14話 距離
翌日からまた
朝から晩まで、どこに行っても黒木希は引っ張りだこだった。テレビやネット番組の収録、CM撮影、雑誌やグラビアの撮影、インタビューの取材、膨大な量のアンケート……。
だが俺もマネージャーとしてその生活に慣れつつあった。
仕事を少しずつ覚えて、黒木希と会社とをつなぐ役割として、また現場と彼女とをつなぐ役割として、少しずつではあるが俺も意味のある働きが出来るようになってきたはずだ。
これにはやはり前世の松島寛太としての経験が生きていた。
客側の立場でものを考え相手が遠慮によって中々言えない部分を察したりすることは、やはり営業の経験が生きたように思う。また次の日の仕事に関して事前に下調べをして彼女に伝える、というのは俺の最も得意としてきた仕事だった。
ただ芸能の仕事というものは、現場の監督のその場の思い付きなどで方針がガラリと変わることも多く、あまり綿密に準備してきても生かされないことも多かったわけだが。
(あとは……やっぱり俺自身が美少女であるアドバンテージもあるよな)
こんなことを言うとこのご時世怒られるかもしれないが、まだまだ社会……特に芸能界などという歪んだ場所は男社会で、権限を持っているのは圧倒的に男性……それもおじさんが多いのだ。別に色仕掛けをしているわけではないが、やはり女性……それも若くキレイな女性に対しては、そういったお偉いさんも優しくなる。結果的に物事が円滑に進む場面も多い。
WISHのメンバーもマネージャーとは女性同士の方が色々やりやすいようだ。女性ならではの共感できる部分も多いし、同年代というのも悩みを理解しやすい。ただメンバーとあまりに距離が近くなりすぎると、メンバーに対して注意すべきことを注意出来なくなってしまう場合もあるようで……その点は注意しておけ、と社長からマネージャー連中は皆口を酸っぱくして言われていた。
まあ、そんなこんなで俺も少し仕事に慣れてきたということだ。そして余裕が出来ることで見えてくるものがある。
まず一つは黒木希との心の距離は思っていたよりも縮まっていない、という残念なものだ。
先述したように彼女は大分フランクに接してくれるようになった。同じ年齢ということもあり、俺の私生活に関しても話すこともあった(もっとも私生活などと言えるほどの休日もないし、毎日一緒にいるからすべて筒抜けではあるのだが)。
だが恐らくそれは、彼女が俺自身に関心があるというよりも、単に気遣いによってなされていたことなのだ。メンバーと話す時の彼女はもっと違った表情をしていた。
(……やはり、マネージャーとして多少の距離感は必要なのだろうか?)
俺と彼女とはマネージャーとアイドルというビジネス上の関係に過ぎないとも言える。彼女にもあまり踏み込んで欲しくない領域があるのかもしれない。だがそれで良いのだろうか?という気もする。
ほぼ一日を共にしながら、心理的な距離が空いているということは、何か俺に人間的な問題があることの証拠のような気もしてくる。
(そうだよな、外見がいくら美少女になったところで、中身は俺のままなんだもんな……)
ふと油断すると松島寛太としての不甲斐ない人生の記憶が前面に出てきそうになる。もしかしたら前世が上手くいかなかったのは、運がなかったことや大事な場面で勝負弱かったことなどよりも、何か自分でも気付かない性格的な問題があったからなのではないだろうか?
「どうしたの、麻衣ちゃん?お腹空いたの?」
ふと気付くと移動中のタクシー車内だった。隣に座った黒木希の大きな瞳が俺の顔を覗き込んでいた。
……だからいっつもいっつも急に近いって!何かすげぇ良い匂いするし。ドキドキするわ!
「黒木さん!あのですね……黒木さんはもう少し自分という存在に対して自覚的になるべきだと思います!」
「自覚的?急に難しいこと言われても分かんないわよ?」
彼女はクスクス笑いながら答えた。
「……ですから!御自分が魅力的だということをもっと意識して下さいってことです!……あまり顔を近付けられては、困ります」
「え、何それ。面白いんだけど!……女の子同士でもドキドキするの?」
彼女は俺をからかうように、さらに顔を近付けてきた。
「ですから!そういう所ですよ!……女同士でももちろんドキドキします!」
「え、そうなんだ。じゃあ麻衣ちゃんは女の子が好きってことなの?」
彼女は俺の手に手の平を重ねてきた。真っ白ですべすべな手。握手券を買わなくともトップアイドルの手を握れる職場、最高!……いや、こんな事態は普通は有り得ないから!近くにいる存在だからと言ってあなたは同僚のおじさんの手を握ることがありますか?
「いや……別にそういうわけではないですけれど……」
「じゃあ男の子が好きなんだ?」
「え、いや……まあ」
なんて返事をしたら良いのか分からなかった。
俺の男性恐怖症は恐らく一切改善はされていないだろうが、もちろんそんなことをイチイチ説明することは出来ないし、説明したらまたしても余計な気を使わせる。
そんなドギマギした俺の反応すらも彼女は間違いなく楽しんでいた。
「……あの、もうすぐ到着しますね」
おずおずと運転手さんが俺たちの方に声を掛けてきて、ここがタクシーの車内であったことを思い出した。
すべてのやりとりは運転手さんに筒抜けだったことが今さら意識され、恥ずかしさのあまり俺は死にたくなった。
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