SCENE:8‐5 16時20分 汐生町 汐生駅前

 着信音が鳴り響く。ポケットをまさぐり電話を取り出す。反応がない。鳴っているのは友人のものだ。その音にフィジカル・ヴィークルが反応した。地面を蹴って大きく飛び上がると、手にしたナイフを振りかざす。


 ネムルの前に渚が飛び出した。軍刀を両手に構え、敵の刃を受け太刀する。そのまま絡め取るように刀をふるい、人形を弾き飛ばした。


 人形の手からナイフが離れた。フィジカル・ヴィークルはすぐさま身体を捻り、宙を舞う得物を取りに行く。彼女とナイフが見えないひもで結ばれているように、武器を拾う動作が素早い。


 人形には優先行動があるらしい。


「ユークと同じ外見ってのが目障りだな」


「ボクだって気になるが、分析しないことにはしょうがない」


 友の背に身を隠しながら、ネムルは機械人形の動きを観察する。殺傷対象さっしょうたいしょうをプログラミングされているらしく、周囲の人間に目もくれない。敵としても汐生町を無差別殺人事件の舞台にする気はないらしい。標的として狙われるのは気持ちの良いことではないが、余計な人命に気を配らなくて良いのはありがたい。


 派手などんちゃん騒ぎを聞きつけ、ギャラリーはどんどん増えている。事情を知らない人間たちは映画やドラマの撮影だと思っているらしい。こちらに向けられた携帯電話の数が尋常ではない。この場で人形を破壊しようものなら、ただでさえネットの海に放流される写真の数が増してしまう。


 上手く戦闘を回避する方法はないものか……。


 ネムルは周囲を見回す。ちょうど、積荷を乗せたトラックが目の前で停車したところだった。


「渚、耳を貸せ。策を考えた」


 渚の耳元で作戦を伝えるネムルに、フィジカル・ヴィークルが狙いを定める。


 駆け出した人形は、再びナイフを振り上げる。


「今だ!」


「了解!」


 返答と同時に、機械仕掛けの手首を渚は掴んだ。力任せにねじり上げ、手からナイフを叩き落とす。


 ネムルは地面に落ちたナイフを拾う。そして腕を大きく振ると、力の限り高く放った。放物線を描きながら、ナイフはトラックの荷台に落ちる。信号が青に変わると同時に走り出したトラックの後を、フィジカル・ヴィークルも追ってゆく。まるでフリスビーを追いかける犬だ。ロボットと車はそのまま角を曲がって見えなくなった。


 ギャラリーから熱烈な拍手が沸き起こる。作り物のシャッター音がこだまする中を、二人はそそくさと抜け出した。


「街中じゃ、派手に動き回れないな」


 閑散かんさんとした裏通りに出て、渚は頭を掻く。


「特にお前は顔出しNGな人間だろ?」


「そうだな。〝スナーク隊〟のほかにもボクを狙っている組織はいる。写真や動画を撮られるメリットはまるでない」


 妨害電波のない空間は、歩くだけでもストレスだ。ネムルは小さく溜息を吐く。恋しい海砦を振り返るが、ここからでは海も見えない。渚の護衛を除けば、今の自分は丸腰だ。一秒でも早く、ユークを見つけなければならない。


 繁華街を抜け、静かなビジネス街に出る。車通りの激しい道路の果てにひときわ大きなビルが見える。奇抜な形をした、この街のシンボルと化した建造物――<MARK-S>のアジトだ。二人は自然と歩を止める。


 あの建物の中に、南雲博士がいるのだろうか。


 そして、ユークそっくりのフィジカル・ヴィークルたちを操っているのだろうか。


 海軍によって断ち切られた縁が、再び結ばれようとしている。


「君たちの好きにさせない……絶対に」


 ネムルがつぶやくと同時に、電話が鳴った。渚の着信らしい。


 戦闘中にも長いコールが掛かっていたが、敵を追いやることに夢中ですっかり忘れていた。


 渚はディスプレイに表示された名前を見て、すぐハンズフリーに切り替えた。


 ――渚さん!


 スピーカーから聞こえてきたのは、海斗の声だった。


「海斗、緊急事態だな?」


 ――そうです。渚さん、ネムルさんを呼んでください! ユークが大変なんです!


「ユークだって!?」


 ネムルは渚から携帯電話を奪うと通話口に向かって喋る。


「君はユークと一緒にいるのかっ?」


 ――えっ、ネムルさん? 渚さんと一緒にいるんですか? 今、どこに?


「汐生町のビジネス街だ。そっちは?」


 ――渚さんの家です。すぐに来てください! 事情は追って説明します!


「わ、分かった!」


 しゃにむに走り出したネムルは、半歩も行かず首根っこを掴まれた。


 ネムルを担ぎ上げると、渚はタクシーを拾うため、道路沿いのガードレールを越えた。





 水上家にたどり着いた二人を待ち受けていたのは、ずたずたに切り裂かれたロボットの残骸だった。

 入り口は血色のガソリンにまみれており、あちこちに四肢や胴体の断片が落ちている。ネジや鉄骨といった部品も散乱していて、生命はないと分かっていても息を呑む光景だ。


 渚が罠を解除している間、ネムルはフィジカル・ヴィークルの残骸を点検した。臓器に値する部品は、ほとんどが損傷していて使い物にならなそうだ。


 海斗から聞いただけで、実際の容態を確認しないことには分からないが、それでも……。


 不安に押しつぶされそうになった心が、無意識に白衣のポケットを弄っていた。その中には、かつてユークがプレゼントしてくれた、ウサギ柄のハンカチが入っている。


「ネムル! 動いて良いぞ!」


 渚の呼びかけを合図に、ネムルは走り出した。ユークのいる書斎に向け、螺旋階段を駆け上る。突き当たりの扉を開けると、海斗の茶色い髪が目に入る。彼は書物机の近くに跪き、その腕に何やら抱えていた。一瞬だけそれは、真っ赤な布に包まれた、赤ん坊の死体に見えた。


「ネムル、さん……」


 開かれた布を見て、ネムルは言葉を失った。そこにはユークの上半身があった。腰から下はちぎり取られたように歪な切り口で切断されており、様々な太さのコードがクラゲの足のように飛び出している。


 苦しげに目を細めながら、機械仕掛けの少女は、青い瞳でネムルを見上げた。

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