30話 あれ、舞奈って大丈夫かな?
「おはよう、昨日は歌の練習出来た?」
「あ、麻衣さんおはようございます。あの後3人にみっちりしごかれちゃいましたよ~。『基本がなってない!』って言われて、2時間くらいひたすら基礎練習みたいなことをしてました。でも、そのおかげで自分でも声は出るようになったと思います」
「そっか、じゃあ次のレコーディングが楽しみだね!」
アイドルは歌って踊るのが一番メインの仕事……と言えそうだが、WISHのような大人数のグループの場合、歌の上手さがそれほど評価につながるわけでもないのが難しいところだ。ライブでも大人数で歌うことが多いから歌唱力は伝わりにくいし、そもそもWISHの曲に抜群の歌唱力が必要かと言うと、そうでもないだろう。
誤解して欲しくないのは、WISHが音楽で勝負していない・音楽に力を入れていない……というわけではない。全然ない。むしろ逆だ。
WISHの楽曲は、多数のプロの作曲家たちのコンペを勝ち上がってきた曲ばかりだ。シングル曲などは時に1000を超える楽曲の中から選ばれる。いわば楽曲のオーディションだ。
そこからプロのミュージシャン、アレンジャーやエンジニアといった音のプロたちの手を経た上に彼女たちの歌声は乗るのだ。プロっぽくない歌声でも聴いた人の心を打つために最大限の労力が注がれている……というのは過言でも何でもない。
実際ファンの中には「曲をたまたま聴いて惹かれました」という人が意外と多い。歌唱力だけが必ずしも人の心を打つわけではないと思う。
ただ、大勢の歌唱の中の一人であるという構図は変えようがない。
舞奈が歌の練習を頑張って多少歌が上手くなったところで、彼女の序列が一気に上がることは恐らくないだろう。
だけどもちろん頑張りは無駄ではない。彼女の変化に気付く人間は少ないかもしれないが間違いなくいる。それはコアな彼女のファンかもしれないし、私たちのような身近なスタッフかもしれない。頑張りが伝わって来る人間は誰もが応援したくなるものだ。
「あ、そうだ!麻衣さん聞いて下さいよ~」
「なに?ずっと聞いているわよ」
すり寄ってくる彼女の声がとても心地よかった。この娘は天性の人たらしなのだろう。
「今日わたし、男の子からまた告白されちゃったんですよ~。今月に入って2人目ですよ?まいっちゃいますよ~」
「…………え?」
天気の話でもするかのようにあっけらかんと言い放った彼女の言葉に、俺は絶句した。
「まあ、勘違いさせちゃったわたしの態度が悪かったかもですけど……何人かで遊んだことがあるだけで告白してくるとか、あり得ないですよね?麻衣さんどう思います?」
「ちょ、ちょっと待って!舞奈!あのね……」
「どうしたんですか?麻衣さん、急に大きな声出して?」
舞奈は実に不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。
そこに何の悪びれもないことが俺を混乱させ、何と言うべきか……次の言葉が出て来なかった。
「……何人かで遊んだことがある男の子から告白されたのね?」
「そうですよ、2、3回みんなで遊びに行ったことがあるくらいで、いきなり告白してきて、それでオッケーもらえると思ったんですかね?もちろんその男の子のことは嫌いじゃないですけど、もうちょっと順番っていうか……」
「ちょっと待って!舞奈はよく男の子たちとも遊びに行ってるってことなの?」
珍しく語気を荒げた俺に対して、舞奈が目をぱちくりさせている。
「よく……ってほどでもないと思いますよ?レッスンもありますし、女子だけで遊びに行くことも多いですし、週1も行かないと思いますよ」
……昨日のことはたまたまじゃなかったってことか……。
まあそうだよな。普通に考えて、初めて男子とカラオケに行く機会に俺がたまたま行ってバッティングしたとは考えにくい。普段からああやって遊びに行っていると考える方が自然だよな。
何でそんな当然のことに気付かなかったんだろう?
「舞奈、あのね?……昨日も言ったけど、もしファンの人がそういう場で舞奈を見かけたらどう思うか考えて欲しいの。あなたに他意がないことを私は理解しているけど……」
「それなんですよ!」
今度は舞奈が声を大きくした。
「わたしも、あの後麻衣さんに言われたことを考えてみたんですよ。……麻衣さん根本的なことを見落としてません?」
「……え?何、根本的なことって?」
舞奈の口調にドキリとさせられた。
「わたしのファンなんてほんの少数なんですから、ファンに見つかる可能性なんて1%もなくないですか?麻衣さんの言っていることは、選抜の皆さんだったら当てはまることかもしれないけど、私みたいな不人気メンには全然当てはまらないことですよね?」
何を言い出すかと思ったら……そんなことか。
あまりの彼女の言い分に思わず俺は絶句してした。
舞奈はたしかにWISHの中で人気上位のメンバーとは言えない。
要因は色々とあるのかもしれないが、俺にはその理由は分からない。アイドルの人気の傾向を完璧に掴める運営なんて存在しないだろう。オタクの趣味というのは非常に繊細で読みにくい部分があるのだ。
一つ確かな要因を上げるとするならば、舞奈が3期生でまだ加入してそれほど経っていない、という点だろう。苦労をしてきた1、2期生のメンバーの方が比較的人気は高い。
「……いや、なにも舞奈の直接のファンの人だけじゃなくて、他のメンバーのファンの人だって舞奈のことに気付くかもしれないじゃない?WISHには箱推しのファンの人も多いんだから、自分が誰からも認知されていない、みたいな考え方はおかしいんじゃないかな?」
なるべく気を遣って言葉を選んだつもりだったが、どうしてもキツイ言い方になってしまったかもしれない。
でも言うべきことはきちんと伝えないと、マネージャーや周りの大人たちが存在する意味がなくなってしまう。
しっかりしているように見えても彼女はまだ高校生で、いわばまだ子供なのだ。
舞奈は俺の言葉に、例によって何度か目をぱちくりと
「……そっか、そうですね。麻衣さんの言う通りですね。わたしのことを見て『桜木舞奈がああやって男子と遊んでるってことは、他のWISHのメンバーも同じように遊んでるに違いない!』って思っちゃうかもしれないですもんね……」
「……そうね、見た人に事情を説明することは出来ないからね……」
舞奈は露骨に肩を落として涙ぐんでいた。
「……わたしが間違っていました。わたし自身のことはともかく先輩や他のメンバーに迷惑を掛けることは絶対にダメですね。次からは気を付けます。本当にすみませんでした」
そういうと彼女は殊勝に頭を下げた。
まったく……考えが深いのか、浅いのか、しっかりしているんだか滅茶苦茶なんだか……最近の子は。……いや、最近の子というよりも舞奈が独特なんだと思いたいけれど……
何となくしこりが残ったような、気持ちの悪い違和感をその時俺は感じた。
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