SCENE:4‐4 12時20分 汐生町 繁華街

 人声が振動となってぴりぴりと身体に響く。うるさい、うるさい、うるさーい! と声に出して叫びたい。


「うるさぁぁーい!」


 実際に、楠木ネムルは叫んでいた。周囲の人々が驚いた様子でこちらを見る。しかし、その顔はすぐに微笑みに変わる。小さな子供の癇癪かんしゃくだと思われたらしい。


 目深に帽子をかぶったネムルは、体躯たいくの小ささも相まって、年端もゆかぬ少女に見える。それがまた彼女のしゃくさわってたまらない。


 ついさきほど、海水浴に来ていた男子中学生たちにナンパされた。四方八方から取り囲まれ、どこの中学校に通っているかをしつこく問いただされた。渚が間に入らなければ、ネムルは顔面蒼白したまま、いつまでも固まっていたことだろう。


 不機嫌な顔でぶくぶくとクリームソーダを泡立てる。ストローから立ち上る泡が、溶けかかったアイスクリームに決死の突撃を繰り返す。


「大の大人が行儀悪いことをするんじゃないよ。ますますガキに見られるぞ」


 向かいの席に座る渚は、しかし、ネムルのことを見ていない。黄色いサングラスの奥から、熱心に海岸を見つめている。


「基本は細くてスタイルの良い子なんだが、水着となるとまた話が違ってくるんだよな。適度にふっくらしてて、波打ち際で可愛く笑ってほしいと言うか。例えば、あのパラソルの下にいる子なんかすごく良いけど……ちっ、野郎連れか」


「渚、真面目にやりたまえ。ボクが遥々街に出たのは、君の煩悩ぼんのうの声を拝聴するためじゃない」


「心配すんな。こう見えてちゃんと仕事モードに入ってる」


 渚は軍刀のつばをかちっと鳴らす。

 気怠げに椅子に腰掛けているが、トラブルにいつでも対応できる構えだ。神経を研ぎ澄まして周囲の気配を探る。

 今のところ、誰の視線も感じない。この店の中には、楠木ネムルが各国の軍隊から目を付けられている天才科学者であることを知る人間はいなさそうだ。


 それにしても………。


「わざわざ街中のカフェテラスに来なくても良かったんじゃないの? 公共電波の届くところにさえ出られれば、通信出来るんだろ?」


「確かに、妨害電波を張り巡らしたレムレスでは、メッセージをやりとりするにも膨大な時間を要する。だから汐生町へ出る必要があったわけだが、わざわざこの店を選んだのには、ちゃんとした理由があるのだよ」


 言うや否や、店員が大皿を持ってやってきた。

 若者向けのカフェに似合わず、料理の上には銀でできたドームカバーが掛けられており、中身が見えないようになっている。


「お待たせしましたぁ~。当店特製・超特別・超特大・ダイナマイト・卵焼きでぇす!」


 店員がカバーを外すと、卵を三十個以上使ったであろう、たくさんの卵焼きが出てきた。

 ピラミッドのように高く積み上げられている。


 卵焼きの上には、きれいに領域を区分されてブルーベリージャムや蜂蜜、生クリームやチョコシロップが振りかけられ、混ざりあった甘味料が皿の淵にマーブル模様の水溜りを作り出している。


「うわぁぁぁい!」


 両手にフォークとナイフを掲げて、ネムルは歓声をあげる。


「どろどろに甘い卵焼きの、どろどろに甘いシロップ掛け。武者震いで手が震えるな」


「うぐっ………林檎地獄のあとは卵焼き地獄か。どうして俺の周りには偏食の変人ばかり集まるんだ」


「渚、写真を撮ってくれ。各国の軍事ネットへ侵入してアップロードしたい」


「スイーツで戦争を起こそうとするな。自慢ならSNSでやれ」


 渚の忠告をネムルは既に聞いていない。早くも口の周りをチョコレートだらけにして、卵焼きを頬張っている。


「ふぁふぇふぁふぇ、ふぉふぃふぁふぉふゅんふぃふぁふぁんふぁんふぁ」


「何言ってんのか分かんねぇ」


「さてさて、こちらの準備は万端だと言ったんふぁふぉ。ふぉふぉふぁふぁふぉふぁふぃふぁふぉいふぃいふぁあ」


「全然万端じゃないだろ……」


 ネムルは指先についた蜂蜜を一舐めすると、パソコンのキーを叩き出した。


 ハムスターのように膨らんだ頬は卵焼きでぱんぱんだが、深緑の瞳は鋭い輝きを放ってモニター画面を見つめている。


「始まったか?」


 静かな渚の言葉に、ネムルも静かに首を振った。


 ネムルのパソコン――正確に言えば、リリー・タイガーの私用パソコン――のカーソルがくるくると円を描くように回り始めた。


 リモート操作を行っている相手が、動作を確かめているらしい。


 テキストアプリがひとりでに開かれ、真っ白な画面に文字が打たれる。


 ――はじめまして。


 ネムルはゴクリと卵焼きを飲み下す。文字が次々に打たれてゆく。


 ――はじめまして。


 ――お招きいただき、ありがとう。


 ネムルは人差し指を立て、慎重にキーボードを叩く。


 ――あなたの名前を教えてほしい。


 それからしばらく考えたあとで、付け加えた。


 ――当方は楠木ネムル。分かっていると思いますが。


 ――私の名前は、南雲。


 ――貴方もご存知のはずです。


 やはり……ネムルは卵焼きの咀嚼そしゃくを止める。

 やはり、南雲博士だ。


 ――近々、この人物とコンタクトを取るつもりでいる。


 ――ボクはその人物が“フィジカル・ヴィークル”を知っているか、さらに言えば“フィジカル・ヴィークル”のメンテナンスに必要なパーツを持っているかを知りたいんだ。


 先日、レムレスで渚と交わした会話が蘇る。


 あの後、彼のPCに侵入して、リリーのPCを再びハックするようメッセージを送った。


 罠のような誘いに乗って来るかは賭けだったが、無事にコンタクトを取ることが出来たようだ。


「南雲って、死んだ人間の名前じゃないか?」


 背後からパソコンを覗き込んで、渚はつぶやく。


「生きていたのか?」


「分からない。……渚、不審な人間はいないか確認してくれ」


 渚は周囲の気配を探る。


 殺気の類は感じない。


「大丈夫だ。俺たちに目を光らせているやつはいない」


「本当だろうな?」


「安心しろ。俺の技術は師匠仕込みだ。戦闘にかけちゃ、その辺の兵隊よりはえてるぜ」


 ネムルは大きく頷いて、再び電子の世界へ潜る。


 ――南雲氏、あなたはなぜこのパソコンに侵入したのですか?


 ――報復です。


 ――報復?


 ――このパソコンの持ち主が、私のパソコンへ侵入しました。


 ――私は侵入経路をたどり、報復をしたまでです。


 ――持ち主の名前を知っていますか?


 ――リリー・タイガー。


「最初に仕掛けたのは、あの女か……」


 ネムルは卵焼きをつまむと、再び口の中へ押し込む。


 リリー・タイガーは〈MARK-S〉のパソコンに侵入しようとした。しかし、何のために? どんな目的があって、敵対する組織の溝をわざわざ深めるようなことをしたのだろう。


 そのことについて推理するのに、材料が足りない。


 ……掴みに行くか。


 ――あなたは〈MARK-S〉の南雲博士ですか?


 ――そうです。


 南雲は即答する。


 ネムルの隣で、渚は唾を飲み込んだ。


 文字が打たれ、次々に漢字変換されてゆく。


 ――リリー・タイガーは私のパソコンにアクセスし、情報を盗み出そうとしました。しかし、それは失敗に終わりました。

 私のプロテクションを、破れなかったのです。そして彼女は、破壊されたパソコンを修理してほしいという名目で、貴方の砦を訪れました。


 ――彼女の真の目的は何か? それは、ひとまず置いておくことにしましょう。


 ――楠木ネムル。貴方はハッキング・プログラムを修復する過程で、私にコンタクトを取りたいと思った。


 ――その理由を、私は知りたい。


 ネムルは腕を組む。このまま本題へ移って良いものか考える。饒舌じょうぜつと言えるほどよどみなくタイプされていた文字は、ぴたりと止まった。


 ターンプレイヤーをネムルと定め、次の一手を待っているようだ。


 彼(または彼女)がネムルの知る南雲博士とは限らない。便宜上べんぎじょう、南雲博士の名前を用いているとも考えられる。

 電子の世界は匿名と切り離せなければ、信憑性などあってないようなものだ。


 しかし、この「南雲」という人間は、話の分かる人物であるような気がする。わずか数行のやりとりだが、直感的に感じるのだ。


 少なくとも、リリー・タイガーよりは遥かに信用に足る人間だと感じる。


 意を決して、一思いに言葉を弾き出す。


 ――私は、貴方が開発したフィジカル・ヴィークルについて話がしたい。積極的に言えば、フィジカル・ヴィークルについて、貴方の力をお借りしたいと思っています。


 ――フィジカル・ヴィークル。


 しばらくの、沈黙。


 ――ユーク。


 ――いかにも。


 ――楠木ネムル、貴方の目的が分かりました。


 この人物は本当に南雲博士なのかも知れない、とネムルは思い始めている。


 理解力の速さ、言葉の選び方、それらは同じ研究所に所属していたかつての同僚にとても良く似ている。


 冷たい視線と専門用語しか用いなかった研究者たちの中で、南雲博士は――あの中年男性だけは、優しい目をして、優しい言葉で語りけてくれた。


 恐怖と冷遇と混乱に塗れた日々の中にも――否、どんなに残酷な世界でさえも、柔らかな安息の日差しは差す。


 それが、瞬く間に消えてしまう刹那の光でも。


 良くも悪くも、苦痛は絶え間なく痛み続けるものではないのだ。


「ネムル」


 名前を呼ばれて、ネムルは我に返る。


 渚が目と鼻の先にフォークを差し出している。その先端にはチョコまみれの卵焼きが。


「俺が“あ~ん”ってしてやるのは、付き合っている女の子だけなんだが、今日は特別だぞ」


 ネムルはきょとんとした顔で、しばらく卵焼きを見つめていた。


 その顔が、微笑んだのは一瞬だった。


「やめろ、気持ち悪い。一人で食べられる」


 フォークを奪い取ると、ネムルは自らの口へ運ぶ。頬いっぱいに膨らませ、もぎゅもぎゅもぎゅ、と咀嚼する。


 頬杖をついたまま、渚は苦笑する。


「可愛くねえなあ」


 脳に糖分を送りながら、ネムルは再び思考の歯車を働かせる。


 ――私はフィジカル・ヴィークルの部品がほしい。できれば一式。そして細かな設計図面も手に入れたい。


 ――良いでしょう。


 こちらのリクエストを見越したような即答がディスプレイに浮かび上がる。続く言葉の表示も早い。


 ――しかし、条件があります。


 ――それは、私自身に関することですか?


 ――貴方に関することではありません。私は、貴方の所有を求めていない。


 ――条件とはなんですか?


 ――“慈悲深き機械”について、ご存知のことを教えていただきたい。


 ――“慈悲深き機械”?


 ――それは、どのようなものですか?


 ――〈MARK-S〉に所属していながら、その言葉をご存知ないというのはあり得ない。


 ――私は、知りません。


 ――貴方は、知っているはずです。


 ――残念ながら、本当に知らないのです。どうか別の条件を提示してください。


 ――私は“慈悲深き機械”について知りたい。


 ――応答願います。


「おいおい、なんか揉めてねーか?」


 渚は髑髏の指輪をはめた人差し指で、モニター画面をなぞる。初めて聞く言葉が出てきた。


“慈悲深き機械”。


「“慈悲深き機械”って、なんだ?」


「知らない」


「相手は相当疑ってるぞ」


「知らないものについては答えようがない」


 ネムルは腕を組んで、画面をじっと見つめる。


「昨夜、ユークの身体を点検して、部品のいくつかが劣化していることが分かった。それも脳への接続に関わる根幹部分の劣化だ」


「マジかよ。電気屋に代替品は売ってないのか?」


「フィジカル・ヴィークルの部品は、金属以外にも様々な素材が合成されて作られている。形だけを真似ても、噛み合った正規部品を傷つけるのがオチだ」


「その部品が完全に壊れたらどうなる?」


「私情を抜きにして、科学的事実を述べるよ」とネムルは前置きして続ける。


「根幹部分の部品が壊れれば、ユークの脳は身体を認識できなくなり、外部との交信手段を失う。

 さながら、モニター画面のないパソコン本体のように、入出力が出来なくなる。脳への直接的なダメージは皆無と言っていい。

 ユークは傷を受けるわけでも、まして死ぬわけでもないことを理解しておいてくれ。さらに、そうなったときのためにフィジカル・ヴィークル以外の通信手段を既に用意してある。

 彼女と会話ができなくなる心配はないし、モニターやスピーカーに接続して、音声や画像を付け足すこともできるだろう」


 ネムルはふっ、と息を吐き出すと、キーボードを叩く。


 ――貴方の仰る“慈悲深き機械”について。


 ――私は何も知りません。


 そして、


「ここから先は、完全なる私情だっ!」


 ネムルは、「あああああ~っ」と叫び声を上げながら、長い髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。


「科学的事実など何の役にも立たないっ! ユークは生身の肉体フィジカル・ヴィークルを失って、いつかはパソコンみたいになるんだよ、なんて言えるか? 

 学校へ通うことになった前日、鏡の前で五時間も制服を着たままニヤニヤしていたユークに、言えるか? ボクは言えない。これは生き死にの問題じゃないけれど、確実に生き死にの問題なんだ……っ」


「ユークは、アンドロイドなんですか?」


「アンドロイドかって? まあ、平たく言えばそうだな。身体は機械で出来ているが、心は人間の女の子だ。だから困っている……の、だ……ボク、は……」


 途中で言葉が失速する。投げかけられた質問に、勢い余って答えたものの、その声は渚のものではなかった。


 そのことに、いち早く気づいた渚の視線を追って、ネムルは声の主を振り返る。


 そこには、海斗がいた。


 いつもの穏やかな笑みを浮かべて、スタスタとこちらへやってくる。


「渚さん、アイスコーヒー飲みます? 僕はアイスミルクティーにします。ネムルさんはラムネソーダで良いですか? 上にアイスが乗ってるやつ」


 手際よく持っていた飲みのものを配り終えると、自身も空席の椅子に腰掛ける。あまりにも自然な仕草に、ネムルも渚も、唖然あぜんとしたまま何も言えない。


 ウェーブした茶髪を掻き上げて、海斗は完璧な笑顔で笑った。


「それで、ユークはアンドロイドなんですね?」

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