39話 小田嶋麻衣は煮え切らない
「WISHのメンバーとしてステージに立ちなさい!」
「え、や、冗談ですよね?あははは!……」
反射的に笑って返していたが、もちろん社長が冗談を言っているのでないことは分かっていた。まとめサイトを見せてきたのもそういった話の流れに決まっている。
「あのね麻衣、分かっているとは思うけど……希と香織が同時に卒業したタイミングでWISHの人気が一気に落ちる可能性があるわ。そして人気というものは目に見えて落ちてきてからテコ入れをしても遅いのよ。一度他のグループに移っていったファンの人たちが、戻ってくる可能性は限りなく低いわ……」
「だからって……なんで私がメンバーとして加入するんですか?ムチャクチャです!話がぶっ飛び過ぎていますよ!」
「どこがムチャクチャなのよ?ルックスは抜群。ステージをずっと近くで見続けてきた。メンバーもあなたのことが大好き。ファンの人もあなたのことを待っている。……どこからどう見ても適任だと思うけれど?」
「いや、あの、3ちゃんねるなんてトイレの落書きみたいなものですからね?社長があんなものを真に受けてどうするんですか!」
「そうかしら?たしかに匿名の掲示板ではあるけれど、あの意見は説得力のあるものだと思ったからこうして提案をしているのよ?……ねえ、あなたがそこまで嫌がるなら、半年だけでもお願いできないかしら?希と香織の卒業コンサートでお披露目。そこから半年間だけの期間限定の活動というのでどうかしら?」
「……え、いや、でもそれは……」
絶対に断ろうと決めていたはずだが、社長の妥協案に思わず心は揺らいだ。
それは……多分本当はステージに立つことが、嫌ではないからだ。
いや……嘘だ。
ずっとそれを想像していたのだ。
自分がステージに立つことを考えない日はなかった。
「WISHのために人生を捧げる」という言葉は、メンバーとしてステージに立って叶えるものだと、転生してしばらくは当然そう思っていた。
WISHへの注目も最初はそうした視点からだった。
映像では自然と振り付けに注目していたし、曲も歌詞を覚えながら聴いていた。部屋の鏡の前で踊ってみたこともあったし、表情も意識してみた。
あの子とあの子は仲が良いんだな……とかメンバー同士の関係にも注目していたのは、その輪の中にどうやって入っていくのだろう?自分ならその中でどんな役割を果たすことが出来るだろう?……そんなことを無意識のうちに考えていたのかもしれない。
結局男性恐怖症が発覚して自分がアイドルになることは諦めたわけだが、マネージャーになってからもそういった視点が常にあったことは認めざるを得ない。
だから黒木希の信じられないストイックさに余計に驚かされたし、若いのにヘソを曲げてしまっている桜木舞奈のようなメンバーには歯痒い思いが余計に募った。
他にも今まで担当してきたメンバーに愛情を持って接してこれたのは、ステージに立つ彼女たちにどこか自分を投影していたからなのかもしれない。
マネージャーになってから2年と少し。俺はずっとステージに立つ彼女たちに憧れながら、見守ってきたということなのかもしれない。
だけど……
「社長……やっぱり私には無理です。ステージに上がることは出来ません」
「……それは、なぜ?」
社長の反問の声は驚くほど優しいものだった。
「私にはその覚悟が出来ていないからです。……それなのにメンバーと同じステージに立つなんてことは出来ません。メンバーに申し訳ないです」
客観的に見て、私のルックスはWISHという国民的グループに入っても遜色ないものだろう。
それに加え、2年以上彼女たちの一番近くでそのステージを見てきたのだ。長時間に渡るリハーサルにも付き合ってきた。
小田嶋麻衣の身体は運動神経も物覚えも悪くない。練習する時間を少し取れば、ある程度のレベルのパフォーマンスは披露出来るようになるだろう。
だけど一つだけ、どうしても圧倒的に足りないものが私にはあった。
それはステージに立つ覚悟だった。
今まで様々な個性を持ったメンバーをマネージャーとして担当してきた。
皆が希のような完璧な存在だったわけではない。若いメンバーは未熟な面も多くどこかヒヤヒヤさせられた。
でも皆、ステージに立つことを楽しんでいた。
それはアイドルとして当然のことのように思えるかもしれないけれど、実はそんなに簡単なことではない。憧れていたグループに加入して、前から好きだったヒット曲を憧れの先輩たちと踊れてラッキー……と言えるほど単純なものではない。
そこには常に恐怖が付き纏う。
自分のミスでステージを壊してしまうかもしれない怖さは、真面目な人間ほど強くのしかかって来る。
誰か見ず知らずのファンに批判されるかもしれない怖さは、昨今とても強くなっている。どんな角度から批判されるのか予想も付かない場合も多い。
常に誰かに見られているかもしれないという怖さはプライベートでも常に付き纏う。
アイドルになるとはそういうことなのだ。
マネージャーとして間近で見守ってきたからこそ、それを乗り越えステージに立つ彼女たちには尊敬が増してゆくばかりだった。
私は彼女たちとは決定的に違うのだ。
それに……
「社長、恥ずかしい話なんですけど、私は男性恐怖症なんです。男の人と握手をするどころか1メートル以内に近付くと、それだけで気分が悪くなって……一度倒れてしまったこともあるんです」
「あら、そうなの?別に握手会が難しければ、ステージでパフォーマンスをするだけでも良いけれど……その倒れたのはいつのことなの?」
「えっと……高2の時でした」
高校時代の親友、神崎優里奈の顔と、突然路上で告白してきた名も無きイケメンの映像が頭の中に浮かんできた。
「あら、じゃあもう治っているんじゃないの?だってあなた、握手会でチケットの受け渡しも、荷物の整理も普通にしていたじゃない?」
「え?あ、たしかに……」
握手会では男性ファンと1メートル以内どころか、チケットの受け渡しで軽く手が触れることもあった。仕事だという緊張感からか今の今まで意識もしなかったが……。
ウチの会社のマネージャー陣は女性ばかりだが、その他の現場では男性スタッフと関わることも当然ある。仕事としての緊張感が上回り特に症状が出るヒマもなかった、ということなのだろうか?
(……え、じゃあ男性恐怖症はいつの間にか克服してたってこと?)
愕然としかけたが、それすらも今は自分のステージに立つ覚悟の無さを裏付けるものにしか思えなかった。
WISHのメンバーになりたいと本気で思っていたならば、男性恐怖症も克服できていた可能性があったということだ。少なくとも高校生・大学生の当時、医者に行って相談したりはしなかった。ただ出て来る症状を見て「これは治らない!」と自分で勝手に判断していただけだ。
(結局、お前は自分で楽な道を選んだだけなんだろ?何だかんだ理由を付けて、楽な方に逃げたんだよ!)
不意にそんな声が聞こえ、目の前が真っ暗になりかけた。
生まれ変わっても自分を変えられないなら……なぜ神様は生まれ変わらせたのだろう!
「麻衣?……大丈夫よ。気負い過ぎることはないわ。覚悟とか気持ちなんて、最初は誰も持っていないものよ。何度もあの場所に立つうちに、気付いたらいつの間にか身に付いているものなんじゃない?」
社長が再び声をかけて呼び戻してくれた。
優しく落ち着いた声だった。
「麻衣……それに、これはあなたにしか出来ないことなのよ。これからもWISHは続いていくわ。可愛い子も個性を持った子もいっぱい加入してくれると思う。……でもそれだけじゃダメなのよ。新曲をリリースして、プロモーションをして、その他様々な方面でメンバー個々が活動する。オーディションによって新人が入り、時期が来たメンバーは卒業してゆく……それをルーティンにしているだけではダメなのよ。同じことをずっと続けているだけではWISHの人気は少しずつ落ちてゆくわ」
「……ええ。そうかもしれませんね」
社長の言うことは何となく理解出来た。
「アイドルなんて回遊魚みたいなものなのよ。必死で泳ぎ続けないと沈んでいってしまう。……だからあなたの存在なのよ。元マネージャーのアイドルなんて他にいないでしょ?あなたが入れば間違いなく大きな話題になるわ。こんなことが出来るのはあなた以外いないのよ!」
「……それは、そうかもしれませんけど……」
「メンバーへの刺激にもきっとなるわ。あなたがメンバーとして活動する半年の間に私は必ず次の手を打ってWISHをさらに大きくして見せるわ。だから、力を貸して欲しいの。この経験はきっとあなた自身のためにもなるわ!」
「…………」
「もちろん、それでもあなたがやりたくないと言うのなら無理強いは出来ないわ。やる気のない人間が同じステージに立つなんて、他のメンバーからしたら邪魔でしかないでしょうしね。……麻衣、あなたはどうしたいの?」
どうしたい?
俺はどうしたいのだろう?
(「馬鹿野郎、松島!お客さん、お客さんじゃなくて、お前はどうしたいんだよ?お前がはっきりしないから周りがみんな迷惑してるんだろ!」)
不意にフラッシュバックしてきた。
前世の松島寛太の時の会社の上司のものだった。
周囲とのコミュニケーションが上手くいかなかった最大の理由は、俺が自分の意志をはっきりと伝えられなかったからだ。
(大馬鹿野郎か、お前は!!!)
再び頭の中に声が響いた。
他の誰のものでもない、これは俺自身の声だ。
一体何のために転生してきたんだ、お前は!
流されるまま生きてきて良かったことが一度でもあったか?
無かったから死ぬ時あれだけ後悔したんじゃないのか?
松島寛太・小田嶋麻衣という2人分の人生を生きてきて、何も学べていないじゃないかよ!生まれ変わった意味を何も見出せていないじゃないか!
こんなにも恵まれた環境にあって、恵まれた素質があって、何を躊躇しているのだろう。
本心はとっくに答えを出していた。
「分かりました。やってみます!私……本当はずっとステージに立ちたかったんです!」
これからどんなことが待っているのか、不安よりも大きな期待に胸は高鳴っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます