16話 えへ……麻衣ちゃんの匂いだ
結局『密着大陸』の同行撮影は2週間で終わった。
人によっては密着は数か月に及ぶと聞いていたので少し拍子抜けしたような気持ちだったが、アイドルとしての彼女だけでなく、モデル、タレント……という複数の顔を持っていただけに「短い撮影期間でも番組を成立させるだけの素材が充分に揃った」という判断のようだった。
放送もそれからすぐにされ、反響は大きかった。反響は好意的なものばかりだった。
「飾らない姿がとても好感が持てる」
「裏でも時間を見つけては練習して、どんだけ努力家なのよ」
「メンバー同士が本当に仲良さそうで安心した」
という声が多かったようで、運営側としては一安心といったところだろうか。
もちろん批判的なコメントもあったが全体的に見れば圧倒的少数だったし、「あまりに完璧すぎて人間味を感じない」とか「どこがドキュメンタリーだよ、台本ありでやってんだろ」とかムリヤリ揚げ足を取ろうとしたものばかりで、的外れ感は拭えなかった。
「今日って、あと何があるんだっけ?」
「あ、はい……今日はこのあとコメント取りが2本で……それで終わりですね」
「あ、そっか。じゃあ今日は早い時間に帰れそうね」
「ええ、久しぶりにゆっくりして下さい」
密着ロケが放送されてから3日後のことだった。
未だ彼女に対する仕事はひっきりなしに来るのだが、今日は比較的早く終われそうなスケジュールだった。恐らく午後2時頃にはオフになるのではないだろうか。俺自身は事務所に戻ってしなければならない仕事が少し残っていたが、それもさして時間は掛からないはずだ。
(そういえば、優里奈は何してるんだろ?食事でも誘ってみようかな?)
学生時代の親友である神崎優里奈とは、今も時々連絡を取ってはいたが久しく実際には会っていなかった。
彼女は大手のメーカーに就職し、バリバリのキャリア組として働いているはずだ。少しは昔を思い出して色々話してみたかった。
「あれ……希さん、何か顔色悪くありません?」
ふと近寄ってきた彼女の表情がいつもより冴えないものに見えた。
「え?別に全然そんなことないわよ。元気元気!」
おどけるように彼女は力こぶを作るポーズを取ったが、その表情もどこか力のないものに見えた。
「すいません、ちょっと失礼します」
俺は彼女の額に手を伸ばした。
もっと驚いて俺の手を払いのけるかと思ったが、彼女は大人しくそれを受け入れた。
彼女の額は体温として感じたことのないほどの熱さだった。
「……希さん、絶対熱あるじゃないですか!……何で今まで言ってくれなかったんですか?」
俺は事をあまり大きくしないために無意識の内に声を抑えていた。ここには様々なスタッフが共に働いているのだ。必要以上に心配を掛けることは得策ではない。
まずは彼女の身を案じたし、次に仕事の調整は付くだろうか?という心配も上がってきたが……同時に俺がマネージャーとして付くようになってから一か月ほどが経ったのに、体調不良も教えてくれないほどに信頼されていなかったのかと、悲しくもなった。
「え、や、全然大丈夫よ!……ほら、熱があるってことはエネルギーに満ちてるってことだし、逆に熱がなかったらヤバイけど……ね?」
俺の悲しみの気配を彼女も感じ取ったのだろう。空元気をさらに空回りさせて盛り上げようとしてくれたことが、余計に悲しかった。弱っている時は弱っていると素直に告げてくれた方がどれだけ嬉しかっただろう。……そして、ずっと近くにいながら彼女のそうした兆候を感じ取れなかった自分が情けなかった。
「……とりあえずこの後のコメント取りは延期してもらいましょう。どうしても急ぐ仕事でもないと思いますし、最悪他のメンバーに代役に入ってもらっても大丈夫だと思いますので……」
「え、そんな……クライアントに迷惑を掛けるわけにはいかないわよ。みんなだって急にスケジュール変わっちゃったら大変だろうし……」
「ダメです、希さん!……今無理をして余計に体調を悪化させてしまうことの方がよっぽどダメです!ムリせず休んで下さい!」
「……うん。そっか、その通りね……ごめんなさい、プロとして失格ね……」
体調が悪く精神的にも弱っていたのだろう。俺の言葉に希はシュンと首を折りうなだれた。
あ、いや、そんな責めるつもりはなかったんです!……もう少しトゲのない言い方はなかったのかよ!弱っている彼女自身が一番辛いに決まってるだろ!彼女のケアを第一に考えられずに、何がマネージャーだよ!
「……すいません、体調不良は誰にでもあることですから気になさらないでください。後のことは社長と相談して決めますので……。この撮影だけ頑張れますか?」
今やっているグラビア撮影の仕事は、あと2,3カットで終了予定のはずだった。(ちなみにグラビア撮影といっても水着撮影ではなく、普通の私服姿での撮影である。WISHのメンバーが雑誌などで水着姿になることは基本的にない)。
「うん……。大丈夫、がんばる。……ごめんね、麻衣ちゃん」
そんな、謝らないで下さい……ともう一度言おうと思ったところで、彼女がしなだれかかってきた。
驚きながらも、彼女の負担にならないように優しく受け止める。思わず肩を抱くとその肩は驚くほど細かった。誰もが憧れるトップアイドルで、ステージではあんなに大きく見えた彼女も、当然ながら普通の女子だ、ということを今さらながら思い出させられた。
弱っている彼女の身体と精神には不釣り合いなほど艶やかな髪が不思議に見えた。
「えへ……麻衣ちゃんの匂いだ」
イスの上に座っていた俺の上にのしかかるように彼女は抱きついてきた。……もしかしたら立っていることさえ辛いのかもしれない。仕方なく……あくまで仕方なくではあるのだが……彼女が体勢を崩してしまわないように俺も彼女の背中に両腕を回した。
何か言葉を掛けようかと思ったけれど、今何を言ってもウソっぽくなる気がして、ただ黙って背中をトントンと叩くことしか出来なかった。彼女もそれに応えるように力を抜き身体を預けてくれた。
「あの、撮影再開したいのですが……黒木さん大丈夫ですか?」
撮影の若いスタッフの人が撮影再開を告げに来た。
当然彼女の異変を向こうも感じており、かなり遠慮した声の掛け方だった。
すみません、あと5分だけ休ませていただく訳にはいきませんか?と俺が言おうと思ったところで、希は俺の身体からパッと離れ、いつもの無敵のスマイルを見せた。
「はい、大丈夫です!撮影お願いします!」
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