SCENE:2‐5 17時04分 海砦レムレス 管理区 ヘリポート

「珍しいな。お前から呼び出しがあるなんて」


 渚は辺りを伺う。


 今いる場所は海砦レムレスの中でもいちばん高いビルの屋上だ。

 屋上にはさらに小さな階段が備え付けてあり、登った先は円でできた駐車場のような広い空間が続いている。

 アスファルトの上に描かれた標識を見るに、ヘリポートであるらしい。


 渚の隣では、ネムルがビル風になびく長い髪を抑えながら、しきりに空を見上げている。


「招かれざる客が来るんだ」


「招かれざる客?」


「ああ。今日、レムレスへ行くと連絡があった。君を呼んだのは、その客人からボクを守ってもらうためだよ」


「そいつは敵なのか?」


 ネムルは答えない。白衣のポケットからタッパーに入った卵焼きを取り出すと、指でつまんでぱくぱくと食べる。これが彼女の携帯食だ。小さな口元からしゃくしゃくと咀嚼そしゃくの音が聞こえるのは、卵焼きの中にすりおろしたりんごが入っているからだ。


 全神経を舌に集中させ、束の間のおやつ休憩を味わった後、ネムルは口を開いた。


海軍特別偵察隊かいぐんとくべつていさつたい第三艦隊だいさんかんたい――通称・スナーク隊。海砦レムレスの沖合に見える、あの海軍基地を拠点としている。海砦レムレスおよび〈MARK-S〉を監視するために特別編隊とくべつへんたいされた組織だ」


「〈MARK-S〉だと!?」


 渚は思わず街を振り返る。


〈MARK-S〉は、かつてネムルが囚われていた闇の組織だ。表向きは製薬会社の看板を掲げているが、裏では数々の犯罪に手を染めている。

 一年前、命からがら脱出したネムルとユークはレムレスに身を隠して、どうにか縁を切ることができた。


 しかし、今でも〈MARK-S〉の悪行は留まるところを知らない。界隈かいわいで仕事をしていると、嫌でも噂が耳に入る。


「そもそも、ボクとユークが絶対服従の〈MARK-S〉と手を切ることができたのは、スナーク隊の助力があったからだ。

 ボクの電子工学の技術を軍事システムの開発に役立てるという条件付きで、多額の金を積み、〈MARK-S〉に身の安全を保障させた。レムレス再建のための資金を提供したのも彼らだ」


「なるほど。ユークが用意していた切り札は、スナーク隊のことだったのか」


 一年前、ユークと初めて会ったときのことを渚は思い出した。


〈MARK-S〉と縁が切れていると彼女が断言したのは確固たる後ろ盾があったからだ。あのとき既に、両者の間で交渉が成立していたに違いない。


「……ってことは、スナーク隊は良い奴らなんじゃないか?」


 思わずつぶやいた渚の背中を、ネムルは小突く。


「馬鹿を言うんじゃない。彼らがボクに望むのは軍事システムの開発……つまり、自国の戦力強化の手伝いだ。合法か合法でないかの違いで、結局は〈MARK-S〉と同じように、争いの道具を作らされるに決まっている――全く、人間は愚かだ。自分たちが作りあげたものを自分たちの手で壊す――虚しさばかりで芸がない。卵焼きの卵を生んでくれるニワトリさんの創造力をちょっとは見習ってほしいものだ」


 ぷりぷりとネムルは怒る。以前のような思いつめた悲壮感はない。


 ユークを守ると決めてから、ネムルは格段に強くなった。


 他人の決めたルールに従わないが、自分のポリシーには従う。


 渚を見つめる眼差しは、硬い決意に満ちている。


「ボクは軍事開発を放棄ほうきした。殺戮さつりく兵器は二度と作らないと決めた。そこでレムレス全域に妨害電波を張り巡らし、衛星えいせいからも観測できない絶対要塞ぜったいようさいにして、籠城ろうじょうすることに決めたんだ」


「ここに携帯持ってくると壊れるのはお前のせいだったのか、この野郎」


「……しかし、客人が来るということで、現在、妨害電波を解除している。レムレスの最新設備と、ボクたちの姿は世界中に丸見えだ」


 渚の文句を無視して、ネムルは淡々と話を続ける。

 話しながら、おもむろに渚の背後に回り込み、その陰で身を丸める。


 アルマジロのような防御姿勢だ。


「そういうわけで、渚」


「なんだ?」


撃墜げきついミサイルが飛んできたら、君の刀で切ってくれ」


「無茶言うな! 俺の刀は斬鉄剣ざんてつけんじゃねーぞっ!」


「覚悟を決めたまえ。スナーク隊に何をされても恨めないことをボクたちはしている」


「したのはお前だけだろっ!」


「あ、ヘリの音が聞こえてきた。もうダメだ~」


「俺を巻き込むんじゃねぇー!」


 小競り合う二人の頭上で軍事ヘリが停止する。辺りには暴風が吹き荒れた。


 身軽な身体が吹き飛ばされないよう渚の腕に掴まりながら、ネムルは久しぶりに見る「スナーク隊」のシンボルマークに目を凝らした。ニヤリと笑う猫の顔。命の恩人であり、歯向かわなければいけない勢力。


 複雑な感情がネムルの胸にこみ上げ、なおのこと友人の腕を掴む手に力がこもる。


「とりあえず、頭下げろ」


 ヘリを見ながら渚は言った。


「あとで菓子折り持って、謝りに行け」


「相手は世界の軍隊だぞ。そんな庶民的な謝罪で許してくれるわけないじゃないか」


「んなことは分かってるよ。謝ってダメなら次の手を考える」


「……頼むぞ、友よ」


 ネムルは両拳を握りしめ、ゆっくりヘリコプターに向かっていく。


 渚は腰挿しの軍刀に手をかけ、いつでも助太刀できるよう身構えた。


 金属的な音を立ててハッチが開く。


 同時に、ネムルはペコっと頭を下げる。


「すまなかった。謝罪する」


 ぼそりとつぶやいたあと、ピンポンダッシュ並みの速さで来た道を引き返すネムル。


 腕をばたばた振りながら、全速力で駆けているが、運動神経の悪さが災いして大人の早歩き程度の速度しか出ない。

 ヘリから飛び出した人物にあっという間に追いつかれ、背後から身体をすくわれた。


「ハウアーユー、ネムルー!」


「うわあああぁぁぁ~!!」


「相変わらず可愛いデスネーッ!」


「あぁぁぁあ~! やめろぉぉぉぉ~っ!」


 ネムルの身体が回転しながら宙を舞う。彼女を抱きしめている人物が、嬉しそうにくるくると回っているからだ。


 その腕っぷしは強く、いくらもがいても抜け出せない。


「うぐあぁぁあ~っ! なっ、なぎさあぁぁ! 助けてくれぇぇ、なぎさあぁぁ~!!」


「ネムルっ!」


「たっ、助けてぇぇぇ~!」


 息も絶え絶えに友人の名を呼ぶと、スピンしていた景色の中から指輪だらけの手が伸び、ネムルの両腕を掴む。

 バリバリバリと音がして、気を失う間際、ネムルはその人物から引き離された。

 渚に抱えられながら、首を振って未だ回転している景色を元に戻す。


 何重にもブレた視界が正常に戻ると、異国の女性がにっこり笑っていた。


 金色の髪に青い瞳、服装は胸元がかなり開いたアーミーシャツと、太ももをかろうじて隠すほどの丈しかない極短のミニスカート。

 直視できないほど露出度の高い出で立ちだが、豊満ほうまんな肉体にはこれ以上ないほどしっくりきている。


 太陽のように全身が光り輝いてみえる彼女は、映画の世界から飛び出したような美女だった。


「渚、この女を斬り捨てろ! 刀のさびにしてやれ!」


 怒り狂った猫のように髪の毛を逆立てネムルが吠える。

 宙に浮いた足を懸命にバタつかせて今にも飛び掛かって行きそうだが、女性が詰め寄ると、途端に渚の腕から飛び出し、背後へと身を隠してしまった。


 仕方なく、渚は前へ出た。


「お嬢さん、その辺で堪忍かんにんしてやってください。コイツはストレスに弱い繊細な生き物でして……って、うわわわわっ! なんで俺に抱きつく!?」


「ナイス・トゥー・ミート・ユー! アナタがナギサですネ! 遠隔えんかくカメラで見るよりずっと、グッド・ルッキング・ガイ、デスネ!」


 美女はうふふと微笑しながら、両腕に力を込める。

 上目遣いに見上げる青い瞳はキラキラと輝き、開ききったシャツから見える谷間は魅惑的な闇に向かって続いている。


 離れ際、全身から溢れんばかりの愛情を込めて、渚の頬にキスをした。


「……こいつはまずいな」


 頬についた口紅の痕を拭おうともせず、真剣な顔で渚はつぶやく。


「完全に惚れた」


 その足を背後から思いきり蹴りつけるネムル。

 痛がる渚の足へさらにもう一撃お見舞いすると、渋々一歩前へ出る。

 さながら、渾身こんしんの力を振り絞っていじめっ子に立ち向かおうとする子供のようだ。


 女性も力量の差を心得ているのか、余裕綽綽よゆうしゃくしゃくの態度で自分より二十センチ以上も背の低いネムルを見下げる。


「ネムル、怒った顔もキュートデスネ~!」


 彼女はうっとりと両手を合わせながら上機嫌な笑みを見せたが、次の瞬間、別人のように豹変した。


 先程までの小悪魔的な雰囲気は欠片もない。


 大きな目は獲物えもの猛獣もうじゅうのように細まり、全身から発していた愛情は今や冷たい殺意となってネムルの胸に突きささる。


 両極端な感情はどちらも彼女の真実で、単に公私が切り替わっただけに過ぎない。


 ネムルはあらためて、軍隊というものの従属的じゅうぞくてきな厳しさを感じた。


「アナタはまだ自分の置かれている立場を分かっていないようですね」と彼女は言った。


「莫大な金額を投資して、我が軍は楠木ネムルの〝所有権〟を得た。組織に凌辱りょうじょくされ、殺されるはずだったアナタを救ったのは我々だ。その恩にむくいるような働きを、少しは見せたらどうですか?」


「……」


「我々は神ではない。死よりもむごい苦痛を与え、アナタを戦いへと駆り立てることだってできる」


「リリー・タイガー、ボクを見くびってもらっては困る」


「……ワッツ?」


 ネムルの背後で、金属音がした。渚が軍刀のつばを弾いたのだ。威嚇いかく牽制けんせいの音を聞き、女はさっと後ろへ飛び退すさる。


「ソーリー!」


 再び顔を上げたとき、彼女の顔には軍事的な厳しさの一切が消え失せ、予め見せていた可愛さとセクシーさでいっぱいの、蠱惑的こわくてきな笑みが広がっていた。


「この件は、パパの管轄かんかつデシタ!」


 両手を頬の横で重ね合わせ、申し訳なさそうに微笑む。


 「本題に移りまショウ」と言う彼女の言葉を待っていたかのように、ヘリから手下の軍人たちが、アタッシュケースを抱えて降りてきた。

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