってみましょう。細かい修正はその後で。じゃあ、曲お願いします!」


 MAKINO先生が音響スタッフに合図を送り、音響さんが機材のスイッチを入れ曲前の4カウントがスタジオに響いた。

 一瞬の静寂。この時が一番緊張した瞬間かもしれない。






「は~い、じゃあ一度休憩しましょう!」


 MAKINO先生の声で、張り詰めていたスタジオ内の空気が一気に弛緩する。

 もちろん事前に個人練習はしていたのだけれど、ダンスは他のメンバーと呼吸を合わせなければいけないし、移動のタイミング、動線や位置取りなど、全体練習になって初めて経験する部分も多く不安も大きかった。

 けれど意外なほどスムーズに身体は動いたし、周りも落ち着いて見ることが出来た。自分の身体が身体じゃないみたいな感覚だった。


「え、麻衣さんスゴイですね!」

「普通に出来てるし、このまま本番でも大丈夫なんじゃない?」

「元々ダンスはやってたんですか?」


 アイドルたちの、それも日本でトップアイドルたちのキラキラした笑顔は眩しすぎて……ちょっと直視するに耐えなかった。

 マネージャーとしてもう3年間、毎日一緒にいるのだからとっくに慣れ切っているはずだと思っていたのだけれど……自分がその中心で注目を集めるという状況は想定になかった。


「や、あの一応……1週間前から毎日練習はしてたので……」


 私の反応にもメンバーたちは、「え、1週間であんなに踊れるの?」「才能あるんじゃない?」などと、さらに褒めてくれた。

 もう良いから!……褒め殺しか?と穿った見方を思わずしたくもなってしまうのだけれど、彼女たちが本心で褒めてくれているのが分かるから、それを遮るのも申し訳なくなってしまう。


 分かっていたことだけれど、皆本当に性格まで良い。

 ……いや、性格が良いなんていう雑な言葉で括ってしまうのが申し訳ないくらいに育ちが良い。……いや、育ちが良いという言葉も少し僻みの入った言葉かもしれないけれど。

 本人たちは恐らく否定するだろうが、皆本当に良家のお嬢様ばかりだ。捻くれた性格に育ってしまった前世の俺からすれば信じ難い存在ばかりだ。

 ご両親の愛を一杯に受けて育ち、周囲からも愛されて育ち、愛に対して愛を真っ直ぐ返す……そんな善意のリレーを今まで一度も疑ったことのないような子たちばかりなのだ。

 もちろんメンバーは皆ルックスも最高に可愛いけれど、内面も本当に綺麗な子たちばかりだった。実際にマネージャーとして内部に入って一番驚いたのはむしろこちらの部分だった。




「…………」


 ふと、そんなメンバーたちとは異なった雰囲気の視線を感じた。

 桜木舞奈だった。

 どこか不機嫌な表情に見えた。


「……麻衣さん、いつから隠れてレッスンなんてやってたんですか?まったく……」


「や、本当に1週間前からよ?……希さんと香織さんの卒業コンサートでサプライズを、って急遽社長に言われて……。舞奈ちゃんは私が入るのが嫌なの?」


 不思議なもので少し不機嫌な彼女に対しては、落ち着いて自然に話せた。


「イヤです!……ホントは嫌じゃないですけど。……でも皆、危機感が無さ過ぎません?麻衣さんなんかが加入することで話題を持っていかれて良いんですかね?希さんと香織さんが卒業されるタイミングで『今こそ自分が!』って前に出るくらいの気持ちが無くて、WISHは大丈夫なんですかね?……私はむしろそっちの方が不安です!」


 舞奈の言葉はアイドルとしてあまりに真っ当なもので、いつの間に彼女がここまで成長したのかと……嬉しくて少し感動しそうになってしまった。


「そうね、本当にそうね……。ありがとうね、舞奈ちゃん」


「……なんで感謝されなくちゃいけないんですか、まったく!とにかく私は負けませんからね!」


 そう言うと舞奈は立ち上がりスタジオの出口に早足で向かっていった。


「あ、どこ行くの舞奈!?」


 驚いて思わず声を掛ける。


「お花を摘みに行ってくるんです!こんなこと言わせないで下さい、アイドルに!」


 舞奈は振り返りもせず答えた。




 それから5分後、再びレッスンが再開した。






「……イタ、イタタタ……」


「どうしたの麻衣?大丈夫?」


 3メートル先のデスクで仕事をしていた社長が、心配そうな表情で顔を上げた。独り言のつもりだったが思ったよりもボリュームが大きくなってしまっていたようだ。


「あ、いえ……少しふくらはぎが吊っただけです。あはは……」

 

 笑って誤魔化すと社長もそれに応えるように苦笑した。


 午前中にレッスンを終えると私は事務所に戻り、溜まっていた事務仕事に戻った。

 2週間後のステージに立つことは決まったものの、それは世間にはまだ公表されていない。ダンスレッスン以外に何かアイドルとしての仕事があるわけでもないので(もちろんそれを積極的にやっていこうというつもりもないのだけれど)、こうしてマネージャーとしての仕事に戻っていたわけだ。


「あの、今さらですけど、皆タフですね……」


 私がレッスンに参加していたのは、正味1時間半ほどだったと思う。

 本番では3曲しか参加しないわけだからそれでも多いくらいだったけれど、当然他のメンバーはその後もリハーサルを続けていた。

 夕方からは別の仕事に出ていったメンバーも多い。

 でも誰一人「疲れた」なんて言葉は出さなかったし、笑顔で楽しんでいるようだった。


「あら、今さら気付いたの?」

 

 社長が自慢気な笑みを浮かべていた。

 アイドル活動のまだほんの一端に触れただけだけれど、今さらになってその凄さを少しだけ体感できたような気がした。


「皆、自慢の娘みたいな存在よ。……いえ、私の娘なんて言うのはおこがましいわよね。本当に尊敬すべき子たちよ。彼女たちよりずっと大人であるはずの私の方が教えられてばかりだわ……」


 照れ隠しのように社長はポツリと呟いた。



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