31話 握手会での出来事

 だが残念ながらその時感じた違和感は、徐々に大きくなっていった。


 最初の場面はアンダーメンバーでのリハーサルの時だった。

 WISHの活動は『選抜』と『アンダー』とに分けられることが多い。

 シングルの表題曲を歌い音楽番組などにも出演するのが『選抜』。そうでないメンバーが『アンダー』である。言ってしまえば1軍と2軍とに分かれている、というイメージだ。


 だがアンダーメンバーがまったく陽の目を見ないか、というとそうではない。

 WISHがこれだけ人気のグループになった以上、アンダーメンバーでも個人仕事の多いメンバーはいるし、アンダーメンバーだけのライブも開催されるのだ。

 そのアンダーライブでの練習での時だった。


「ちょっと、そこ。さっきから同じところでぶつかってるよ!」


 ダンスの先生からの指摘が入る。

 原因は舞奈だった。

 舞奈は加入前から習っていたこともあり、ダンスのレベルは高い。

 少し前の場面では、少人数で前に出てセクシーな振り付けを踊る見せ場のシーンがあったのだが、そこでは息を吞むような華麗な動きを見せていた。

 だけど全体でただ移動をするシーンでは、動線を覚えていないのか、あるいは周囲と呼吸が合わないのか、ぶつかってしまうのだった。


「ごめんね~、ちょっとミスっちゃった!」


 何度か練習を重ね問題はすぐに解決した。

 一段落した段階で舞奈は迷惑を掛けた周囲のメンバーに謝っていた。


「全然、大丈夫だよ!でも、舞奈ちゃんでも間違えることあるんだね」


 謝られたメンバーの1人が純粋に驚いた様子で舞奈に応えていた。

 WISHのメンバーは露骨に育ちの多い良家の娘さんたちが多い。レッスンの場もお嬢様女子高校のような雰囲気である。もちろんダンスの先生たちが何人も指導に入りレッスン自体はしっかりと行われているのだが、体育会系のビシバシとした雰囲気とは真逆である。

 そのため、直接迷惑を掛けられたメンバーも舞奈を責める様子は全くなかった。


「そうなんだよね、ちょっと最近歌の練習ばかりに力を入れててさ」


「あ、そうなんだ!最近舞奈ちゃん歌上手くなったよね?」


「え、本当?めっちゃ嬉しいんだけど!」


 その後はメンバー同士のわちゃわちゃした雑談になっていったし、練習が再開してからの舞奈は真面目に取り組み、特に大きなミスもなくこなしていった。


(……まあすぐに修正したんだし、本人が言う通り歌に力を入れていたために起きたミスかな……)


 そう思い俺はそのことに関してはそれ以上注意はしなかった。

 アンダーでのライブも日が迫っていたし、彼女のモチベーションを下げるようなことになってもいけない、と思ったのだ。




 だが、次に訪れた出来事に俺は思わず首を捻った。

 それは握手会での出来事だった。

 WISHの握手会は2人のメンバーが一組のペアとなり、お客さん1人当たり10秒程度の握手をして軽くメンバーと会話が出来る……というものである。お客さんはCDに付いている握手券を持ってくると、1枚につきメンバー2人と握手が出来る……というものだ。

 この制度が考案されてからかなりの年月が経っているが、握手会というものは未だに絶大な人気を持っている。普段画面越しにしか見られないメンバーを生で見られる機会というのはほとんどないし、しかも握手をして会話まで出来るのである。

 何より生で接するメンバーというのは圧倒的に可愛い。普段バラエティではいじられキャラとして扱われているメンバーも生で見ると、「ああ、ちゃんとアイドルなんだな!」と印象が変わることも多いという。

 お目当てのメンバーによっては、お客さんは何時間も待ってほんの10秒握手が出来るだけなのだが、それでもその一瞬の喜びを求めてCDをまた買い求めてしまうのだ。


 ただお客さんにとってはとても嬉しいこのイベントだが、メンバーにとっては中々大変な仕事である。ずっとお客さんと握手をして、笑顔で接し続けなければならないわけだ。人気メンバーになると1日8時間以上も握手をし続けなければならない。

 お客さんも色々なお客さんがいる。若くて可愛い女の子が来ることももちろんあるが、割合で言えば少数だ。

 その……多くは語らないが、如何にもなドルオタの方々も多い。

 もちろんほとんどのお客さんは、身だしなみやマナーにも最大限注意を払って来てくれる人たちばかりだが、それでもメンバーにとっては肉体的にも精神的にも負担の大きい仕事である。


 その日、舞奈は先輩メンバーの高木由真奈たかぎゆまなとペアで握手会を行っていた。

 最初はいつもの調子で誰に対しても元気よく明るく接していた。

 ちなみにマネージャーも握手会では、雑用などが多いのでメンバーの近くでスタンバイしていることが多い。

 そして事件は起こった。

 とある一人のファンの人が入ってきた。


「由真奈ちゃん、今日もめちゃくちゃ可愛いね~」


「あ、アキさん!今日も来てくれてありがとうございます~」


 先輩メンバーである由真奈ちゃんのオタクの人だったようだ。

 由真奈ちゃんもその人のことを認知しており、親し気な会話が何ターンか行われた。


「ありがとうございます!お時間です!」


 だが一回の握手の時間は10秒程度だ。すぐに『剥がし』と呼ばれる男性スタッフによって(肩を掴まれ半ば強制的に)、誘導される。

 次は舞奈の番だった。


「どうも初めまして!由真奈さんのファンの方ですか?」


 その人が自分のファンではなく先輩メンバーである由真奈目当てでこのレーンに並んだことを理解して、その上で自分のことも知ってもらおうという……いわば下手に出た上で自分のことも売り込もうとする、中々立派な姿勢だったと思う。

 実際それほど興味のなかったメンバーでも、こうした直接の接触によって「釣られる」という例は結構多い。握手会でのこうした対応によって人気を獲得していったメンバーもいるのである。

 だが、残念ながらこの人には通用しなかったようだ。


「あ、俺、由真奈ちゃん以外とは握手しないんで」


 あろうことか、舞奈をスルーしてレーンを出ていったのである。


 こうした事例は、多くはないがたまにある。

 本人の意図としては「一途であることを示して、より推しメンの気を惹こう!」というつもりかもしれないが、普通に推しメンに対してもマイナスイメージでしかないのでやめた方が良いですよ!


 その後、舞奈は一気に握手会に対するモチベーションを失っていった。

 挨拶は小さく覇気のないものになっていったし、笑顔もぎこちないものになっていった。

 ショックな出来事に元気を失ったというよりも、「何でこんなことをしているのだろう?」というような表情だった。

 もちろんきっかけは向こうからやってきたもので、舞奈に落ち度はない。

 だがこうした出来事は往々にしてあるものなのだ。

 こうした時にどう対応するかで、人気メンバーになれるかどうかの節目となる場合も多い。




「ねえ、舞奈?……あの由真奈ちゃんだけに握手していったお客さんのことは残念だけど、あの後はもう少し握手頑張れなかったかな?……舞奈にとっては何百人のうちの1人との握手かもしれないけど、お客さんにとっては時間もお金も使ってわざわざ舞奈との10秒間を楽しみにしてきてくれてるんだよ?」


 時間が経てば舞奈のモチベーションも復活してゆくかと思っていたが、残念ながらこの日最後まで雑な対応が戻ることはなかった。

 握手会が終了して、帰りの車に乗り込んだ時、俺はそう声を掛けざるを得なかった。「希さんはずっと誰に対しても全力だったよ」という言葉が喉元まで出かかっていたが、ここで比較しても舞奈を前向きにさせることは出来ないだろうと思い、その言葉は胸元に押し込んでおいた。


「いやぁ、そんなことないでしょ?みんな由真奈さん目当てだったでしょ?」


 いつもみたいに「そうですね、次頑張ります!」と明るく言ってくれると思っていた。予想だにしなかった舞奈の言葉に、ショックを受け俺は目の前が真っ暗になりかけた。



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